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デビッド・コーエン氏と戸谷由麻氏による共著『東京裁判「神話」の解体 ─パル、レーリンク、ウェブ三判事の相克』に対する読書感想文

1 はじめに

デビッド・コーエン氏と戸谷由麻氏による共著『東京裁判「神話」の解体 ─パル、レーリンク、ウェブ三判事の相克』に対する読書感想文を書いてみる。
東京裁判に関しては、秦郁彦氏の『南京事件─「虐殺」の構造』(1986年)への反論を書こうと思いつつも、【法律】【国際法】への知識が皆無で、なかなか踏み出せないままであった。反論を考えつつ、国際法の書籍類や論文を読み込みながら知識を少しずつ増やしていった。
そこで、ぼちぼちと東京裁判での【南京事件】に関する文献を理解する上で、国際法と東京裁判への理解が必要と痛感した。もちろん、冨士信夫氏の『私の見た東京裁判〈上〉』や『「南京大虐殺」はこうして作られた―東京裁判の欺瞞』を読んではいたが、国際法から見た視点が不足している感じがしていた為、南京事件を【事実】として認識している【法曹会】や【国際社会の法曹会】の主張も見る必要があると考えている。
この書籍を読了後、戸谷由麻氏の『東京裁判─第二次大戦後の法と正義の追及』(2008年)も、ついでに読み参考にしている。随分掛かってしまった。
この書籍は、『東京裁判「神話」の解体』の主題は、南京事件ではなく、如何に東京裁判が後の国際刑事裁判所に貢献があったかと、ウェブ判決草稿を用いると【日本軍はヤッパリ戦争犯罪国だ。その指導者は戦争犯罪人だ。】という結果を導けるという主張である。
この書籍の目的としては、1998年に出された国際法学者の佐藤和男氏が監修し、インテリジェンス専門家の江崎道朗氏が著述した終戦五〇周年国民委員会編の『世界がさばく東京裁判』への反論書籍であると考えている。理由はレーリンク判事のA・カッセーゼ氏(国際法学者/国際刑事裁判所判事)が共著した『レーリンク判事の東京裁判─歴史的証言と展望』を用いた東京裁判への批判に対して反論をし、もう一度東京裁判を【肯定】し直し日本人に【加害意識】と【天皇陛下は戦争犯罪人】という意識・認識を醸成することが目的であると考えている。
そして、東京裁判は【勝者の裁き】ではないという主張を【法理学的】に裏づけようとしたコーエン、戸谷両氏によるケンブリッジ大学で出版した【内容】が正当性があると読者に思ってもらいたい意図が見える。さて、どうだろうか。その様に著者達の意図通りの感想になるだろうか。
今回の文章では、当方は別に法学者でも司法関係者ではないので、難しい法律に関して反論などは大先生方達に向かっては到底出来ないので、飽く迄感想を述べていきたいと思う。

