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ゴチャゴチャした街が好きだ――書評「コンスピチュアリティ入門」

「コンスピチュアリティ」とは、陰謀論とスピリチュアルを合わせた造語というが、もともと両者に境界線などない。共産主義も自然食もホメオパシーもシュタイナー教育も陰謀論も、みんな同じ人がやっているということは、この界隈に立ち入ったことのある人間なら、誰もが知っていることである。
カルトと呼ばれる人たちもそうだ。共産主義とカルトは「遠い」と思われがちだが、実際のところは、同じ町内の一丁目と二丁目の違いでしかない。
この本の中にも、陰謀論とスピリチュアルの接近は「新しくも、驚くべきことでもない」とあるが、その通りである。

63ページから64ページにこうあった。
「カルト的環境の中の多様な信念は、すべて文化的正統派から逸脱・有害なものと見なされる点で一致している」「したがって、正統派への反発と迫害への抵抗を共有する」
ここには誤解がある。著者は「迫害されているから反発している」と捉えているようだが、そうではない。迫害が問題なのではない。そもそもの考え方が気に食わないのだ。
どこがどう気に食わないのかというと、「ゴチャゴチャ化」に対する評価である。

本書は、陰謀論とスピリチュアルが混然としている状態を「ゴチャゴチャ化してる」と見ているが、このものの見方、考え方が気にくわないのだ。
陰謀論者らはこう言うだろう。「ゴチャゴチャの何が悪い?」と。
世の中には、ゴチャゴチャしているところでしか、どうとでも取れるあいまいなところでしか生きられない人もいる。いる、というか、大多数の庶民はそうだろう。
ところが、文化的正統派の諸君にはそれがわからない。だから、ゴチャゴチャしている状態を見ると整理しようとする。よかれと思って整理するのだろうが、整理される方から見れば、それは抑圧以外の何ものでもない。
本書に登場する、共産主義、自然食、ホメオパシー、シュタイナー教育、陰謀論などを愛する人たちが「再開発計画」に必ず反対するのもこれが理由である。問題は、文化的正統派、政治的正統派の、なんでもかんでも整理しようとする整理癖にあるのだ。

そういう意味では、本書はまさに文化的正統派の整理衝動から生まれたものであり、ここで対象とされている者たちから見れば、抑圧装置に他ならない。
執筆者には、せめて、そういう自覚を持ってほしい。

ついでに言っておくと、陰謀論の世界はサブカルの人が面白おかしく解説すべきもので、ちゃんとした大学の先生が研究するようなものではない。
文化的正統派の諸君が関わると、この世界の魅力は半減する。

しかし、ここまで書いて、ふと思った。
文化的正統派は、共産主義者で、玄米菜食家で、ホメオパシーをやっていて、子供はシュタイナー学校か自由の森学園に通っていて、確信に満ちた顔で陰謀論を語る人を見ると、「ゴチャゴチャ化だ」「支離滅裂だ」と思うようだが、私には「ゴリッとした人」「筋の通った人」に見える。
果たして、認知が歪んでいるのは、どっちなのだろうか。


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