シェアハウス・ロック2312中旬投稿分

文楽との縁1211

 文楽と私の縁は、前々回の「ローライフ」から始まる。正確には、私ではなく、おばさんと文楽との縁である。ネタが文楽だから、縁(えにし)と読んでね。そのほうが気分が出る。
 ある日、おばさんが「ローライフ」に行くと、ひとりで飲んでいる人がいた。その人が文楽の太夫さんだった。文楽を知らない人に若干解説をすると、文楽は、太夫、三味線、人形遣いで構成される。これを三業という。
 太夫さんは、東京公演の際、その当時は近辺のウィークリーマンションから国立劇場に通っていた。「ローライフ」は、道すがらだったのである。
 おばさんは、誰とでも仲良くなれる稀有な才能がある。早速、チケットを斡旋してもらい、行くようになったわけである。私も随行した。というか、私も文楽はずっと、「一度は見てみたい」と思っていたのである。だから、渡りに舟であった。
 私は演劇青年でもあったので、能、狂言、歌舞伎、もちろん新劇もずいぶん見てきた。いわゆるアングラもよく見たし、テント芝居では、音楽を担当したことすらある。
 いわゆる大衆演劇もけっこう見てきた。劇場で見ていないのは、宝塚と新派、松竹新喜劇、吉本新喜劇くらいなものだ。あっ、新国劇も見てない。
 ただ、文楽だけは、どこでチケットが買えるかもわからず、ずっと疎遠だったのである。
 それ以来、東京公演では、この太夫さんの出演するプログラムは必ず見るようになった。文楽ファンというよりも、この太夫さんの親戚のおじさん、おばさんっていう感じだな。
『仮名手本忠臣蔵』の全段公演が大阪であったときには、大阪まで行った。もう、生きている間には、全段通しなど見られないのではないかと思ったからである。正確には全段ではなく、二、三段は省略されていたけれども、でも、これは大変だった。あれは、演るほうよりも見るほうが大変である。演るほうは、出番が終わればなにやろうが自由だが、見るほうは、そうはいかない。ずっと、椅子に座っていなければならない。このときは、岩波文庫で「予習」をしてから行った。
 初めて見に行った翌年か、せいぜい翌々年に、橋下徹が文楽の補助金を大幅に減額したので、もう12、3年は通っているだろうか。
 このときの橋下徹もとんでもなかった。補助金の大幅減額に関して、「公開で議論をしたい」と言い放ったのである。「(口)喧嘩なら、自信があります」とも公言した。このころ、文楽協会で一番偉かった人が竹本住太夫さんである。住太夫さんは、この世界では珍しく関西学院大学を出ておられたが、中卒で、内弟子からたたき上げた人も多くいる世界である。そういう人たちに対して「(口)喧嘩に自信がある」人間が、「公開で議論」をすると、この男は言うのである。権力者の横暴に、輪をかけたような暴言であると言わざるを得ない。
 そのころは、大阪万博も、IR構想も、表面化はしていなかったかもしれないけれども、水面下ではそれなりには動いていたはずだ。文楽とこんなものと、どっちが大事なのかねえ。
 私の考えは単純である。百年後を考えればよい。百年後に、大阪万博、IR構想がどう評価されるか、文楽が残ったことがどう評価されるか。考えるまでもないと思う。
 太夫さんの名前は出さないことにする。太夫さんも人気商売だから、私らのような胡乱な爺さん婆さんが贔屓にしていたら、名前に傷がつくかもしれないからである。
 あっ、そうそう。 昨日、「ちょっと涙が出た。私も、ヤキが回ったものだ」と言ったのは、文楽というか、浄瑠璃は泣かせるのがテーマのひとつでもあるからだ。おまえさん(これは作者ね)が考えるように、やすやすと泣いてたまるかよとずっと思っていたのである。