2 日本がポツダム宣言受諾

書籍の内容を読み進める順を追って感想を述べていきたいと思う。
この書籍は、『The Tokyo War Crimes Tribunal: Law, History, and Jurisprudence』というお二人の共著の書き下ろし(簡易版)日本語版と言う事、素人にはこの程度で十分理解出来るだろうという有難い内容である。
ポツダム宣言を受諾したことで【裁判憲章そのものを受け入れた】という解釈が通念として現代でも主流となっている。東京裁判(極東国際軍事裁判)は、第二次世界大戦に敗戦間近の日本がポツダム宣言を受け入れたのは、欧米が【現在日本国に対し集結しつつある力は、抵抗するナチスに対して用いられた力に比べ、はかりしれないほど強大なものである。われらの軍事力を最大限使用すれば日本国の軍隊は完全に壊滅し、またそれは日本国土の完全なる破壊を意味する。よって、右の条件をのむ以外の日本国の選択は、完全なる壊滅しかない。(一部を要約)/色摩力夫(元外交官・評論家『日本の死活問題』より P.27)】という【原爆2発】による一般人を含める【陸戦法規違反】の攻撃を用いて【恫喝】と【脅迫】されたことにより日本には受け入れる以外に選択肢が無かったことは考慮に入れるべきでは無いかと少なくとも日本人であるわが身としてはそう思う。
牛村圭氏が篠原敏雄先生追悼講演会「東條英機の東京裁判」と題した講演の中で《この憲章を詳しくみると、第5条「人並ニ犯罪ニ関スル管轄」という項があり、そこには「本裁判所ハ、平和ニ対スル罪ヲ包含セル犯罪ニ付個人トシテ又ハ団体員トシテ訴追セラレタル極東戦争犯罪人ヲ審理シ処罰スルノ権限ヲ有ス」という文言があります。以上を考え合わせると、「ポツダム宣言」第10項からは特に捕虜の虐待を主眼に置いた戦争犯罪、そして「極東国際軍事裁判所憲章」からは、「平和に対する罪」を掲げた上での戦争犯罪、これらの審理をおこなう軍事裁判になろうということが、ここではっきりしたことが分かります。》(牛村圭氏が篠原敏雄先生追悼講演会「東條英機の東京裁判」講演レジュメ)
と述べている。
ポツダム宣言の第10項《我々の意志は日本人を民族として奴隷化し、また日本国民を滅亡させようとするものではないが、日本における捕虜虐待を含む一切の戦争犯罪人は処罰されるべきである。日本政府は日本国国民における民主主義的傾向の復活を強化し、これを妨げるあらゆる障碍は排除するべきであり、言論、宗教及び思想の自由並びに基本的人権の尊重は確立されるべきである。》(同講演レジュメ)の【日本における捕虜虐待を含む一切の戦争犯罪人は処罰されるべきである。】により、裁判が受諾され【刑罰】が与えられる法的根拠となったというのが、東京大学を初めとして、政府の外務省の一般的な受け取り方のようである。
【裁判憲章そのものを受け入れた】という考えが日本の法学者や法曹会、政治家、官僚達に通念とされるようになったのは、東京大学法学部助教授の政治学者の丸山眞男が、戒能通孝東京都立大学教授(後述)から速記録を丸山氏が借りて書いた論考にかかれている「日本ファシズムの矮小性」と捉えた認識が受け入れられていたと考える。それが様々な教育やメディアによる拡散で広がったと考えている。
しかしその丸山眞男の考えは【軍への私怨】から来るものでは無いかと考えられる。
牛村圭氏によると《丸山眞男が記そうとした鮮明な差異ではなく、多くの共通点があった、にもかかわらず丸山は自己の主張に好都合な史料のみを提示し、速記録の引用にさいして操作さえもおこなって、日本人被告を貶めるような議論を展開しようとした》(同講演レジュメ)というふうに丸山は私怨から来る恨み節を考えに載せたと言う事になる。。
本来ならば、主権国家が他の主権国家を裁判で裁くなど当時も現在もあり得ないのだが、当時国際社会でその様な合意が確立しているわけでもない。2021年に国際刑事裁判所(ICC)がイスラエルをパレスチナ国家への戦争犯罪で、挙証し捜査・逮捕する決定をした。主権国家のイスラエルをどの国が捜査し、又関係者を逮捕するのか興味があるところである。実行は別として、このような事があり得るかというと、1998年に国際刑事裁判所の設置とローマ規定の国際社会によるコンセンサスと合意が整ったからでもある。ただし、イスラエルは同規定への加盟はしておらず【法的義務に拘束されていない】ので、ちょうど東京裁判と同じ構図となっている。
ジェノサイド条約が1948年12月9日国連第三回総会決議260A(III)にて全会一致で採択され、1951年1月12日に発効された。これは日本は批准していないが、中華人民共和国は、中華民国が1949年7月20日に署名し、蒋介石が台湾に逃れたのが1949年であるからおそらく1983年4月18日に中華人民共和国も加盟若しくは批准しているのではないかと。アメリカも1948年12月11日署名し、1988年11月25日に批准している。
この条約は、ジェノサイドの罪を時間を遡って対象ケースを裁くための条約であるが、それを裁く裁判所は、その行為が行われた領域の国の権限ある裁判所又は国際刑事裁判所の管轄権を受諾している締約国については管轄権を有する国際刑事裁判所により裁判を受ける。(この条文は多数の国が留保しているため機能不全に陥っている。)
そして、この罪を背負った国の指導者及び直接間接的に関わった人々の【逮捕】する【権限】を持つ【警察機関】は全く存在していない。
この事は、東京裁判を理解する上では、重要ではないかなと思っている。

