「八方美人」が私の武器になるまで―保育士として得た“平和の作り方”
「あなた以外、クラス運営を平和に出来る保育士はいない」
それは、英語幼稚園に勤めていたときに主任から言われた言葉だった。
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私は子どもの頃「誰にでもいい顔するよね」と言われて、クラス内の女の子特有のどのグループにも入れなかったことがある。
仲間意識が強くて、他を排除するような言葉や態度が好きじゃなかったし、やたらおそろいにすることも楽しいと思えなかった。当時は他人にあまり興味がないけれど嫌われるのは後々面倒くさい程度に思ってて、にこにこするのだけが得意だった。
忘れてしまった宿題も、テストの点数も、へらへら~と誤魔化すのが得意で、八方美人なところが私の欠点なんだなとずっとずっと思っていた。
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英語幼稚園で勤務して、最初にクラスを持ったのは4歳児。
ベテランのアメリカ人のママ先生であるF先生と年の近い兄貴肌のカナダ人のX先生と3人でクラス運営をした。
F先生はベテランということもあり、保育の引き出しが豊富で、愛情深く、子どもたちのためにいろいろしてあげたいことが多かった。めちゃめちゃ多かった。F先生のやりたい量と保育として提供できるラインが、アンバランスになって毎年日本人保育士ともめていたらしい。
私は日本の保育資格こそ持っているけど、まだまだ保育の経験は3年そこそこ。F先生から学ぶものは純粋に多かった。
七夕フェスティバルの日、F先生の爆発が起きた。
予定になかった出し物を始めたり、予定外のことを日本人保育士に言わずにどんどん展開していってしまう。もちろん他の外国人の先生たちもF先生の突然の行動についていけなくて、フェスティバルはカオス状態。
行事責任者であった私はF先生を止められなかったことに対して、大目玉をくらった。
なるほど。と私は思った。
これが、日本人保育士とうまくいかなかった原因なんだろうなと。
それから、私のクラス運営は方針を変えた。
私が主体として保育を計画していたのを、F先生がアイディア係となり私が時間と子どもたちの成長発達に合っているかを判断しながら、プランニングをしていく、というもの。
自分の保育の引き出しが日本人保育士に受け入れられていないというフラストレーションをかかえていたF先生は、本当に喜んで毎日の保育がノリノリだったし、F先生がご機嫌なことでX先生も嬉しそうだった。なにより、クラスの雰囲気が安定して明るいものになった。
そんなこんなで初めての1年を無事に運営しきった。
その時に主任から言われた言葉が「あなた以外、クラス運営を平和に出来る保育士はいない」だった。めったに人を褒める人でなかったので、当時は空耳だと思っていた。
翌年は、2歳児クラスの担任をした。
過去最高人数22人を保育士である私とイギリス人の先生、アメリカ人の先生、インドネシア人の先生の4人で担当。うち2人は新人の先生だった。
補足で伝えておくと、2歳児クラスの場合、保育士1人に対して6人の子どもの人数。
私が担当したクラスがいかに常識から逸脱しているかが分かってもらえると思う。
この学年も最終的にはめちゃめちゃ平和に運営しきることができた。
「あなた以外、クラス運営を平和に出来る保育士はいない」主任はやっぱりそう言っていた。
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いつもへらへらして、八方美人で。それを不快に思う人がいるのも事実。
ずっと、コンプレックスだった私の欠点を主任は2年かけて長所に育ててくれた。
後々、人伝に聞いたんだけど、主任は私がよく人を観察して、その人が気持ちよく動けるようにフォローするのが上手だと言っていたらしい。
ちっとも自覚がなかった。
結婚を機に退職して、派遣保育士になったとき、ちょっと癖があって厳しい年配の保育士と一緒にクラスを持つことになった。
その時も、主任の「あなた以外、クラス運営を平和に出来る保育士はいない」の言葉をおまもりにしていたおかげで、平和にクラス運営をすることだけには自信があり、結果的には平和に終わることができた。
その保育士も言っていた。「あなたとクラス運営するのはやりやすかった」と。
25歳の時に言われた主任からの「あなた以外、クラス運営を平和に出来る保育士はいない」という言葉は、33歳の私の頭の中に、あの時と温度感が変わらぬまま残り続けている。