味に流行があることの発見1212

 料理の話に戻る。 
 突然、味に流行があると言ったら、びっくりされるだろうか。
 でも、あるのである。これがわかったのは、『シェアハウス・ロック0730』にご登場願った新宿区四谷・荒木町の小料理屋のご夫妻のおかげである。
 ご夫妻の夫のほうは、料理の達人である。小料理屋と言ったが、純和風ではない。達人は、イタリアン、インド料理店などで腕を磨き、荒木町で開店した。よって、無国籍料理のはしりのような感じだった。
 達人は勉強熱心でもあった。どこぞにうまい店があると聞くと、そこへ行った。私らもお相伴をした。インド料理、中華料理が多かったような気がするが、私がそっち系統なので、そっち系統のときにだけ、声をかけてくれたのかもしれない。
 2000年を挟んで10年弱の期間である。超高級店ではないけれども、まあまあ高級店が多かった。
 説明が簡単なので中華料理のほうを話すと、わかりやすいところでは、このころからよりスパイシーになった。出汁も複雑になった。
 30代のころ、仕事でよくアメリカに行ったが、そのころでも、アメリカの中華料理はスパーシーだった。それに近づいた気がした。アメリカ経由だったのだろうか。こういうことを本で読んだ記憶がない。だいたいが、味に流行があるみたいな話も読んだことがない。
 歌は世につれるけれども、味も世につれるはずである。
 カレーでは、こういう傾向が、若干現在出てきていると思う。スパイスカレーだなんだ言ってるからね。カレーがスパイスなのは、あたりまえであるが、よりスパイシーになったということなんだろう。
 もっとわかりやすいところで言うと、カップヌードルは、1971年(昭和46年)9月18日に発売が開始された。約50年前である。いま、カップヌードルを食べても、当時と同じ味がするような気がする。これは、逆に言えば、私たちの味覚の変遷に追随するように、細かく変化をして、同じ味に感じるようにしているはずである。なんだか逆説っぽいけど、これはたぶん間違いないはずだ。
 約50年前といえば、化学調味料全盛時代であるし、冷凍技術もよくなく、海から遠い地方の人は、生魚もあまり食べられない時代だったはずである。私個人の話をすると、26歳のとき、さんまの刺身というのを初めて食べて感激した記憶がある。
 そういう時代の人の味覚と、現在の味覚を比べたら、相当の違いがあるはずだ。
 カップヌードルを1971年に発売した日清食品に提案したい。レシピは残っているだろうから、「発売当時のカップヌードル」を再現し発売することを、である。これは、ヒット商品になると思う。なると思うけど、リピート需要はないだろうな。たぶん、まずいからだ。
 でも、当時を知っている人は、一回は食べたいと思うはずだ。私も買うよ。
 後半、カップヌードルの話ばっかりなってしまった。いま、トマト味とかいろんなバージョンがあるみたいだけど、私が言っているのは、オリジナルのものである。