3 ウェブ裁判長判決書草稿への評価

この書籍によると、国際刑事裁判史上の基盤となる出来事だったという理解が国際法学者の間で一般化しているらしい。しかも近年国際社会で評価されるようになっているらしい。そしてここ20年ばかりで、国際社会の中でも国際刑事裁判所が1998年に設置されたことで、東京裁判の再評価が進んでいるらしいのだが、その評価書籍に田中利幸の文献も挙げている。Yuki Tanakaという偽名を使って、日本人の人肉食(生肉)やインドネシアのバンカでの日本軍部隊上陸直後での看護師(20名程度)の強姦殺人事件などという【虚偽の情報】を英語論文を使って拡散した人物である。
その評価自体お察しというのだけれど、発端は前述したカッセーゼ氏や佐藤和男氏の文献に対応したものだろうと推測できる。何とか東京裁判を従来通りの肯定したいという目的だろうと考えられるが、実際は、なんともならないので【国際刑事裁判所ローマ規定】へ繋がったということ【ぐらい】しか、評価のしようが無かったとも言える。
東京裁判が近年の国際社会で評価されるようになったか理由として、ジェノサイド罪、戦争犯罪、人道に対する罪、そのほか大規模な人権違反に対する免責をなくすための国際刑事裁判が世界的に重要な役割を果たすようになってきたからであろうと書いているのだが、これを読んだ人は裁判・検察・刑事・弁護士のTVドラマや小説を思い出すべきだろう。
そもそも【誰】が嫌疑を掛けるのか?、そして犯罪者又は国家組織への【検挙(逮捕)】は【誰が】するのか?である。
前述して在るとおり、この【罪】の嫌疑を他国から掛けられた国の指導者及び直接間接的に関わった人々の【逮捕】する【権限】を持つ【警察機関】は全く存在していないが、現在でも状況は全く変わっていない。
現在も、国家主権を越えて捜査し、逮捕立件する警察機関組織は国際社会には存在しない。その証拠に2000年ぐらいから持ち上がっている中華人民共和国の中国共産党によるウィグルのジェノサイドの噂に関して、中国共産党の許可無しに新疆ウィグル地区での捜査などは一切できない。
現在でも想であるから、過去の1930年代も同じで、同時代の法律を解説した書籍で、盬谷恒太郎著『分析法理学』でも、国際社会は個々の主権国家の上に存在する権威組織は存在していない。そして現代も国際社会は依然としてアナーキー(無政府状態)である。
この書籍でもう一つの大きな主張である【個人責任論の原則】が、【【始めて】】適用されたのがニュルンベルク・東京裁判所であり、その事をことさら強調して【評価】とされている(P.14)。むしろこの部分しかないと言っても過言ではない。
もう一つは、ウェブ裁判長判決書草稿への評価である。この草稿の評価によって、多数派が為し得なかった【本当の判決】=【日本国犯罪成立と為政者犯罪成立】が行い得るものだとの主張である。
後の国際刑事裁判所の設置と実行においての【歴史的先例】としての評価をことさら強調するのはどうなのだろうか。

