【読書検証】20代にしておきたい17のこと
僕は新社会人で、銀行員というキャリアを選択しました。
そこでは、思い描いた理想とは程遠く、周囲と同じように事務ができず、叱責を受け、信用を失い続ける日々が、待っていました。
昼食時、従業員は支店2階で食べますが、居心地が悪かった自分は抜け出し、近くの公園でダイエー総菜と共に、読書に耽りました。
その中で出会ったのが、タイトルの本田健「20代でしておきたい17のこと」です。
20代で思い悩んだ時は、常にこの本を開き、感情を書き込んできました。
30代を前に何度も読んだ「やっておきたい17」が達成できたのか。
自分紹介もかね、振り返っていきたいと思います。
Part1 ~人生最大の失敗をする~
▶ウクライナでのバイク故障
2017年8月のウクライナ。
僕は「日本では考えられない凸凹道」をバイクで走り回っていました。
すると、幹線道路のど真ん中で、バイクのドライブチェーンが壊れ、全く動かなくなってしまいまったのです。
当時、僕は冒頭の銀行を約3年で退職し、バイクをロシアへ行く船に持ち込み、ロシアからポルトガルを目指す旅の最中でした。
海外の路面状況は、日本とは大きく異なり、当然気を付けて運転せねばなりません。
「この道なんかガクガクするな」と感じていましたが、ウクライナ美女会いたさに、猪突猛進でハンドルを回し続けました。
(このレベルが、あらゆる箇所に存在)
そんな時、バイクのエンジン部から
「バキッ」と異音が。
町から離れた道の真ん中で、バイクが全く動かなくなった僕は、ひっそりと路肩に止めるしか、できなくなったのです。
悪いことは重なるもので、周囲は全くWifiが使えない環境。
藁をも掴む想いで、日本のバイク仲間に助言を求めるべく、時差も気にせず、国際電話をかけました。
すると・・・
彼らは、真夏の北海道にツーリングででかけており、酒盛りの真っ只中でした。
「ウニ」と「サッポロクラシック」両手に
僕の状況を聞いて笑い転げている時
殺意の波動が湧いた事を覚えています。
結論としては、現地の方の助けにより、幹線道路から市内へ戻ることができました。
また日本の両親に「ウクライナのバイク屋へパーツ送付」を依頼することで旅は再開でき、ポルトガルへ辿りつくことはできました。
しかしながら
「こうすれば、どうなるだろう」
「これをするとどうなるんだろうか」
危機管理能力の欠如から、人生最大の失敗を起こしたことは、反省点になっています。
(小学生みたいですね)
▶契約書の代筆
2016年、僕は銀行で保険営業をしており
契約を連続獲得し、調子が良い状態でした。
しかし、そんな中
職場の全信頼を失うことをしてしまいました。
当たり前ですが、営業にあたり「契約書はお客様の面前で、記入してもらう」というルールがあります。
ある日、一つの御家庭で、奥様と旦那様に説明を行い、内容理解いただき、加入したい、という状況になりました。
旦那様が仕事で忙しく、来店できない状況のため、奥様から「旦那に書いといてもらう」とご提案が。
面前記入ではないもの、本人説明・同意は終えたから問題ない、と勝手に判断した自分は、後から契約書を回収しようと思いました。
これが、大きな問題に発展します。
後日、回収した契約書を上長に渡した時に「これ本人に面前で書いてもらったのか」とふと質問されました。
正直に伝えればよいもの、戸惑い焦った自分は、数字欲しさから「書いてもらいました」とウソをついてしまいました。
結果、旦那様の契約書に書かれていた文字は、奥様の契約書と瓜二つ。
上長の確認で、奥様の代筆が発覚しました。
至急お客様へ連絡し、その日は運よく旦那様がおられ即訪問。
本人の加入意向はあるため、その場で記入してもらい、契約には至りました。
しかし、職場で自分が信用を地の底に落としてしまったのは、想像に難くありません。
職場の仲間、上司を欺こうとしたのです。
契約獲得で支店に貢献したい気持ちがありましたが、ウソを職場の人に貫き通そうとした事実は、消えません。
信用を無くした自分は、一定期間訪問をさせてもらえず、来店での契約しかできなくなりました。
後悔や恥ずかしさから、必死で架電し営業を続け、ある保険部門の地区表彰を受け、再び外回りできる状態には戻ります。
しかし、その場しのぎでルールを軽視し、信頼をゼロにしてしまったことも、人生最大の失敗と痛感しています。
Part2 ~大好きな事を見つける~
▶一人旅行
僕は神戸出身で、父は山口出身です。
小さい頃から、葬儀で親戚が集まる際、あまり聞かない方言を話す人を見ると、何故かテンションが上がっていました。
家族と車で出かけるのが好きで、言葉が変わると遠い場所へ来た、という実感が湧くからだったのかもしれません。
話は変わりますが、中二病とは元来中高で発症し、大学を出る頃には完治されているはずの流行り病です。
中二病の治りが悪かった自分は
「バイク旅してる自分・・カッコいいな」
というスナフキン思想が重篤化しており
20代では沖縄を除く46都道府県に加え、ロシアやヨーロッパ23か国をバイクで旅する程、一人旅に夢中になっていました。
