子育て小説「 なずな 」堀江敏幸【 本の紹介 】
「 なずな 」堀江敏幸
五年前、今はなきFutaba+神戸マルイ店。その元店主さん(現在は、恵文社の店主)が、閉店翌日ささやかな打ち上げと称して冷麺屋に来て下さった際、一週間後に出産を控えたわが娘の誕生を祝ってプレゼントしてくれました。
この育児小説は、四十代独身の新聞記者である男性が、生後二ヶ月の赤ん坊の世話をすることになった体験を綴っています。
我が子が生まれる前のプレ体験として読んだのでしたが、来月で娘も5歳を迎えるのだから早いものですね。
ミルクを作り、飲ませ、げっぷを出させ、一瞬いっしゅんの成長に感動し、小さな変化に戸惑う。赤ちゃんに対するすべての描写が味わい深く愛おしかったです。
「 小さな子どもがひとり身近にやってきただけで、ものごとを見る心の寸法は変わってしまうのだ 」とは、その通りだと思います。
以下、気に入った(好きな)文章を摘み取りました。(ネタバレ注意)
「 喉痛くなくなった。おうどん食べたい! 」「 食欲が出てきたなら、もう安心かな 」「 うん。どんどん食べなさい。うどんどんどん 」ジンゴロ先生が言うと、友栄さんはまた困ったような顔をしたが、優芽ちゃんのほうは、うどんどんどん、うどんどんどん、と笑いながら繰り返す。(P36)
なずなは飲む。飲んでくれる。心配になるくらいに飲む。どんどん飲む。うどんどんどんだ。あっというまに飲み干したと思ったら、ぺんぺん草の手足からくたんと力が抜けて、もう目がとろとろしはじめている。ミルクのぶんだけ身体が重くなり、眠くなったぶんだけどこか大気中からもらったとしか思えない不思議な重さが、こちらの肩に、腕にのしかかる。(P44)
あいかわらず昼夜兼行の世話でこちらの疲れは抜けてくれない。身体を痛めつけるのも、疲労を消し去ってくれるのも、この子の、なずなの表情だった。(P54)
たっぷりした物量で機嫌のよろしいことをなずなは私に伝え、私もほっとして後処理をする。そして、またすぐに次が出てくるとおむつを替えておなじことを繰り返し、これでいいだろうと安心したとたん、ふたたび天使が歌でもうたうようにいきんで彼女は体内のものを外に出す。(P102)
しばらくすると、丸く開いたさくらんぼのような口から、ほう、という声が漏れ出て、ユニットバスの壁に跳ね返った。ほう、と私も返事をする。もう一度。もう一度、ほう、と言ってくれないか。(P104)
軽さと重さがこの子には等量詰まっている。この子だけではない。たぶん赤ん坊はみなそうなのだろう。突然ベッドからふわりと宙に浮いて、どこかへ飛んでいくような気さえする。風に吹かれて。いや、風に乗って。(P111)
短音で、はー、うー、というだけなのに、身体ぜんたいが風琴になってそよいでいる。(P128)
どこで眠っていても、彼女は空間を自分中心に変容させる。なずなだけではなく、赤ん坊にはそういう力が備わっているのかもしれない。とすれば、この世界には、赤ん坊の数だけ中心があるということになる。(P167)
子どもをひとり連れ歩くだけで、慣れ親しんだ空間把握の基準点がずれてくる。なずなが来てから、それを何度確認したことだろう。目線が下がり、五分の距離が三十分になり、一メートルの高さが五メートルにも感じられる。子どもの感覚をつねに想像し、それにシンクロしていくことで、人生をもう一度生き直している気さえしてくるのだ。(P220)
泣くときは、彼女が世界の重心になった。核からマントル、そして硬い地殻までも抜けて突き上げてくる泣き声は、極の磁力をも狂わせるほどだった。しかしこの表情はいったいなんだろう。地の底との関係を瞬時に断ち切って風船みたいにふわりとあがり、そのままはじける。部屋の空気がいっぺんに弛緩し、なずなではなく、見ているこちらが小水を漏らしたかと思えるほど力が気持ち良く抜ける。これが笑みだとしたら、笑顔は、どうやらひとりだけのものではないらしい。(P260)
私は守っているのではなく、守られているのだ、この子に。なずなに。(P435)
これから子育てをする人も、かつて子育てに奮闘した人にもオススメです。
※この記事の一部は、ラジオ番組「 ホンスキー倶楽部 」でも紹介されました。