4 初期の東京裁判研究者

初期の研究者として、つぎの4名を挙げている。
①戦前から国際法の権威として名高い横田喜三郎(満洲事変以来の中国における日本政府の対外政策を批判し、戦後も法学者としての信用を保ち一九六六年には最高裁判長をつとめた。)、②戦後日本における刑法の分野を定義づけた刑法学者の団藤重光(1974〜83年に最高裁判所の判事をつとめた)、③民法学者として著名な戒能通孝、④英米法を専門とする高柳賢三は、東京裁判における被告人のリーダー格弁護人だった人物(P.16)
①については、補足が必要でWikiをみると、《かつてはマルクス主義の読書会(ベルリン社会科学研究会)に参加するなど親社会主義的な法学者として知られ、軍部に睨まれたこともあった。1931年(昭和6年)の満州事変に際し、自衛権範囲の逸脱だと軍部を批判した[1]。1930年から1931年にかけて、『国家学会雑誌』上でケルゼンの純粋法学をめぐり、擁護する立場から美濃部達吉と論争を行う。極東国際軍事裁判(東京裁判)の法的な不備を認めながらも、裁判自体については肯定的評価を与え、「国際法の革命」と論文で述べた。なお、東京裁判では裁判の翻訳責任者を務めた。その後、東京大学法学部長、日本学士院会員などの地位にあって日本の国際法学会をリードした。》ということで、戦後日本の法学及び法理解の方向性を決定的にした人物でもある。何故なら東京大学の法学部関係は彼の意図が中心かつその後エリート達が日本国の中枢を担う各省庁、各地の大学教官に入っていくことになるからである。
この4名には、【それは、東京裁判が国際法の歴史的発展に積極的な貢献をし、とくに国際犯罪に対する個人責任の原則を認めて適用した、という共通理解である。】としているが、④の高柳健三氏は【個人責任の原則】を認めて居無いので、誤った記述である。
そもそも【個人責任の原則】とは、主権国家の元での【刑法】による【刑事罰】にたいする【原則】と考えるが、法律には様々な【原則】があるので、それらは無視しても良いのかと言う事になる。
東京裁判でほぼ無視された【原則】を挙げると、司法権力の分割の原則、罪刑法定主義(法の不遡及)の原則、推定無罪の原則、主権国家による裁量権の原則(属地主義の原則)、主権平等の原則、基本的人権の原則(被告人の人権の保護)、冤罪防止の原則、誣告防止の原則などがあるが、どれも無視した上で【個人責任の原則】のみを前面に出すのはどうかと考える。基本的に戦後の司法の大きな概念での変更はないはずである。
さらに言えば、制度(システム)が、現在の国際刑事裁判所のようなシステムすらない。【法手続き】も英米法と大陸法では違いがあり、事前にロンドン会議(四ヶ国会議:1945年6月26日から8月8日)で政治的に摺り合わせをしている。
初期の研究家のうち、法曹家たちは軍部に睨まれ、かつ戦時中自由な活動や教え子を戦地に赴かせるような馬鹿な行為をした軍部に対し恨みを持つ人物も居ただろうし、根本思想としてソ連を理想郷としている共産主義を抱えている人物だったかも知れない。
団藤重光氏は裁判判決は冤罪の可能性が絶対ではなく、死刑反対論者に転向した人物が、東京裁判という【冤罪製造場】を肯定したとは考えにくい。もし、肯定した立場ならばダブルスタンダードだろう。
戒能通孝氏は、戦犯被告となった鈴木貞一氏の弁護に当たっている。この人物は満洲事変以来の日本軍の行為を【侵略】と認識していて、かつ『極東裁判』(1953年)の中で、《あらゆる革命には新たに形成された権力を旧支配階級の反革命策動から守るために、革命裁判の実施が必至となる、そうした革命裁判は、従って常に事後法による裁判とならざるを得ない、このように考えると、第二次世界大戦は世界の民主主義勢力のファシズム諸国に対する民主主義革命戦争なのであり、その革命戦争の一部として、東京裁判は事後法による裁判として実施されたのだ、という理解を示している。ここには、戦争責任追及に関する「政治」の優越に対する確信が見られる。(赤澤史朗 論文『戦後日本の戦争責任論の動向』http://www.ritsumei.ac.jp/acd/cg/law/lex/00-6/akazawa.htm)より》や昭和27年4月25日に行われた日本法社会学会第八回総会の討論会で次のように述べている。《破壊活動防止法が国会を通過すれば、その次の段階にはおそらく再軍備反対あるいはまた徴兵法反対というようなものがほとんど不可能にされて行くであろうということを、ある程度本能的に感ずることは私も同感でございます。私自身も破壊活動防止法は、決して共産党取締法ではない、将来の再軍備反対運動取締法であり、かつまた徴兵法反対運動取締法であるという立場におきまして、あれには心から反対を表明したいと思つておるわけであります。》すこしメモ程度を書くと翌年昭和28年韓国が竹島で漁を行っていた日本漁船を拿捕している。
①の横田喜三郎同様に、この戒能通孝氏もかなり左翼(共産主義・社会主義)傾向の強い方ではないかと思えてくる。余談だが、朝鮮半島人の【金嬉老事件】の弁護人でもある。(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%91%E5%AC%89%E8%80%81%E4%BA%8B%E4%BB%B6#cite_note-8)
私怨に燃える丸山氏に東京裁判の速記録を見せたり、【革命】という言葉を多用し、【共産主義的民主主義】を推進しようとしているように思えてくる。
司法権力の分割の原則について、ウェブ裁判章も問題視していて、東京裁判の記者団に次のように述べている。
《本裁判所には、英米の概念に基づいて、純粋な共同謀議を犯罪とする権限はなく、また各国の国内法において共同謀議とされている犯罪の共通の特徴と認めるものに基づいて、そうする権限もない。多くの国の国内法が、国家の安全に影響を与える純粋な共同謀議を犯罪として取り扱っているかも知れない。しかし国際秩序の安全のために、純粋な共同謀議という犯罪があると本裁判所が宣言することは、裁判官による立法をおこなうことに等しいであろう(朝日新聞東京裁判記者団『東京裁判 下』P.308)。》(終戦五〇周年国民委員会編『世界がさばく東京裁判』P.184 15行目)