即席ラーメンは偉い1213

 前回、カップヌードルの話が出たので、今回は即席ラーメンの話をすることにする。
 まず、場末の少年から見た即席ラーメンについてから始める。
 私の母が、「こんなもんが出たよ」と買ってきたのが日清食品のチキンラーメンだった。小学校3年のときだ。チキンラーメンが発売されたのは1958年春だから、平仄は合っている。
 パックを破り、ラーメン丼に入れ、お湯を注いで食べた。「なんだか油臭いな」というのが第一印象だった。そのときは日清の製品しかなかったが、ほどなく、明星食品、エースコックから即席ラーメンが出たと思う。どっちが先かはわからない。子ども心に、「特許はとれなかったんだな」と思った。
 その後は百花繚乱というか、いろんなメーカーからいろんなタイプのものが続々と売り出された。かなりヘンタイっぽいのもあった。カレーラーメンとかね。カレー味ラーメンではなく、カレーラーメンである。
 次に即席ラーメンが私の人生に浮上してきたのは、70年前後である。地方出身で、アパート暮らしの友だちの主食が即席ラーメンだった。料理なんか、カラ出来ねえやつらばっかりだったからね。このころは、まあまあの味になっていた。即席ラーメンがなかったら、あいつらの1/3くらいは餓死したんじゃないだろうか。
 そのころ、即席ラーメンの売り上げが、日本より香港のほうが上だということを新聞で読んだ。その記事によると、米は10キロ単位とかで買う。香港のその日暮らしの貧民層には、高くて買えない。そこで、即席ラーメンで腹を満たすことが多くなり、売り上げの絶対数でいったら香港が日本の上位になったという記事だった。「ほんとかね」と思ったが、その記事では、そう書いてあった。
 まあ、記事を書いたのはエリートの新聞記者だろうから、そういう状況だったら、10キロ単位で買って、マージンをとってグラム単位で売るやつが出てくることがわからないんだろうとも思った。だって、大阪なんかでは回数券買って、それをバラ売りするおばちゃんがいたからね。全部売って、1枚分がおばちゃんの儲けである。香港にだって、こういうおばちゃんはいるはずだ。大阪よりもっといると思う。だから、眉につばをつけてその記事を読んだが、そういう記事が出たことは間違いない。
 一方、即席ラーメン、カップヌードルはワールドワイドになり、たとえば豚を原料としない化学調味料なども開発され、それを使ったものはイスラム圏などでも食べられている。もしかしたら、難民キャンプなどでも配給されているかもしれない。特にカップヌードルは、お湯だけあればOKだから、重宝するだろうし、配られてないわけがないとすら思う。
 味も、当初の「なんだか油臭いな」から、「まあまあ食える」を通り越し、「けっこういけるんじゃないの」くらいにはなってきた。
 日清食品のチキンラーメンを開発したのは、安藤百福さんという人である。次回は、安藤百福さんの話をする。

安藤百福さん1214

 前回は、場末の少年の回想から始まったが、今回は、場末の青年の回想から始まる。
 安藤百福さんは、台湾の人で、関西で事業をやっていたが、その事業が倒産し、そこだけ差し押さえをまぬがれた工場内の小屋で日夜即席ラーメンの開発にいそしみ、ついに開発に成功し、売り出した。
 ここまでが、場末の青年の知っていたことである。どこでこれを知ったかは忘れた。ある程度まとまったものを読んだか、あるいは切れ切れに知ったかもおぼえていない。
 今回、Wikipediaで調べてみた。
 Wikipediaの記事では時間軸がよくわからないものの、安藤さんはなにがしかの事業を営んでいたところ、大阪華銀から懇願され、その理事長に就任したが、1957年(昭和32年)9月に大阪華銀は破綻、安藤さんは小豆の買い占めに大阪華銀の資金を流用したとして背任罪に問われ、執行猶予つきの有罪判決を受けたと読める。「華銀」とあるが信用組合であったようだ。この破綻が、小豆の買い占めとどう関係していたかも、あるいは関係がなかったのかもよくわからない。
 上記「青年の回想」では、刻苦勉励の人が、なんらかの事情で営んでいた事業が倒産し、さらに刻苦勉励して即席ラーメンを開発し、失地回復したという感じだが、Wikipediaでは、安藤さんはもうちょっと世慣れたというか、清濁併せ飲むというか、エネルギッシュというか、そういうタイプの人に書かれている。
 また、Wikipediaでは、安藤さんが即席ラーメンの開発者であることにも、疑義が呈されていた。
 たとえば、安藤さんの出身地である台湾では、油で麺を揚げて保存し、お湯を注いで食べる鶏ダシスープの麺があるそうだ。これは「鶏糸麺(ケーシーメン)」と呼ばれ、1946年には既にあったという。
 また、チキンラーメンが発売される以前に、安藤さんと同じ台湾出身の張國文という人が即席麺「長寿麺」を発売し、これは南極観測隊にも採用されたとある。張の特許出願は、安藤さんのそれより早かったという。張の特許申請が認められる直前に、日清食品は張の特許を2300万円(現在の約3億円)で買い取ったと書かれている。
 さらに、チキンラーメンの発売以前に、台湾出身で大和通商社長の陳栄泰が「即席ケーシーメン」を東京の百貨店で販売していたという。一説では、陳のケーシーメンに興味を持った安藤が代理店の株主となり、日本人の口に合うように改良したものがチキンラーメンであるとも言われているそうだ。
 真相は藪の中だが、百歩譲っても、安藤百福さんが、即席ラーメンをここまでにした立役者であることは疑う余地がない。
 今年のノーベル医学・生理学賞は、カタリン・カリコさんに決まった。mRNAでワクチンを製造した功績に贈られたわけだが、ノーベル食品賞があれば、安藤百福さんに贈られていいと思う。そんな賞はむろんないが、安藤さんの功績を記念して、新設していいんじゃないかとすら思う。
 もちろん、「油臭い」チキンラーメンを、50年間かけて「けっこういけるんじゃないの」くらいまでに改良してきた、無名の開発者たちとの共同受賞であることは言うまでもない。

