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【読報】杜子春/芥川龍之介④~地獄より愛をこめて~

あなたに+α、U+α(ウタ)です。
④ということは、①も②も③もあるわけでございまして・・・・↓↓↓

まあ・・・・


読まなくても大丈夫です。

導入部ですが、前回の簡単なあらすじを書きますので
この記事を読んで、「前回の内容読みたいな~」と
思ったらで構いません。

では、ツッコミ満載の独断と偏見の読書報告、略して読報!!
はじまりま~す・・・
※この記事は5分で読めます。

↑↑青空文庫で無料で読めます

10秒でわかる前回のあらすじ

仙人になるための修業していた杜子春。
何があっても「一言もしゃべらない」と
いう約束を守りつづけるが、それがきっかけで地獄へ・・・・


1.あらすじ④(地獄の沙汰も)

地獄に落ちた杜子春。
・・・とはいえ、魂だけで
肉体は峨眉山の岩の上。


・・・とはいえ、

地獄に落ちた


急展開です。
ここでも
鉄冠子の約束を守り抜こうとします。
死ぬ気で守ります。

地獄のエンマ大王の目の前。

エンマ大王が睨んでいるイメージ。三國無双に出てきそう

エンマ大王「なぜ、峨眉山にいた?」

ここでもだんまりを決め込む杜子春。

地獄でも拷問を受けますが
耐え忍びます。

地獄って拷問を受けるところなのでしょうが。

すると、ここで
杜子春の両親について明らかになります。

杜子春の両親はすでに亡くなっており

畜生道で馬になっていました。


その馬になった両親を表現しがたいほどに拷問します。

エンマ大王「口を利くまで母親(だった馬)を拷問しつづけるぞ」

もうね、とばっちりもいいところ。
せっかく馬として生きていたのに
息子の口を割らせるために拷問を受ける。
一応、母親(現:馬)は母親だったころの記憶はありますし、
しゃべります。

しかし、

「言いたくないことは、言わなくてもいいよ」


と懐かしい声で優しく語り掛けます。

馬へ駆け寄り
杜子春は
「お母さん!!!!」と叫んでしまいました。

杜子春と母親(現:馬)のイメージ

ここで鉄冠子との約束を破ってしまった



気が付くと
夕日を浴びて洛陽の西の門の下へ。


すかさず
片目眇め(かためすがめ)の老人が
「ほら、みてみぃ~、仙人になれんやろ?」と
微笑みながら語り掛けます。

片目眇めの老人のイメージ

杜子春は
「無理ゲーですわ、これ。けど、なれなかったことがうれしいです。」

これが負け惜しみじゃないのがすごい。

つづけて

「いくら仙人になれたと、
 地獄で苦しんでいる両親をみて黙ってるようなやつにはなれません」

片目眇めの老人は急に厳かな顔で
「もし、あの状況でお前が黙っていたら」


「即座にお前の命を絶っていただろうな」

いやもう、地獄にいる時点ですでに

今後どう生きたいかを問われた杜子春は

「人間らしい正直な暮らしをする」


片目眇めの老人もとい鉄冠子が
「ア、思い出したわ。
 そーいや、家と畑がふもとにあるからそれやるわ、ほな!!!」

ここで終わりです。


ここで終わりなのです。

内容としては

杜子春は
仙人になるため、金を得るため、ずっと沈黙を貫いた。

まさに沈黙は金。

2.「杜子春!!!!」の考察


ちょっと!!!

「杜子春!!!!」

出て来ないやん、そんなセリフ(笑)
※意味が分からない人は①の冒頭だけ読んでみてください

あれ、あれ???

考えられるのはこの3つ。

1,小学校の時の私の記憶違い説

「お母さん!!!!」を「杜子春!!!!」と聞き間違えた

2,私が読んだ「杜子春」とは違う訳説

私はあくまで原作を読みましたが
読みやすいように小学生向けの絵本にも
なっています。
そこでの表現が違った説。
馬になった母親が叫んだのが濃厚。

3,「杜子春」ではなかった説

そもそも私が小学生時代に
聞いた暗唱大会のタイトルが杜子春ではなかった説

3.全体を通して


色々な解釈があると思います。
ただ、私個人の解釈としては

「なりたいものとなれるものは違う」


夢もへったくれもねぇ、
といった意味ではなく

あこがれていて
それと全く同じになろうとしても
それをあこがれたきっかけも違うし
それになるための手段も違いますし
そのときの環境や時代も違う

まったく同じにはなれない。

「なったものが自分のなりたかったもの」

こう捉えてもらいたい。

オカルトでも精神論でもなく
自分のどこか頭の片隅で
「こうなりたい」といった願望が
無意識に
「今の自分」をそこに導いているんです。

例えば「お金持ちになりたい」
という目標があるにもかかわらず
現状は先延ばしでやりたいことばかりで
努力できない。

それは
お金持ちになりたい、でも
努力するのめんどくさいし
ゴロゴロして
マンガ読んだりゲームしたり
したいな~


頭の片隅で
思っていてそれが行動に表れているんです。

それが悪いわけではありません。
自分のやりたいことを優先しているので。

ただ、それを自制できずに
後悔して嫌悪感に苛まれるのが
もったいないのです。

杜子春にしても
お金持ちになりたい→仙人になりたい

しかし、
結果的には
「親思いの息子」になりました。
杜子春は最初の目標とは
違いますがその良さに気づき、
納得しています。

結果的にです。

まずは自分のやりたいことへ舵を切り、
思い通りにいかないかもしれないが
そこで得た経験から
結果的に自分のなりたいものになれた。

なんやかんや言いましたが
杜子春は杜子春で
「親思いの息子」から
さらに
「庭つきの家」まで手に入れています。
なんだかんだ、目標に近づいてます。

というか、
ほぼゴールです。

よく言われているありきたりな言葉ですが

目標は逃げない、逃げているのは自分


最後まで読んでくださりありがとうございました。

もし、前回の内容が気になる方は
ご一読されてください。
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