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NNN

『ねこねこネットワーク』通称『NNN』
それは猫が人間界でよりよい生活を送るために
適正な場所に派遣されるネットワークシステム。
猫界でそれが存在するのなら人間界の猫たちにも
そのようなネットワークがあるのではないだろうか。

小さな神社の階段に座り昇(のぼる)は
足元の桜の花びらを乱暴に靴で押し付けつける。
「なにが遠足だ。まじ精神年齢低すぎ」
保護者たよりと書かれたプリントをぐしゃりと丸め隣のランドセルにしまう。
その小さな音に驚いて、反対側に寝ていた野良猫の
クロがぴくりと顔を上げる。
…が、やがて何事もなかったかのように寝始めた。
「…心許しすぎ。猫なんだから少しは猫かぶれよ」
そう言いつつ昇は穏やかに笑う。

クロは半年前この町で出来た唯一の友達だ。
名前通り見た目は真っ黒で目はグリーン。
黒猫は身を隠しやすい色だから
警戒心が薄いって言うけど
クロに限っては逆だ。
最近はなくなったけど、
学校帰り真っ直ぐ神社に寄る僕を、
物陰に身を隠して目をギラギラさせて一時は観察してるし、
物や風の音なんか背中を弧の字にさせ飛び上がる。
僕がお母さんに髪の毛を短く切られたときなんか
シャーって言って逃げて行ってしまった。
だから出会った頃は当たり前に
お互い警戒し合っていたんだけど
時間が経った今では言葉を交わさずとも
理解し合える仲になった。
きっと同じ匂いがしたのだろう。

クロは昇を見上げ目を細める。
そういえば最近グリーンの光を見ていないな。
かわいいやつ。
昇はクロのお腹を摩ろうと手を伸ばす
そのとき
カサッ
音の先階段手前に人影が見えた。
 <<誰か来る>>
伸ばしかけていた手を引っ込め昇は慌てて
ランドセルを持ち立ち上がる。
そして一目散に階段を駆け下りた。
クロも飛び起き林へ逃げていく。
再び桜の花びらが息を吹き返す。
最後の段を降りたところで目の端に高校の制服を着た
髪の長い女性が写った。ふんわりと甘い香りが漂う
しかし滑稽な昇とクロ姿を嘲笑うように
舞う桜の花びらたちに余韻はかき消された。
猫をかぶれないのなら逃げるしかないのかー
そんなことを言われている気がした。

午後五時半
昇はアパートの駐車場を見て安堵と落胆の混ざったため息をつく。
思い空気を吸いアパートの階段をのぼった。
鍵を開け家に入るとすんと冷たい空気が漂う。
廊下を背に玄関に座ると
自分の制服を毛取で念入りにコロコロした。
汚れた靴はそのまま玄関へ並べて置いておく。

午後八時、母親と二人で夕食を囲む。
今日は昇の大好きなハンバーグだ。
仕事帰りの母親が1時間かけて作ったもの。
「学校、楽しかった?」
母親がほほ笑む。
昇は待ってましたと言わんばかりに
「今日は斉藤たちとドッジボールしたんだ。もう白熱。放課後は延長戦だったからちょっと遅くなったってわけ。だからごめん靴汚しちゃった」
と夢中で話す。母親はうんうんと頷き
最後に「そう!良かった!」と満面の笑みを浮かべた。
昇は安堵し、
「それよりお母さん、僕もうすぐ中学生だよ。この町にも慣れたし、
お母さんに構っていられないし彼氏くらい作りなよ」
と無心でハンバーグを口へ運ぶ。
母親はぱちんっと昇のおでこを指ではじいた。
「子供が余計な心配するんじゃありません!」
そう言って薄く笑う。それを見て昇も笑う。
頭の中でそういえばハンバーグってどんな味だっけと考えていた。

次の日、昇はいつものように神社へ行く。
階段を上がりきったところで足が止まった。
摂社の前に見慣れない女子高生がいた。いや正確には昨日すれ違った
甘いにおいの正体だ。
長い黒髪を耳にかけ。伏せた目から長いまつげが覗く。
昇は息をのんだ。胸の鼓動が速くなるのが分かる。
そのとき
「ニャー」
クロだ。
クロが女子高生の正面へやってきたのだ。
昇は目を疑った。
へっぴり腰で近づき女子高生差し出す手をクンクンと嗅ぎ
…ペロっと指を舐めたのだ。

「なに猫かぶってんだよ!」

昇は思わず叫んだ。
はっとして口をつぐむ…が、もう遅い。
クロはどこかへ走り去ってしまったし女子高生はびっくりしてこっちを見る。
その瞳は大きく吸い込まれそうだ。
初めて出会ったときのクロのようにそれはギラギラ揺れる。
昇は囚われた獲物のように動けない。