気宇壮大な即席ラーメンネタから、極小ネタへ1215

 昼食を即席ラーメンで済ませることがよくある。週2回くらいかな。銘柄は、マルちゃんかサッポロ一番のいずれかの味噌ラーメンである。なんで銘柄が不定かと言えば、近所のスーパーでの売値が一定していないからだ。そのスーパーは、「ナショナルブランドだったらうちが一番安い」と豪語しているところで、そこから類推すると、おそらく、そのときそのときの仕入れ値によって高くなったり、安くなったりするのだろうと思う。
 だいたい5食入りで350円前後。どちらでもいいので、安いほうを買う。それで、銘柄が不定になる。一食70円前後である。
 これに、通常は野菜、卵を入れる。野菜は、カブの葉っぱとか、キャベツとかである。それらがあれば使うが、わざわざ買う場合はほとんどモヤシである。38円。これを2回に分けて使う。卵は、10個200円くらい。1個20円。
 卵は中華鍋でスクランブルドエッグにし、野菜は炒める。で、トッピングする。
 よって、最大で、70円+19円+20円=109円。つましいなあ、我ながら。感心してしまう。
 おばさんが一緒に昼食を食べるときは、マルタイラーメンになる。マルタイラーメンは、1パックが2食分であり、おばさんの分もつくるときにはこっちになる。値段は2食分で200円弱。ちょっと高い。そのかわり、味はしっかりしている。
 マルタイラーメンは棒ラーメンで、博多、鹿児島、長崎、佐賀など、福岡のメーカーなので、九州圏の御当地ラーメンがメインのように見えるが、瀬戸内、札幌、旭川など、九州圏以外にも手を伸ばしている。台湾まぜそばもあるぞ。
 マルちゃん、サッポロ一番の味噌ラーメンはまあまあいけるが、マルタイのそのシリーズは相当にいける。
 相当にいける根拠は、上記シリーズの全部ではないものの、何種類かはたんぱく加水分解物を使っていないものがあることによる。たんぱく加水分解物は、ようするにかつての「化学調味料のようなもの」であり、味にちょっと独特のクセがある。それを使っているものであっても相当にうまく処理している感じが上記シリーズにはあって、私はこのシリーズが気に入っているわけである。
 あまりはっきりしたことは言えないが、どうもこのたんぱく加水分解物と加工でんぷんは、製造工程で酸とかアルカリを使っているのではないかと、私は考えている。
 私らは、たんぱく加水分解物と加工でんぷんには、相当の恩恵をこうむっているのであるが、やはり、製造工程でなにやらかんばしくないものが副産物として生成されるような気がしているのである。かんばしくないものの筆頭は、発がん性物質である。