初めての一人旅は、2014年3月でした。
関西から出航するフェリーに乗り、「バイクで大分へ上陸し、南九州を一周する」という漠然としたプランを立てました。
大分港に到着するや否や、突然エ〇バの証人に勧誘される洗礼を受けましたが
道の駅仮眠室で寝袋を敷いて泊まったり
地元の人から温泉の回数券をもらい、温泉に入ったり
鹿児島市内へ向かうため、ガソリンスタンドでヒッチハイクしたり
卒業祝いに、お土産をもらったり
最終前夜の宮崎で、大雨に見舞われました。
ホテル従業員のご厚意で、ロビーにバイク停車させてもらえましたが、不注意さから転倒させ、オイルを床にまいてしまいました。
加えてバイクが転倒し、ロビーの壁を、破壊してしまいました。
凄惨なロビーを見て「いくら弁償しないといけないんだろう」と青ざめた自分でしたが、従業員の方に報告。
「このロビーどげんとせんといかん」と言われ、顔色も変えず許してもらえました。
名言キタ━と思う余裕はなく、自分も掃除し
3,000円の修繕費で良いとのことでした。
多くの方に迷惑をかけながらも、優しさに
触れることのできた旅になりました。
恋人や友人との旅行も素敵ですが
一人旅にしかない良さがあります。
自分が動いた分、新しい人と出会える。
好きな場所に、好きなだけ入れる。
全てを自分本位で決められる、代えがたい時間だと思っています。
Part3 ~一流のものに触れる~
貧乏旅行が多かったため、一流のものを身にまとい口にし、一流の場でサービスを受ける経験を、多くはしていません。
あまり馴染みはありませんが、パッと出てきた思い出では、以下がありました。
▶叙々苑での焼肉
ベタなお店ですが、払った焼肉代で最も高価なところだと、ここが浮かびました。
焼肉については、高校時代は焼肉六甲。
大学時代は、ワンカルビ。
胃が悲鳴を上げるまで食べる否、詰める
という思想を頂いてきました。
高級店より普通のお店で、量を多く食べたいことが多かったのですが、Go to Eatキャンペーン時に、一度足を運んでみました。
日頃のお店も良いのですが、そこでは優雅な"空間"で食事をしてもらうことを心がけているお店の姿勢が、感じられました。
座席につくや、服・カバンに臭い防止カバー
排煙装置が内蔵され煙上がらない七輪
マスクカバーのお渡しや、店内の音楽や景色
お肉の質も素晴らしく、スタッフの方が丁寧に焼いてくれるサービス
コールボタン押すと、すぐ来てくれる対応
帰り際のお見送り
などなど
「またあのようなサービスを受けに行けるよう頑張りたい」と思えた外食経験はあまり無く、とても新鮮でした。
■追伸
予算内で胃を満せなかった一行は、その後吉野家へ直行し、牛すき焼き御前を食べ、サティスファクションの最大化に成功。
▶ギリシャでのホテル代
こちらは、バイクでユーラシア大陸横断時の思い出から。
「サントリーニ」というギリシャの島へ向かうフェリーで、僕は人生で一度に支払う点では、一番高価な買い物をしました。
1泊のホテル代 10万円です。
バイクでロシアやヨーロッパ横断中、ドミトリー安宿1泊はロシアで500~1,000円。ヨーロッパで1,500円前後。
しかし、青の海原を見ていると「良いホテルに泊まらなくては」と貧乏旅へのパンクな感情が生まれ、ブッキングコムで予約しました。
チェックイン後、ハネムーンやセカンドライフ勢をよそに、東洋人の汚い小僧が、一人でロビーで案内を受け「サー」と呼ばれる様子は、完全場違いでした。
スタッフからは、部屋からの夕日が、とても素晴らしく見どころだと案内を受ける。
ボーイに全ての荷物を運んでもらい、自室のプールでシャンパンを煽る煽る・・・
日頃、タコ部屋で過ごす反動から
↓のような行動
調子に乗った結果
グデングデンに酔いました。
キングサイズのベッドに横たわった後、目を覚ますと辺りは真っ暗。
夕日を見に10万円以上払う宿泊客がいる中、完全に夕日を逃すという痛恨のミスを犯してしまいます。
寝起後ワインの抜けない頭でレストランへ行くと、そこは優雅に食事をし、お互いを見つめ、愛を囁き合うハネムーン勢が。
彼らがオシャレなシャツやドレスを羽織る一方、僕の身なりはドラクエでいうなら
----------除毛したタロス Lv26---------
E.(未完走の)神戸マラソンTシャツ
E.adidasズボン
E.クロックス
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上のような実家スタイル装備・・・
甲子園のライトスタンドで
巨人ユニフォームを着る並に恥ずかしくなり
TPOの大切さを、学びました。
夕食後、youtubeやpo〇nohubを見てダラダラしていると、4時になっており、行動も実家と変わらぬ1日になってしまいました。
無駄金になったことも多いのですが、上記の数少ない僕の中での高級サービスを通じ、僕の意識に少しだけ変化がありました。
銀行員時代の僕は
「他社が安く提供している商品を高価格で
売る自分は人を騙している気がする」
