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吉野ヶ里遺跡へ行った話
吉野ヶ里遺跡。弥生時代の大規模な環濠集落跡であり、学術的に大変貴重な資料や情報が集まっている日本最大の遺跡だ。……というのは社会科の授業で誰もが触れる内容だが、実際に現地へ行った経験を持つ人は少ないだろう。そんな吉野ヶ里遺跡へ行ってみた話。
前回は長崎市中心部の定番観光スポットを巡り、日も完全に沈んだ夜中に佐賀駅に到着したところまでを扱った。今回はその続き。
佐賀中心部を散策
というわけで翌朝からスタート。まだ日も昇りきらぬうちに宿を抜け出し、佐賀市の中心部をぶらぶら。残念ながらこの日はずっと雨模様だ。
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街を歩いていて印象に残ったのが水路の多さ。佐賀平野は有明海の干拓によって発達した広大な農地を擁する一方、水を供給する山地の面積が少なく水不足が問題となっていたそうだ。そのため、用水路を随所に張り巡らせることで農地用水を効率的に確保してきたという歴史的背景があるとのこと。
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日本だと水路脇に住宅が雑多に立ち並ぶ風景はなかなか見られないので、新鮮な感じ。
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佐賀市は碁盤の目に整備された城下町だが、中心部の人通りは少なく商店街などは寂しい雰囲気だ。通りを走る車の数はそこそこだったので、典型的な車社会といった感じ。
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まあ人が少ないのは平日の早朝だからというのが大きいと思われるが……。
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狭い路地大好き人間としては興奮する光景。
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で、しばらく歩くと水路に囲まれた神社を発見。佐嘉神社・松原神社といい、佐賀の名君として名高い鍋島直正や鍋島直大を祀っている。
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草に覆われたアーチ状の石橋がなんとも美しい。
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神社の目の前には城下町であったことがよくわかる巨大な堀が。堀の内部はかなり広く、現在は県庁や学校が建っているほか普通の住宅地としても活用されている。
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そして一部の区画は城趾として残されている。
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残念ながら天守閣などは残されていないが、復元された本丸御殿の内部は博物館になっており無料で見学できるとのこと。私はまだ開館前だったため素通りしたが、時間があればぜひ訪れてみてほしい。
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道中、トゲトゲした謎の建物を発見。体育館として使われていたが、老朽化により現在は使用停止中とのこと。汚れ具合も相まって、崩壊した古代文明の遺跡感が出ている。
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……といった感じで街歩きは終了。実は県庁屋上の無料展望台など気になるスポットはまだあったのだが、この日のメインディッシュは吉野ヶ里遺跡なので朝のうちに佐賀駅を出なければならない。というわけで駅に到着。
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今回スルーしたスポットはまた機会があれば訪れたいところだ。
吉野ヶ里遺跡へ
改札へ向かう。中継地点としてのイメージが強い佐賀駅だが、全ての特急が停車するということもあり案内表は比較的賑やかだ。
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ホームに上がると特急リレーかもめが滑り込んできたが、これはスルー。
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さらに反対のホームから、西唐津行きの列車がディーゼルエンジンの音を響かせながら出発していった。なにやらラッピングされている様子。
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で、私が乗るのは鈍行の鳥栖行き。山へ突っ込んでいく唐津線の列車が4両編成なのに、長崎本線は2両という謎采配。
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駅を出るとすぐにだだっ広い佐賀平野の風景が続く。
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で、吉野ヶ里公園駅に到着。
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ここが吉野ヶ里遺跡の最寄り……となるのだが、入口まではけっこう離れており 10 分ほど歩く必要がある。この駅は元々地元の地名である三田川駅だったのを改称したらしいが、ぶっちゃけ隣の神埼駅からでも所要時間は大差なかったりする。というか吉野ヶ里遺跡は長崎本線に面しているので、アクセス用に新しく駅を作れば良いのに……と思ってしまう。
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……といきなり文句を言ってしまったが、案内看板はこれでもかと言うほど立っているため迷う可能性はゼロだ。
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あまりにも普通の田舎道がアクセスルートとなっているの、ちょっとシュールで面白い。
