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その4 いたわる ①自分となかよく 一生の道連れを大事にする

「いたわる」は、たいていは他者を対象とする動詞だけれども、その4では、自分に対して「いたわる」アレコレを記していくつもり。

そして、そもそもの「いたわる」の意味のまとめは、此方↓がとても参考になる。↓

「自分をいたわる」ことは、華女にとってどうして大事なのか?

それは、どれほど長く深い付き合いの他者であっても、その人の苦労や痛みなどを知り尽くすことはできないが、自分自身については誰よりもわかっているということに気づいたからである。

わたくしが生まれてこのかたずっと一緒に居たのは、「自分」。片時も離れずに、苦楽を共にしてきた自分自身のアレコレに対して、この地球上で一番共感をもって「いたわる」ことができるのは、自分しかいないと、考えたのだ。

そのアイデアのきっかけは、自尊感情のワークショップのファシリテーターの経験にある。提供した、自尊感情のプログラムにおいて、何のことはないはずのアクティビティで、涙を流す参加者がちらほらと出ることに困惑した。分析すると、その人たちの共通点は、「自分のことを好きになれない自分」と、そうなった傷にワークショップで唐突に直面したショックのようだった。

わたくしは全くの力不足で、きちんとフォローできず、その時限りのワークショップとなったことを、数十年たった今でも申し訳なく感じる。

まさか、「長所をあげてみよう」「楽しかったことを思い出そう」などという他愛のないワークが、大人を泣かしてしまうことにつながっているなどと想像できなかった。わたくしにとっては、ただただ、驚きと戸惑いでしかない反応だった。実際に、ほとんどの参加者には感想も評価も良好であり、その反応のギャップもポイントを見えにくくし、どんな声がけをすべきかわからなかった。

自分としては、「自分を好きになりましょう」「自分を大事な存在と認識しましょう」と強制したつもりはなかったから。

やっとのことで導き出した結論は、素直でまじめなよいひとほど周りの要求を聞き入れて、足らない部分を「ダメな部分」「直さなければならないところ」と認識し、不足感に常に悩まされる、ということか?というあたりに辿り着いた。これもかなり大雑把な捉え方だとは思いながら、あながち的はずれではなさそうだと考えた。

対して、わたくし自身は、欠点や短足りないところ、できないことは山ほどあったとしても、これまで頑張って生きてきたことは紛れもない事実であり、誰よりも自分自身がずっと自分の味方でいようと中学の頃に強く決めていたことからくる、「自己肯定」がベースにあった。

それでも、社会人になって数年間は、できない、足りない自分を厳しく追い立ててしまい、過労で倒れた。その時の入院先のベッドで、今後の自分の処し方をじっくりと考える時間に恵まれたわたくしは、「今回は、過剰適応の結果、自分をないがしろにしてしまった。結局のところ、自分のことを大事にできるのは自分しかいない」と結論に至った。この体験と気づきがわたくしの基盤になり、ファシリテーター活動に向かわせたのだった。

ただし、この認識は一般的ではないために、何らかのトラウマを抱えて自己否定に陥っている参加者にはトラウマへの刺激を生み出していたのかもしれない。

心の痛みを生じさせずに、楽な心持ちでいられるために何ができるのだろう?と考えを進めていくと、各人が「自分となかよしになる」ことが必要だと思い至ったのである。

人生のゴールまで道連れになってくれる「自分」を否定するのは、誰にとっても辛いこと。だから、たとえ好きになれなくても、とりあえず、なかよく(和解)できないか?と考えたのである。

そもそも平均的日本人は、保育所、幼稚園、小学校で「お友達と仲よくしよう」と何度も躾けられる。対して、ドイツでは、「自分は大事」を基盤に対人関係を学ぶように教科書が作られているのを昔知って、驚いたものだ。

自分よりも他者との和合を優先するために、自分の輪郭がはっきりとしない日本人とも言える。軽い自尊感情のワークで、その心づもりもなく「自分」に直面して、戸惑われたのかもしれなかった。

とにかく、「自分となかよく」できるスキルを知れば、もしかすると自己否定のキズを癒すことができるのでは?と思ったことだ。

「なかよく」するスキルは、日本人、とりわけいい人は得意なはず。なかよくする対象を、「自分」に設定すればいいのではないか?それを実行するためのヒントが↓に在った。

お友達と仲良くする方法は、既に周知のことだ。相手の良いところを見つけて褒める、優しい言葉を贈る、話を聞いてあげる、好きなことを一緒に楽しむ、美味しいものを一緒に食べるなどなど。

但し、巷にいうところの「自分にご褒美」というのは、違うと思う。それは、自分に我慢を強いていたことへの「補償」だから。それよりも、無理させてごめんね、と鏡に向かって一言謝る方がずいぶん心が軽くなると、わたくしは想像するのだ。

「自分」を昔からの友達として、もしも否定したり、ないがしろにしていたなら、まずは「ごめんね」と謝って、そこから対話を始めることだ。

「自分」をいないかのような扱いをしないこと。それがとにかく肝心と思う。

そんなことを考えていたところに、コロナ騒動のおこもり期間中、「セルフコンパッション」なる概念も新しく知った。

いつも元気でいるわけにはゆかないのが、人間。今後、心身に弱りを増していくであろう華女は、「年を取ったなあ」「ダメだなあ」「若い頃はできていたのに」などと自己否定に陥りやすくなるはずだ。そんな苦しい事態にこそ、「自分」を「いたわり」、自分を受け入れる大切さを改めて確認したい。セルフコンパッションは、良い知恵袋になりそうだ。

それに、華女の年齢ともなれば、これまで自分自身を縛っていた思い込みや、トラウマ、クセなどなどからもうそろそろ自由になっていもよい頃合いではなかろうか?自己解放について楽しそうな、書籍を見つけた。↓

この本についての詳細は↓の記事で知ることができる。心の仕組みをわかりやすい図解で示されているのも斬新。

みんな、生まれてくる時も一人、そして死ぬ時も一人なのだ。どんなに嫌でも一生付き合うのは「自分」ただ一人だ。だからこそわたくしは、その「自分」を生涯の友として、大事にしたいと切実に思う。ちゃんと「いたわって」身軽になろう。そう決意している。

球根に抗がんの薬効も 朱の花ヒメオウギスイセン

最後までお読み下さり、ありがとうございます。感恩戴徳。


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