酸とアルカリ1216

 酸とアルカリが食品製造で大活躍していることを知ったのは、2000年前後のことだったと思う。テレビ番組で見たのである。番組では、白菜の漬物をつくっている工場を紹介していた。
 これはすごかったよ。
 まず、工場の天井にはレールが走っている。そのレールには、クレーンゲームの「つかみ手」みたいなものがぶらさがっている。
 一方、床には、細長いプールのようなものがふたつある。「細」の程度は、白菜の幅くらいである。
 まず、「つかみ手」が白菜のおしりをつかむ。当然、葉っぱのほうが下にくる。
 最初の工程で、ふたつあるプールのひとつ目に浸ける。浸けながら、「つかみ手」は移動していく。プールにはアルカリの液が満たされている。この工程で、白菜はしわしわになる。しわしわ具合は、「つかみ手」の移動速度で調整できる。速度を遅くすれば、よりしわしわになるわけである。浸かる時間が長くなるからね。
 ふたつ目のプールには、酸性の液が満たされている。ここで中和するわけである。
 酸とアルカリが反応すると、塩ができる。「しお」じゃなく、「えん」ね。小学校の理科で習ったでしょ。
 次の工程で、「つかみ手」につかまれた白菜に、四方八方からシャワーが浴びせられる。水のシャワー。これでできてしまった塩を洗い流す。なんでわざわざ「水」と断ったかは、すぐわかるので、落ち着きなさい。
 きれいに洗われた白菜に、次の工程で、調味液が、やはり四方八方から浴びせられる。たとえば、塩味+酸味+アミノ酸であれば通常の白菜の漬物になり、これに唐辛子味が加わればピリ辛白菜漬けになり、アミノ酸を濃くし、唐辛子味を強くし、さらにニンニクが加わればキムチになる。
 私は、その当時、スーパーで売っている漬物が非常に安く、いくら土地の安い田舎でつくっているにしてもこんな値段でやっていけるのかどうか、心配していたのである。人の心配するより、自分の心配をしろよ、じいさん。あっ、そのころは、まだじいさんじゃなかったな。せいぜい初老ってとこだった。
 で、このテレビ番組を見て、初老男は感動したわけである。
 いまでもこういった製造工程なんじゃないかと思う。というのは、こういう工程が変更されたという新聞記事も、テレビ番組も、まったく見たことがないからである。
 まあ、乱暴と言えば乱暴なつくり方であるが、これには私たち消費者にも責任がある。安い物、安い物と求めていけば、当然食品製造会社のほうも、それに追随する製造方法を開発せざるを得ないだろう。 
 だから、前回お話しした、たんぱく加水分解物と加工でんぷんの製造工程で、酸とかアルカリを使うのは、私らにも責任があることになる。