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で、入口に到着。かなり大規模な駐車場が併設されていたため、普通は公共交通機関でアクセスする場所ではないのだろう。
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入口からメインゲートに到達するまでも意外と距離があり、さっそく吉野ヶ里遺跡の規模のデカさに驚かされる。
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で、チケットを購入してさっそく入園。ちなみにここで荷物を預けることもできるため、邪魔なものは預けておくと良い。ただ私は諸事情で預けず、重いバックパックを背負いながら散策することになった。
いざ入園
さっそく弥生時代ファッションの謎マスコットがお出迎え。
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普通に車が行き来してもおかしくない規模の橋を渡り……
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環濠入口に到着。
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ふと横を見ると、ゲームの世界でよく見る典型的な中世の拠点といった雰囲気。集落を取り囲むように土塁と木の柵、堀、木のトゲトゲが配置されており、外敵が存在し拠点を防衛しなければならない時代であったことがよくわかる。
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ところで、私は吉野ヶ里遺跡に並んで社会科の教科書でよく見る三内丸山遺跡にも以前行ったことがある。縄文時代の集落と比較すると、弥生時代の農耕社会が人々の生活・文化に与えた影響がよくわかって面白い。
特に大きな特徴として、稲作という大変効率的なエネルギー摂取手段の確立により集落の規模が拡大し、いわゆるクニが成立した……というのはよく聞く話だが、とにかく吉野ヶ里遺跡は規模がデカい。テキトーにぶらぶら歩いていると日が沈んでしまうレベルのため、今回は珍しくルートを決めて巡ることにした。
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まず、現在位置は地図の中央やや下の環濠入口広場。ここから周辺に集まっているスポットを反時計回りに、展示室→南内郭→倉と市→南のムラ→祭壇→弥生くらし館……という順で巡る。地図に落書きするとこんな感じ。
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で、まずは展示室からスタート……といきたいところだが、写真がとにかく多いので展示室の内部は全カットして南内郭から開始。展示室はコンパクトながらも充実しており眺めて周るだけでも楽しめた。
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南内郭には遠くからもよく目立つ物見櫓が何棟も建っており、周囲の監視はもちろんだが集落の権威を示すシンボル的な役割も持っていたとのこと。
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そんな権威のある場所ということから、南内郭には政治・行政を行う支配者層が主に居住していたらしい。
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ちなみに吉野ヶ里遺跡のほとんどの建物は内部に入ることができる。全部の建物に入ると時間が溶けてしまうので、気になったら入ってみるくらいのノリで行くのが良いだろう。
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竪穴住居の中から覗く物見櫓。
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もちろん物見櫓にも登れる。
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南内郭の様子。支配者層の住居が集まっているが、竪穴住居であることには変わりない。
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南内郭から西側の「倉と市」エリアを展望する。けっこう建物多いなあ。
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で、実際に歩いて倉と市エリアへ。竪穴住居でない現代的な見た目の建物を発見。
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なんと大根が吊るされていた。収穫された農作物がここで保管され、市場へ売りに出されていたのであろう。そんな太古の時代に思いを馳せた。
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倉と言えば高床式倉庫。
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写真では幾度となく見てきたが、現物を目にするのは初めてかもしれない。
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中はこんな感じ。稲穀が大量に保管されていた。
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エリアの中心には周囲を見渡せる2階建ての建物と謎の太鼓。ここを中心に市場が開かれていたのだろうか。
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といった感じで倉と市エリアの散策を終え、道なりに歩いていくと……
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一般身分の住民が暮らしていた南のムラに到着。ほかのエリアと違いだだっ広い畑の横に住居が並んでいる様子から、農作業がメインで行われていたことがわかる。ただ、全体像がよくわかる良い感じの写真を撮りそこねてしまった。
