ガチでマジで
ガチでマジでヤバイって。エグいって。小6の長男がよく口にする言葉である。それはいいことが起きている状況なのか、悪いことが起きている状況なのか。詳しく説明をしてもらわないとわからない。
かつては自分も同じだったのかもしれない。マジでうけるね、などと言っていたはずだ。おぎゃーおぎゃー、と泣いていた赤ちゃんが、少しずつ言葉を覚え、流暢に話すようになり、やがて言葉が乱れ、口が悪い場面が増えてくる。自然なことなのだろう。思春期の入口に立っている子を持つ母親なのだから、それらのいわゆる若者言葉を、右耳から左耳へと聞き流すくらいの平常心を持ち合わせていなくては。
学校生活において、自分の身近な人が使っている言葉と同じ言葉を使う、というのは、仲間を形成していく上でとても大切なことのようだ。マジやばくね、と言う友達にたいして、わたくしも同感でございます、なんて言っていたら、仲間にいれてもらえなさそうだ。仲間内で同じ言葉を使うことで、絆が深まっていく。
そんな思春期の入口に立っているに息子に、ぜひ読んでほしいと思っている本がある。
友だち幻想 菅野仁 著
なにをきっかけにこの本を読んだのかは思い出せないが、これは素晴らしい本だと、いたく感激したことはしっかり覚えている。自分のことを一番わかってくれる人は、自分。親友でもなく恋人でもなく親でもなく、自分。これがわかるとすごく楽になるんだよーと、長い人生が始まったばかりの子どもたちに伝えたくなる。
なぜ友達なのに自分の気持ちをわかってくれないのかと、悲しい気持ちになったり、なぜ私のことをわかってくれないのと友達に怒られたり、そんなことの繰り返しが青春の中身なのだから、それらを経験すればいいのだけれど、あまりにもややこしい人間関係に巻き込まれていそうなときは、ぜひ伝えたい。みんな、自分のことをわかって欲しいと思っていて、ケンカの原因が実はそこだったりするのだ。友だち幻想が教えてくれることは、自分のことを本当にわかってくれるのは自分だけ、という淡々とした事実だ。
自分と合わない人とは適切な距離をおく、ということも書かれており、
この解説も素晴らしい。社会人になった多くの人が、いつの間にか習得している、人との距離の取り方なのだが、10代ではそれを上手くやるのがまだ難しい。というよりは、10代の10年間でそれを学んでいくのだろう。
ぼんやりとした記憶がある。私は小学校の教室の入口に立っている。廊下と教室のちょうど境目、引き戸のところだ。戸は開いた状態。廊下に立っている女の子が、私の右腕を引っ張る。◯◯ちゃん、私と遊ぼうよ。教室にいる別の女の子が、私の左腕を引っ張る。◯◯ちゃんは私たちと遊ぶのよ。私の両腕はそれぞれの方向へ引っ張られている。女の子たちが私を取り合っている。教室内にいた女の子は複数人いるか。その女の子たちが誰だったのかまでは思い出せない。私は思う、なんでこうなるのかな。
私とA子ちゃんとB子ちゃんとC子ちゃんと、全員で遊べば問題は解決する。でもそれはできない。私とA子ちゃんと2人きりで遊んだり、私とB子ちゃんとC子ちゃんと3人で遊んだりするのが、正解。私がA子ちゃんと遊んだことは、B子ちゃんには伝えないほうが、よさそう。そんなことをなんとなく、小学生女児は覚えていく。
小学生男児の友達関係でも色々なことがあるだろう。なにかあったらすぐに助けられるように、ウザがられない程度に、見守りを続けたい。
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