5 戒能通孝氏が東京裁判の終了した後の1948年に『歴史評論』発表した論文

さらに、戸谷由麻氏の著作戸谷由麻『東京裁判─第二次大戦後の法と正義の追及』のP304に戒能通孝氏が東京裁判の終了した後の1948年に『歴史評論』発表した論文で、【罪刑法定主義】を東京裁判で無視したことについて、次のような記述をしている。
《革命裁判は常に事後法裁判であり、罪刑法定主義を形式上常に否認する。なぜならば革命者は革命が成就する以前には、常に犯罪人として追及され、その的たる支配階級に追いまくられていたのであるが、革命の達成後初めて合法性を獲得し、自ら制定した法により旧敵の反抗を鎮圧するのは当然だからである。革命者に向かって罪刑法定主義の厳守を求めるのは、まさに論理的矛盾である。彼らは革命の成功以前には、その国の憎むべき犯罪人だった。しかし革命が成功することによって犯罪人が合法的政府の主体となり、彼らを追いかけていたものを、逆に追いかける立場に立つのである。秩序を愛する人の眼からみた場合、革命に基づくこれらの政治的価値転換は、呪うべき混乱とも映るであろう。だが実際の問題は、革命家に革命弾圧処罰権がなかったら、革命は起こり得ないのであって、このことは「革命」の性格上、自動的に由来することである。革命はこの意味に於いて法を知らない(46)。》というまったく香ばしい文章を書いて居られる。何を言っているのか正直誰か教えて欲しい文面である。
第二次世界大戦は、【革命】であり、【革命】はつねに【法を知らない】ので、【罪刑法定主義】を否定しても問題はないという【理屈】なのだろうか?
近年ヴェノナ文書などで、第二次世界大戦が【共産革命】のための【戦争】だったとという推論が事実とされだしていることは確かである。
それにしても、法律家である。この方は革命家だったのだろうか。アメリカの制度が国際社会から犯罪人とされたこともないが.... 日本で革命が起こったわけでもないし、単に戦争に負けただけである。【革命戦争】という行為とは全く違うし、東京裁判は当時日本が複数の他国と結んでいた【条約】が元になっている。何を言って居るのだろうか?
【民主主義革命戦争】などと【革命】を使うのは、共産主義者が民主主義をよく使うので、根本思想的には共産主義者だったかも知れない。
この4者から判断できる感想としては、当時、国際法において【個人責任の原則】が【確立】されていなかったという証左ではないだろうか。
そしてその事は、すなわち【確立されていない原則】で【日本軍人個人を裁いた】という事を言明されてないまでもそういう事実を示していると思える。
そこには、【基本的人権】もあったもんじゃない。