やがて女子高生はふっとほほ笑んだ。
その顔は美しく女神のよう。
そして切れ長の目を細めてこう言った。

「猫かぶるのは、生きる為でしょ」

午後四時
昇は自宅に向かって走った。無我夢中で走る。
昨日よりも高く桜の花を再び舞わせていた
自宅の駐車場に車があるのを確認し「やった」と
思わず声が出る。心に拍車がかかった昇は勢いよく玄関を開けた。
「お母さん!」

リビングで新幹線柄のナップザックを作っていた母親が驚いて顔を上げる。
「どうしたの!」
母親は久しぶりに会ったような、忘れていたような
そんな表情で息を切らす息子の顔を凝視する。
「猫飼って良い⁉白と黒の!どちらかと言えば黒色多めだけど…
樋渡神社に居て、毎日放課後会いに行ってたんだ、一人じゃ寂しいでしょ!
それで、懐いてるんだ!僕に凄く!だからお母さんにも懐くと思う!」
昇は勢い良く喋る。
瞳をギラギラ輝かせ一生懸命喋る息子を母親はしばらく見つめていたが
「…うん!飼おう!迎えに行こう!」
と、昇と同じく光放つ瞳を細め、同意した。

次の日昇は神社に行った。
だけど姿はない。それは次の日も。その次の日も。
スニーカーを汚すこともなく午後四時に家へ帰る。

家では母親が笑顔でクロと迎えてくれる。
今日はクロをシャンプーしたのよ
クロ初めて病院行ったのよ
良かったねもう寂しくないね。
母親は目を細めて言う。
確かに、この先駐車場に車がない日もクロが待っていてくれる。
夕飯時斉藤の名前を出すこともない。
ハンバーグもおいしくなった。
昇のことをあざ笑っていた桜の花びらたちがいつの日か
何の変哲もない葉っぱに変わっていたように
昇から猫は消えていた。

あくる日
昇は休み時間本を読んでいた。
その時頭上から声がした。
「猫飼ってるの?」
昇は顔を上げる。
そこにはニコニコと笑う女が立っていた。
初めての状況に理解が追い付かない。
女の胸には香田と記されている。
どうやら香田という同級生が僕に話しかけているらしい。
昇は「まあ」とぶっきらぼうに答えた。
「私、猫好きなの!」
そう言い香田は勢いよく腰を下ろす
視界が女でいっぱいになり昇は体をそる。
香田はお構いなしに続ける。
「家族みんな猫好きで、特にお姉ちゃん!
野良猫見つけてはチュールあげちゃうの!
ダメだよって言ってるのに…あれがないと懐いてくれないんだって。
少し前は神社に黒猫がいたとか言ってて…」
そのあたりから昇は香田の言葉が入ってこなくなった。
猫のように鼻と目を集中させる。
香田の瞳は大きく光っていた。
…それと甘いにおい。
昇は本を閉じ香田を真っ直ぐ見据える。そして
「良かったら僕んちの猫見に来る?」
と、言った。
二度目のこのセリフを。
香田は一瞬驚いた顔をしたが頬を赤らめ
「うんいく!!」
と、目を輝かせ喜んだ。
昇も目を輝かせる。
彼から猫のしっぽがちらついていた。


よりよく生きる為適正な場所へ派遣されるネットワーク『NNN』
それは人間界の猫たちにも存在する。

猫に好かれたい女子高生は片手にチュールを隠し持つ。

大人びた一人息子を持つ、歳に見合わないシングルマザーは息子の前で
寂しさを必死で隠す。

小学生男子は一目惚れした女子高生に
そのクロ猫は自分ちの猫だと嘘をつく。

小学生女子は好きな子の前で
好きでもない猫の話をする。

人間界の猫たちもよりよい生活を送るため
様々な場所に派遣されていく。
聞き耳を立て目を光らせるのは生きる為に必要な
術なのだ。
そして安心できる場所が築けたとき 
彼らは目を細めて笑う。
こうしてネットワークを広げ続けるのは
どんな場所でも目を細めて笑い合えるように願っているから  


「良かったらお姉さんも連れてきなよ」
放課後、昇は隣を歩く香田に優しくほほ笑みかける。
「でもお邪魔じゃない?」
眉を下げ遠慮する香田に
全然ぜんぜん~!!昇は手をぶんぶん振りながら目をぱちぱちさせ笑う。
わざとらしいと内心思う。
「でも…」
香田はランドセルの肩ひもをぎゅっと持ち立ち止まる。
「どうしたの?」
「やっぱりいやかも」
「え」
「昇くんがお姉ちゃんのこと好きになったらいやだからやっぱりいや!」
まっすぐに昇を見る今にも泣き出しそうな香田に
「え…いやそんなこと」
昇はごもった。
香田の扱いに困ったわけではなく
「じゃあ…とりあえず香田さんだけ…」
しっぽが見え隠れする、自分のコントロールに。

揺れる葉っぱに何だかそわそわし、
おぼつかない心臓はしっぽのようにリズムをとる。
そういえばくしゃくしゃになったプリントって元に戻せるんだっけ 
と小学生の昇は頭の中で考えていた。

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