加工でんぷんとたんぱく加水分解物1217
 
「マルちゃん正麺・味噌味」のパッケージ裏の「原材料名」は、全体が/(スラッシュ)で二分されている。たんぱく加水分解物は、スラッシュの前に表示されていて、加工でんぷんはスラッシュ後だ。ここから考えられるのは、スラッシュ前が食品、後が添加物であるということである。
 山勘で言っているように聞こえるだろうが、たんぱく加水分解物は「食品」に分類され、加工でんぷんは「食品添加物」である。確認もできた。だから、スラッシュ前後の意味は私の推測で、たぶん間違いないと思う。では、なんでたんぱく加水分解物が「食品」で、加工でんぷんは「食品添加物」なのか。逆のような気がするが。でも、決めたのは厚生労働省で、あそこに限らず、役所っていうのは、たまに奇怪なことをするからね。これも奇怪の一環だろう。
 次に、「原材料名」表示は、多く使われているものが前に来る。つまり、表示順に多く使われていることになる。これも間違いない。
 一方、「食品」中で製造工程が私にもわかるものは、小麦粉、食塩、植物油、ラード、砂糖、デーツ果汁、卵白、香辛料くらいで、あとのもの(植物性たんぱく質、植物油脂、ポークエキス、香味油脂、野菜エキス、植物油など)は、製造工程がまったくわからない。
 さらにわからないのは、植物油脂と植物油がどう違うかである。普通は、植物だと油、動物だと脂である。植物油脂というのは、なんだか形容矛盾っぽい感じがする。でも、堂々と書いてあるんで、そういうカテゴリーがあるんだろうねえ、私が知らないだけで。
 一方、「食品添加物」の部では、やはり加工でん紛が最上位に来ている。これはつまり、一番使われているということであって、まあ、順当である。食品衛生法だかなんだかの区分では、加工でんぷんは食品添加物になっているものの、使い方自体は食品なんだと思う。二番目が調味料(アミノ酸等)で、これ以下は、ほとんど微量といっていいだろう。
 これらの、製造工程がわからない材料は、「マルちゃん正麺」を製造販売している東洋水産もどこやらから購入しているはずだ。「原材料」だからね。
 前回、たんぱく加水分解物と加工でんぷんの製造工程では、酸やアルカリを使うのではないかと言ったが、これは、燃料を使って抽出/加工すると、原価が高くなるからである。白菜の製造工程で申しあげたように、これも、我々消費者が安い物、安い物と求めた結果である。
 とは言っても、ほとんど無害なんだと思う。それでも、製造工程を知らないものを食べているというのは、なんだか多少気持ち悪い感じがする。
 あっ、もうひとつ大事なことがある。即席ラーメンネタからちょっとそれるが、トランス脂肪酸はなるべく摂らないようにしたほうがいい。植物油などに水素を付加して硬化油を製造する過程で生成されるのがトランス脂肪酸であるが、マーガリン、ファットスプレッド、ショートニングは硬化油からつくられたものである。食品でいうと、パン、ケーキ、ドーナツ、クッキー、スナック菓子、生クリーム、フライドポテト、ナゲット、ポップコーン、ビスケットなどに多く使われる。
 前述の植物油脂は、もしかしたらこれかもしれない。

【Live】先憂後楽1218

 先憂後楽という言葉を、私は人生訓の一種のように思っていた。なにかことに当たるに際して、「憂」部分を先に済ませてしまえば、あとは楽だといったふうにである。卑近な例で言うと、食事時に嫌いなものを先に食ってしまい、好きなものを後から食べるといったことだ。卑近にもほどがあるな。
 ところが、これは間違っていた。それを教えてくれたのは、毎日新聞朝刊の「余禄」である。その「余禄」の文脈は、国会議員の報酬を上げることに関してで、庶民がこれだけ物価高に苦しんでいるのに、自分たちの報酬だけさっさと上げるのはいかがなものかということだった。これには、まったく異議がない。
 さて、辞典によれば、
・岩波書店 広辞苑
 (天下の安危について)人より先に憂え、人より後に楽しむこと。
・三省堂 新明解四字熟語辞典
 常に民に先立って国のことを心配し、民が楽しんだ後に自分が楽しむこと。
 転じて、先に苦労・苦難を体験した者は、後に安楽になれるということ。
・学研 四字熟語辞典
 すぐれた為政者というものは、人々が心配し始める前に憂い、人々が楽しんだ後で自分も楽しむべきだということ。
・小学館 デジタル大辞泉
 国家の安危については人より先に心配し、楽しむのは人より遅れて楽しむこと。
 辞書でもわかるが、「先憂後楽」は為政者の心得を述べた言葉である。北宋の忠臣・范仲淹の『岳陽楼記』中にあり、これは「余禄」でも触れていた。
 私が知っていたのは、三省堂の「転じて、~」だけだったことになる。
 国家の安危に関してだけは、安倍自民党は、確かに先憂してたよなあ。Jアラートが発せられたら、机の下とかに隠れろと言っておられた。この訓練はテレビでも見たけど、なーに、あれ。テポドンに核弾頭とか載っけたのが飛んで来たら、そんなことやっても追っつかないだろうが。でも、安倍サン、国難が好きだったからなあ。
 ところで、ポスト安倍晋三になって、地獄の釜の蓋が開いたみたいになり、旧統一教会との癒着に始まり、現在はパー券裏金疑惑で大騒ぎになっているが、「特捜」が出てきたので、私はちょっと期待しているのである。田中角栄のロッキード事件も、アメリカが仕掛け、「特捜」があれだけのことをやってくれた。
 期待を込めてということだけど、私は、あのときの大騒ぎに匹敵する大騒ぎになるのではないかと読んでいる。誰か、そのへんの事情に詳しい人が、安倍晋三の功罪の「罪」についてまとまったものを書いてくれないかと考えている。
 ただ、これをまじめにやると、新聞を始めとするマスコミも相当に火の粉をかぶることになるはずである。
 でも、マスコミも含めて、この国はもう一度火の粉をかぶって火だるまになり、焼け野原になったほうがいい。「第三の敗戦」である。前述の「まとまったもの」の書名はこれだな。ひとりで盛り上がっているなあ。
 あと二、三個は、旧統一教会、パー券裏金疑惑に匹敵するものが出てくるのではないだろうか。

