『宗民』という名前の由来と『ジョン(Jong)』にまとめた理由
親が子どもにどんな名前をつけたのか、そこにどんな思いが込められているのかを考えるのは、とても大切なことだと思います。
親しみやすさや円滑なコミュニケーションを意識して、「~ぴ」や「~っち」などの愛称を使うのは、全然悪いことではないと思います。ただ、個人的には、よほど親しい間柄でない限り、相手の名前を略さずに「~さん」と敬意を込めて呼びたいと感じます。もちろん、相手と親しい気持ちで接しているし、壁を作りたいわけではありません。それでも、名前が持つ意味や重みを大切にしたいという気持ちがどこかにあるのです。
『宗民』という名前の由来、名前に込められた意味と重みを大事にしたい
名前は、親が子どもに最初に贈るものであり、同時にその人の人生に影響を与える大切な要素です。私の名前「宗民」もそうです。日本と韓国という異なる文化の狭間に生まれ、この名前に誇りを感じる一方で、悩みの種として抱えてきました。
「宗」という字には「家の中心」や「宗教・教えの本質」といった重厚な意味があり、特に韓国では「太宗」や「世宗」といった王様の名前にも使われていて「宗」という字にはどこか貴族的な雰囲気があるな、と感じることもあります。
「民」と組み合わせることで「民の指針」や「精神的支柱」といった象徴性を持ちます。親がこの名前にどんな思いを込めたのかは聞いたことがありませんが、重みと静謐さを感じるこの名前は気に入っています。
「宗民」という名前は、見た目がどこか視覚的にシンプルで、柔らかく穏やかな印象があります。無駄がなくて、とても好ましいデザインだと感じます。でも同時に、その中には平和のためにリーダーシップを発揮しそうな力強さも秘めているように思えて、結構、お気に入りなんです。
言葉が変える自己の輪郭
しかし、日本と韓国のハーフであることもあり、どちらの文化にも完全に属さない「揺らぎ」を生きている中でずっと感じています。だからか、かえって基本的には物事をニュートラルに、シンプルに整えたいと思う一方で、その過程で何か大事なものをこぼしていないかと、右へ左へと振り子のように迷うことが多い人間になってしまいました。
名前に対する悩みにしてもそうです。例えば、苗字も韓国では「高(ゴ)」から日本では「三浦(ミウラ)」に変わりました。
名前についても同様で、「宗民」という名前は、日本では「そうみん」と発音されますが、韓国では「ジョンミン」と呼ばれます。ハングル表記では「종민」となり、これは漢字の音を形に表したものですが、見た目には漢字の痕跡は一切残っていません。ちなみに、中国語の発音では「Zōngmín」と「チョォンミン」といった発音になるようです。
現在、日本のパスポートしか持っていないため、公的な場では「三浦宗民(みうら・そうみん)」という名前を使用していますが、この名前にはどこか常に距離感を感じています。一見すると茶人のような名前にも思えますが、実際には手先が器用で穏やかに生きているわけでもありません。(ただ最近は、夜になると珈琲よりお茶を飲むことが多いので、お茶を飲んでいるときだけ、名前の雰囲気が少し美味しさを引き立てているような気がします。)
『ジョン(Jong)』にまとめた理由、漢字にある奥行きをこぼしたくない
だから、コミュニケーションを円滑に、滑らかにするために日常では「ジョンちゃん」や「Jong」といった表音文字で自己紹介をしていますが、どこかで漢字という象形文字が持つ奥行きや、東洋の精神性を大事にしたいと思っています。ハングル表記の「종민」には漢字の痕跡がありませんが、「宗民」という漢字には、静かな内面の強さや深い思索を感じます。
個人的には実は言葉で話すのが苦手で、すべてを書きたいと感じる人間なのもあり、普段の会話の中で十分に表現しきれない部分を、「宗民」という漢字が持つ重厚さや静謐さが、内面の一部として存在していることへの安心感は大人になって気づきましたね。
名前は、その人の過去や文化、そして親の願いを映し出す鏡となる側面があると考えます。それを改めて見つめ直すことで、自分自身の立ち位置をより理解し、未来への指針を見つけていきたいと思います。