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73.チャットGPTに「不幸というものは、何とみっともないものだろう」という質問をしてみた

【質問】
ある小説からの引用です。
「不幸というものは、何とみっともないものだろう」
説明してください。

【回答】
この文は、不幸は恥ずべきものであるという意味を表しています。不幸は一般的に、悲しみや苦難、不運な状況に見舞われることを指します。この文は、不幸が人々にとって不名誉なものであり、社会的な評価を低めるものであるという考えを示唆しています。

この文の背景や文脈によって解釈は異なるかもしれませんが、一般的には以下のような意味を含んでいると解釈できます。

1.社会的な評価の観点から見た場合、不幸は見苦しいものだという意味です。社会的に成功や幸福な人生を送ることが価値あるものとされる場合、不幸はその反対の状態であり、人々の目からは避けられるべきものと見なされるかもしれません。

2.不幸な出来事や状況に見舞われることは、人間の尊厳や自尊心に対して攻撃的なものとされるかもしれません。不幸は、個人の能力や選択によって回避できるものではない場合もありますが、それでもなお、不幸に見舞われることは個人の弱さや劣等性を暗示するものとされることがあります。

ただし、この文はあくまで一つの意見や見解を表しているに過ぎず、不幸に対する全ての見方を包括的に表現しているわけではありません。不幸は個人や文化によって異なる評価がされることもありますし、不幸な状況から学びや成長を得ることもできます。

【感想】
質問の文章は、山田詠美の直木賞受賞作『ソウル・ミュージック・ラバーズ・オンリー』から引用した。

不幸を「みっともない」というのは、独特の感性だろう。
今回の質問を書くきっかけとなった言葉だが、独特の感性の人はひとまずおいといて、人が不幸に直面した時の対応について、3つのパターンを考えてみた。

1.「不幸はしょうがない。あきらめる」
「あきらめる」というのはあまり良くない言葉だが、ここでは「じたばたしない」という意味になる。
特になにもせず、不幸という嵐が過ぎ去るのを待つ。

2.「不幸なのは認める。でも負けない」
不幸なのをいったん「認める」という考え方。
認める、というのはいったん身を縮める。そして、「でも負けない」と反発する。

3.「不幸ではない。だから負けない」
けして、不幸じゃない。だから不幸を認めないし、負けたとも思わない。

さて、どうだろうか?
1.「不幸はしょうがない。あきらめる」
というのは悪くない考え方だと思う。
不幸に対して「じたばたしない」方が良い場合もあるように思う。

2.「不幸なのは認める。でも負けない」
不幸を「現状認識」し、それに対して対策を考えて反発する。
というのはもちろん、十分ありだと思うが、不幸をきちんと「現状認識」するのが意外に難しいと思う。
人間は「感情の動物」だから。
変な感情が入らず、冷静に今の不幸な自分を認識することが出来る人が、どれだけいるだろう? とは思う。

3.「不幸ではない。だから負けない」
最初から不幸を否定するのも、もちろんありだと思う。
実は、2.の「現状認識」するより、不幸をアタマから完全否定してしまうほうが、単純でわかりやすい、と思う。
ただし、「現状認識」ができていないので、その対応は間違えやすい。

ということで、私の場合、
2.「不幸なのは認める。でも負けない」
そういう前向きの考え方だった。この感想を書く前は。

でも今はなぜか、
1.「不幸はしょうがない。あきらめる」
という方に傾いている。

不思議な気持ちだった。
「不幸について」を書く前と後で、考え方が変わったのだ。

よく言われる方法だが、
「自分の考えを紙に書いてみる」
とすることで、考え方が変わったりすることもあるんだ、と思った。
今回、微妙なまとめになったのは、そういう訳です。

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