【Live】おばさんの決断1219

 おばさんは、退院後、血圧が乱高下していた。「高」状態でも「下」状態でも具合が悪くなり、寝込んでしまう。おばさんはもともとが高血圧で、血圧降下剤を常用している。それで、困ったのは「下」状態である。「下」状態で血圧降下剤を飲んだら、さらに降下してしまうだろう。
 血圧降下剤は2種類。即効性のものと、遅効性のものだ。だから、「下」状態では、即効性のものを飲まずに調節をはかっていた。
 かかりつけ医に相談したところ、「きちんと定期的に飲んだほうがいい」と言われ、「調節」に関わる心理的な動揺は解除された。これで、多少は、乱高下の原因は除かれたことになる。
 今回の入院は、じつは子宮がんの摘出手術のためだった。手術自体は成功し、転移もCT、MRIでは発見されず、とりあえず安心していたわけだったが、この後の治療方針で、リンパ節の切除と、抗がん剤治療(点滴)を勧められた。
 この「勧め」も、おばさんにはストレスになっていたようだった。
 こういう状況では、いろんな人がいろんなことを言ってくる。もちろん、親切からであることは言うまでもない。たとえば、抗がん剤治療は絶対ダメで、代替治療を勧める人がいた。おじさんは、切除+抗がん剤治療派だった。意見を求められ、私が言ったのは、リンパ節切除は受け、その生検結果で抗がん剤を使うかどうかを決めるというものだった。
 エリザベス・キューブラー=ロスというアメリカの精神科医が、がん受容の5段階ということを言った。キューブラー=ロスが言ったのは、元もとは死の受容であり、がん=死病という状態にあったころに、この5段階ががん受容にも「拡張」されたわけである。
 これは、私が大腸がんの手術を待つ間に知ったことだ。5段階は、①否認②怒り③取引④抑うつ⑤受容である。
 それぞれの段階を、やや詳しく書く。
①自分ががんであることを受け入れられず、検査結果などを疑う。
②どうしてよりによって自分ががんになったのだと怒りをおぼえ、それを周りにぶつける。
③恐怖から逃れようと、なにかにすがる。なにかは、宗教、代替治療など。
④絶望し、なにも手につかなくなり、うつ状態になる。 
⑤避けられない運命としてがん受け入れる。この段階で、安らぎを得ることすらある。
 医師は、原理として万全を期す。よって、リンパ節の切除と抗がん剤治療を勧めたわけだが、もし、がん細胞が散っていたとしても、それは人間の免疫機構で対処できてしまうことがある。いま、「がある」と書いたが、がん細胞はできても、それが着床して若干増殖したりしても、前にお話しした Point of Noreturn を超えるまでは免疫機構でつぶされることのほうが多い。
 逆に、抗がん剤治療をしている最中に、がんが着床することすらあるという。これは、担当の医師が言っていたそうだ。
 結局、おばさんは、リンパ節の切除と抗がん剤治療は受けず、その代わり、短いスパンで腫瘍マーカーのチェックを受けることに決めた。
 この決断をしたあとは、おばさんの血圧の乱高下も、心なしか安定に向かっているような気がする。