6 パル判事に対する不要な中傷

パル判事が、判決文を公開して以来、日本人としては日本軍の弁護を務めた弁護士達の言及などから、【違和感】を感じていたことは確かであるし、【個人責任の原則】という【主権国家】の元での【刑法】の【原則】が当てはめられたことに強く疑念を抱いたことは当然なのだが、この著作者は、《同判事(パル判事のこと)は、一九五〇年代から一九六〇年代にかけて戦犯受刑者の同志から招待を受け、三度にわたり訪日した。》と書いて、まるで【判決】に手心を加えるために日本の戦犯被告の関係者から接待を受けているかのように記述している。まるで、パル判事に対する嫉妬と憎悪を感じる中傷文面である。
この事は、全く法理学とは関係の無いことなのでパル判事の印象を悪くさせたいという印象操作だと思われる。
【違和感】でいうと、著作者の一人である戸谷由麻氏の著作にもあるのだが、真珠湾攻撃に関して、1907年のハーグ第3条からは攻撃の法的性格を決定するには実用的でない文書だとしてアメリカの主張を退けている。少し引用すると《判決書によると「この条約は敵対行為を開始する前に、明瞭な事前の通告を与える義務を負わせていることは疑いもないが、この通告を与えてから、敵対行為を開始するまでの間に、どれだけの時間の余裕を置かなければならないかを明確にしていない」のであり、そのためこの条約は、「狭く解釈することが可能であり、節操のない者に対して、他方でかれらの攻撃が奇襲として行われることを確実にしながら、右のおうに狭く解釈された義務には従うように工夫する気をおこさせるものである」ということだ。つまりハーグ条約そのものに不備があるため、この文書に拘泥する意味が見いだせないというのだった。(『東京裁判』 P.143)》
しかし、ハーグ条約の不備理由に真珠湾攻撃の違法性を不問した割りには、【不戦条約(ケロッグ・ブリアン条約)】の【侵略】の定義についての不備を勘案しなかった判事たちの判断は、首尾一貫していない感じがする。
外にも共同謀議の論理にしても確立された論理を東京裁判で当てはめたようで、国士舘大学の奥原敏雄氏の論文による共同謀議はそもそも【権利の乱用と防止と救済】【虚偽の告訴する結合(協議・関係)】だというし、【共同謀議】が【顔をつきあわせて】とは関係なく、決められた行動を達成するために行動した場合にも【一方はある行為を実行し、他方は同じ行為の他の部分を実行】すれば【共同謀議】に該当するということは、南京暴虐事件で松石根大将は共同謀議罪の平和に対する罪(訴因:1、27)に該当するはずだが、適用された訴因は【共同謀議罪】ではなく、通常の戦争犯罪にたいする不作為の訴因55だけである。
そもそも【不戦条約】を【不履行】の場合、国家を動かす君主及び為政者個人にその【責任】を負わせて、【誰かが処罰する】という規定が確立されていたのかどうか。
藤田久一氏の『戦争犯罪とは何か』に、第一次世界大戦(1914〜1918)の敗戦国家であるドイツ帝国の国王ヴィルヘルム2世(Friedrich Wilhelm Viktor Albert von Preußen)とドイツ軍兵士による1906年のジュネーブ条約(傷病者の状態改善に関する第2回赤十字条約)、1907年のハーグ陸戦条約への違反者を【戦争犯罪者】として【処罰】しようとしたが、オランダやアメリカ(第28代大統領、ウッドロウ・ウィルソン大統領)の反対で、処罰は行わなかった。理由は【事後法(罪刑法定主義)】という理由からである。
オランダは当時中立国で、ヴィルヘルム2世の亡命先であったが、戦勝国側が引き渡しを求めた際には、【戦争犯罪人】として裁く事は【罪刑法定主義】に触れるため、今後国際社会で【検討】し、【確立】した場合であったならば、【引き渡す】として要求を拒んでいる。
では、その後戦勝国側は不当として、オランダに宣戦布告しの上、ヴィルヘルム2世を奪還したこともなく、うやむやにしている。
清水正義著『第一次世界大戦後の前ドイツ皇帝訴追間題』」『白鴎法学』第十九号によると、《例えば、オーストラリア首相ヒューズは「彼[前皇帝]には世界を戦争に突っ込ませる完全な権利があるのです。今、我々は勝利をした。だから彼を殺す完全な権利がありますが、それは彼が世界を戦争に突っ込ませたからではなくて我々が勝ったからです。法律違反で彼を訴追するなんて、首相、それはできませんよ」と率直に語り、ロイド・ジョージ(イギリス首相)を牽制すると、軍需相チャーチルも呼応して、「前皇帝を絞首刑にするという道を意気揚々と開始するのは易しいし、大衆の一般的関心をその中に取り入れることもできる。けれど、時が過ぎてやがて大変な袋小路に陥ってしまうことになるでしょう。世界中の法律家たちがこの起訴状はとても支えきれるものではないことに気がつき始めるでしょう」と非常に消極的な姿勢に終始した。》
その後、1928年にパリ不戦条約(ケロッグ・ブリアン条約)などが締結されて、その中で条約を違反または不履行の場合に置いて、【主権国家】における【君主】または【政府高官】に対する【罰則】を明記している内容は存在しない。
国際法上での【国家責任法】が議論及び認識されていくのは寧ろ戦後の話になる。【罪刑法定主義】を無視して【事後法】を認めたのは1951年のジェノサイド条約であり、【国家】と【国家】の間での【公法】としての【刑法】が国際社会でコンセンサスを得ていくのも、東京裁判の50年後のローマ規定からである。言うまでもないが、その間に起こった世界各地での戦闘行為については全く無視である。
忘れてはならないのは、インドネシアでの植民地政策を継続したがったオランダ政府に対する現地住民による独立運動とそれを鎮圧するためにオランダが起こした戦闘がある(事実かどうか判らないが、60万人もの尊い命が失われたと言われている)。これに関するオランダ政府への【戦闘行為】に対する【パリ不戦条約】や【ハーグ陸戦条約】に関するお咎めがない。また、著者達も全く【無かった】事のようになっている。
そのほかにも、中国大陸内での蒋介石の中華民国と毛沢東等の中国共産党が【戦闘】を行った事実や、北朝鮮人民共和国が大韓民国を突如襲撃した(つまり侵略した)ことに始まる朝鮮戦争とアメリカの介入と中国共産党が参戦したことなど一切触れもしていない。