と常に感じていました。
しかしこの1日を、もっと安いホテルで過ごしていたら良かった、と後悔することは、未だありません。
値段に相当する満足感を、受けることができたからです。
これらの経験から学んだことは以下です。
「自分の営業力や、ホスピタリティがあれば、モノを売る時、どれだけ他と比べて高くても、後ろめたさを感じる必要は全くない」
このような気付きを得られた良い体験だったと感じています。
Part4 ~人生を100%楽しむ~
筆者は、文中で幸せな人の特徴を
「100%楽しんで生きていること」をあげています。
ここで大切なことは、努力することなく
ワクワクしながら最後までやり切る、感覚。
プライベートを思い返すと、友人のため、恋人を喜ばすため、自分で考えた企画の準備を行う時、これを得ていたと思います。
20代中ば、僕は1K家賃3万5000円の
アパートで過ごしていました。
ユニットバスも低家賃の理由ですが
一番は下のフロアにカラオケがある点です。
そのため僕の春夏秋冬は、常に音楽とともにあります。タワーレコード並みに日常が、No Music No Lifeでした。
~♪~
TUBEが下から聞こえてくると
夏が来たことを、実感し
冷気とともに、B’zや山下達郎が
下から聞こえてくるとクリスマスを感じ
妻まりやも下から聞えてくると
自転車にまたがりケンタッキーへ駆け出す
テレビはありませんでしたが
「カーモンベイベー~♪」
と下から聞こえなくなると
Dapump勢力の衰えを感じる
このような全自動USENと
つねに過ごしてきました。
しかし、親友の結婚式2次会で
「僕がギターを弾き新郎が歌う」という
サプライズを企画・実行の段に
この物件に心から感謝しました。
僕はギターを手に取り
5Fから2Fへとエレベーターで降りていき
アルペジオを夢中で練習できたのです。
カラオケボックスで練習の結果、レミオロメンの名曲3月9日を、2次会 (3月10日) に無事披露できました。
この練習が、目の前の事を言われたわけでもなく、100%楽しみ取り組めた状態。
人のために考えた企画を成功させるべく、最大限の準備をしている時だったと思います。
一方、仕事面ではどうか。
残念ながら自分は、前職でも現職でも、自分があまり価値を感じえない仕事にはイヤイヤという姿勢です。
ただし、銀行員の頃にもこれを読み、飛込訪問や、電話リストに架電する作業を一つの地区やリストをコンプするゲームと前向きにとらえ、取り組む努力をしました。
その中で
「初回電話は、このトーンが良いな」
「次はこのような電話をしてみよう」
などと積み重ねた結果
今の仕事へと転職しても
”電話でコンタクトするスキル”として
自分の身になっていると感じます。
(失敗も多いですが)
また、当時は無形商材だったので
お客様へ販売後のイメージを得づらく
「このような高い金利のローンを
組んでも、意味がないのでは」
「こんな利子の付かない保険で
お客さんは何が喜ぶのか」
いろいろと理由をつけ、営業が後ろ向きになるようなことばかりを考えていました。
そんなある日、この章から、前向きに変換する力を、活かしてみようと考えました。
「こんな高金利のローンを組んでも
意味ないのでは」
⇒高い金利ではあるが
即日、融資を受けて、人の役に立てる。
複数ある借入を、このローンに一本化して
返済シンプルで分かりやすくなる
「こんな利子の付かない保険で
お客さんは何が喜ぶのか」
⇒定期に置くより、高金利。
保険の積み立てであれば
引き出しも簡単にはできないため
“鍵のかかった貯金箱”に
お金を入れていくイメージで
将来喜んでもらえるのではないか。
一種の洗脳に近いですね(笑)
でも営業マンは、この洗脳の大切さを理解してもらえるのではと思います。
僕は、自分が役に立てると捉えないと物は売れない、と感じるためです。
そのように考え、多くの新規先をあたっていくと、結果はみるみるうちに変わっていきました。
上司から言われていた仕事
⇒自分の立てた仮説を検証する場
という転換を向かえるようになります。
トーンが明るく熱を帯びる様になり、それが不思議とお客様にも伝わった結果、コンタクト率が上がっていったのです。
次に、少しの自信と楽しさから
今度はあのような話し方をしてみよう
他支店であれだけ新規が取れているから
自分はまだまだだな
好奇心や向上心にも
つながっていくことを感じました。
このことに気付くまで、非常に時間がかかりましたが、もっと真剣にやっていたら、また別の世界が見えていたと思います。
~本文より~
竹田製菓の代表取締役、竹田和平さんは、タマゴボーロを作るとき、安い卵と有精卵の高い卵のどちらを使うべきかを判断する際、まだお金がないうちから高い卵を使っていたそうです。なぜなら、その方がおいしいから。
誰も見ていないけど、天だけは知っている。だから誤魔化さずにやってきたのです」
このような考え方を、自分も実行しなければと思っています。
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