【Live】おばあさん仮説1220

 動物に限らず、生物の生きる目的、それもトッププライオリティにある目的は、子孫を残すことである。一番これがはっきりしているのは、植物、それも一年草だ。タネをつくったら、自分は枯れてしまう。これだけでも、子孫を残すことがトッププライオリティであることが十分説明できている気がする。
 一方、子孫を残してもしぶとく生き残っているものもいる。というか、そっちが普通だね。植物でも二年草からはそうだし、動物もほとんどがそうだ。目的を果たしても、なんで生きているのか。もう、役割は終わっているのではないか。
 本当に、単純に、遺伝子を残せばいいということだけだったら、生物学、それも古い生物学レベルでは、これでいい。でも、『利己的な遺伝子』のリチャード・ドーキンスが言ったミームという概念を媒介にすると、まだ役割を終わってはいない。もっともこれは、ドーキンスが社会生物学と言い始めてからの概念である。
 ミームを簡単に言えば、社会というオーダーでの遺伝子(みたいなもの)である。文化と言ってもそれほど外れていない。
 爬虫類くらいまでだとほとんど産みっぱなしだが、鳥類だと、子どもへの給餌という仕事が残っている。哺乳類になると、もうちょっと高度な、生き残りのためのノウハウを教えるという仕事がある。
 霊長類になると、さらに高度な社会的ななにがしかのことを教えることになる。
 その最たるものは人間で、人間になると、産まれても10歳程度になるまで、自分だけでは生きられない。成長を補助し、細々したノウハウを教え、文化的なことも教えなければならない。
 さて、おばあさん仮説である。
 おばあさんは、子どもを産んだ母親に、育児のノウハウから始まり、様々なことを教える。逆に、おばあさんが、子どもを産んだ母親のみならず、その一家の支柱のような役割を果たし、このことで、もう生殖期をとうに過ぎたおばあさんにも存在価値を与えることになる。これが、おばあさん仮説である。
 では、発生学的にはメスのできそこないである我ら老いたオスにも、存在価値はあるのか。つまり、おじいさん仮説はなりたたないのか。ミームというレベルでは、十分に存在価値があると思いたいところである。
 成田悠輔という人が、「高齢者は集団自決しろ」と言ったとかで物議をかもしているそうだ。彼がどういう文脈でこれを言ったのか知らないので論評は控えるが、ひとつだけ言いたい。人間は効率だけで生きているわけではない。最適化するのが社会の目標だったら、最終的に誰も残らなくなるのではないか。これは、落ち着いて考えれば納得できるはずだ。
 私の好きなエピソードは、次のものである。
 働きアリに、よく働く働きアリ、普通に働く働きアリ、怠ける働きアリがいるという。まず私は、怠ける働きアリという形容矛盾みたいなヤツが気に入っている。そんなヤツもいるんだろうなあ。正確な比率は忘れたが、たとえば、2:6:2だとする。働きアリの集団から、怠ける働きアリを排除する。こうすることによって、その集団の生産性があがるかと言えば、そんなことはなく、一定期間を過ぎると、そのエリート集団のなかで、やはり同比率で怠けるものが出てくるという。なんだかほっとする話である。
 成田説に戻ると、安倍派の裏金問題でクローズアップされている森喜朗は確かに老害であるが、どうも「老」のせいだけじゃないみたいだよ。

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