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南のムラ近くにあるのが祭壇だ。登ってみると……
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見事に何も無い。ここで祭祀が行われていた場所というだけで、そのための設備などがあったわけではないのだろうか。
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で、前半最後の訪問スポットが弥生くらし館……だが、ここは体験プログラムを行うのがメインの施設らしく、博物館的な展示はあまりなかった。というわけで写真もなく、環濠入口バス停へ。
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実は吉野ヶ里遺跡には主要スポットをぐるっと周る無料バスが運行されており、20分に1本程度とそれなりに利便性も良いので積極的に活用してみると良い。まあこの日はオフシーズンということもあって私しか利用客いなかったけど。
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というわけで後半戦スタート。1の環濠入口バス停から3の北墳丘墓バス停まで移動し(青矢印)、そこから北墳丘墓→中のムラ→北内郭と巡り(赤矢印)、4の北墳丘墓下バス停から出口へ向かう旅程だ。
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というわけでまずは北墳丘墓から。集落の歴代の王が埋葬されている墓で、土を積み重ねた人工的な丘になっており規模は極めて大きい。
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内部は本物の遺構を露出展示する博物館になっている。学術的に極めて重要な遺構だが、これを発掘当時の状態のまま保存して展示し、さらに外側は丘の状態に戻すというこの博物館そのものの構造・発想も大変面白い。
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で、見学を終えて南の方へ歩いていくと……
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今度は一般身分の人々の墓が。甕棺墓列といい、大きめの土器に体を折り曲げて入れて土の中へ埋葬する方式が取られていたようだ。
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続いて中のムラだが、ほとんどは今まで見てきた建物と変わらなったのでほぼ通り抜けるだけ。唯一気になったのが、竪穴住居を模した休憩所。ぱっと見ると他の古代建築と大差ないが、中では自販機が輝いているというギャップがなんとも面白かった。
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で、いよいよ最後のエリア、北内郭へ突入。集落の中で最も重要な場所であったらしく、中央には巨大建築物が。
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この建物は主祭殿で、政治の場としてクニ全体の重要な事柄を決める会議が行われていたほか、祭祀・祈りを行う神事の場でもあったとか。1層目が高床式の3層構造で、天守閣のように威厳を放っている。
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階段を登っていき中へ入ると、2層目では権力者による会議が開かれている様子が再現されていた。
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さらに階段を登って3層目へ行くと、最高司祭者が祈りを捧げお告げを聞いている様子。話し合いで決着がつかない重要議題はお告げに従って決められていたようだ。
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といった感じで主要スポットは全て巡ることができ、4番の北墳丘墓下バス停から入口へ戻る……のが普通だが、私は来た道を戻りたくない原理主義者なのであえて5番の西口バス停で下車。メインゲートで荷物を預けなかったのは、この捻くれた旅程を実現するためだったわけだ。
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西口からは南内郭などの物見櫓が遠目に見える。雨の影響で遠景は白黒に見え、まるで水墨画のようだった。
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東口のメインゲートは建物も道の長さ・幅もスケールが大きかったが、西口は裏口という感じでちまっとしていた。まあ外へ出ると平原の広がる景色であることはどちらも変わりないが。
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東口へのアクセスルートに比べると案内看板が全く無いが、駅は遠目に見えており道も真っ直ぐで1回曲がるだけなのでこちらも迷う心配はない。
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というわけで吉野ヶ里遺跡のもう1つの最寄り、神埼駅に到着。
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駅前には吉野ヶ里遺跡を指差す卑弥呼の銅像が立っていた。
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……といったところでキリが良いので今回はここまでとしたい。
吉野ヶ里遺跡は規模の大きさはもちろんだが、1つ1つの建物やそこで暮らす人々の生活を丁寧に検証・再現しており、当時の社会構造や生活文化に対する理解を深めることができた。加えて、博物館的に展示されている資料も多く解説も充実しているため、満足度は非常に高かった。
規模が大きいゆえに見学に時間がかかるのが惜しいところだが、今回の旅程では無料バスを活用しながら効率的に周ることで、東口から入って西口から出るまでの所要時間は3時間に収めることができた(資料をじっくり読むことはできなかったが……)。もし吉野ヶ里遺跡を訪れる際は参考にしてみてほしい。