7 【勝者の裁き】論を否定の失敗

①〜④の人々以後の新しい研究者として粟屋憲太郎(歴史学者)を挙げて、その成熟し到達点にある日暮吉延による『東京裁判の国際関係─国際政治における権力と規範』(2002年)を褒め称えていることは良いのだが、それが【勝者の裁き】論を否定できているかというと全くそんな事はない。
日暮氏の講演会のレジュメを読むとイギリスのチャーチル首相が1941年10月25日に【戦犯処罰】を戦後処理に提案された述べて、その2月前の8月14日に【大西洋憲章】で【ナチドイツを完全に破壊する】【国家改造】のための【手段】としていると述べられいる。
第二次世界大戦が始まったのは、1939年にドイツが【ソ連】と合同でポーランドに【侵略】したことに端を発している。ドイツにしても日本にしても、それ以前に何等かの国際社会での【犯罪】との認識の【合意】が為されておれば、そしてそれに【批准・署名・発行】しておれば、現代の日本人も日本国の行為は国際社会に面と向かって自己都合だけを押し通そうとした【犯罪】であると認識出来た筈である。
しかし、現在でも【条約違反】は【犯罪】という認識もない。例えば、中国共産党軍は1974年以降ベトナムとの国境エリア沿いのスプラトリー諸島での領有を主張し、軍事力を行使し現在も領有地点を拡大し続けている。これは2015年10月に中国軍の領海侵略は【国連海洋法条約】という国際法違反であることをハーグの常設仲裁裁判所が中国共産党の主張を退けている。
しかし、国際社会はそれを【犯罪】と言うだろうか? 犯罪国家と取引して利益を得ているのは、欧米だけではない日本も含めてありとあらゆる国家と企業である。つまり、犯罪者に協力する共犯的役割から、【犯罪ではない】というのはご都合主義だろう。
本来なら、【犯罪】は【公法】であるがゆえに、【法学者】達ならば、【中国共産党】は【犯罪国家指導団体】であり、国際社会はコンプライアンスを守るべきだと主張するべきところはそんな話は一切聞かれない。
フランスのベナール判事が個別意見で、【責任がある】は【犯罪】だと述べている。では、現在の国際社会はその【責任】を無視して居る中国共産党を【犯罪団体】としているだろうか。
しかし、日本は【犯罪国家】などと【犯罪者】扱いである。これではいくら優秀な東京大学の研究者や論旨を讃えても、何者であろうと【勝者の裁き】論を否定することなど容易ではないだろう。
日暮氏は、立憲民主党が開いた2015年8月に衆議院第二会館での講演会(民主党オープンフォラム「近現代史研究会」)で、【勝者の裁き】は、ナチスの行動に関する【文明の裁き】が元になっていて、【文明の裁き】とは、対象人物を選定した後、【裁判無しに即処刑する】というイギリスや米国財務長官だったヘンリー・モーゲンソーの主張であることを言明されている。思い起こすと所謂モーゲンソーの直属の部下がハリー・デクスター・ホワイトというソ連のスパイであったことはヴェノナ文書で有名である。
しかし、陸軍長官のヘンリー・スティムソンが【即決処刑】に反対し、【裁判をつうじて】という【文明の裁き】を主張したようで、理由の原因としては、【即決処刑】によるその後にナチスの残党に政治利用されることを恐れたという政治的な理由らしい。
つまり【勝者の裁き】は【即決処刑】ではない【文明の裁き】であるという【政治的主張】であると考える。
日暮氏の言及では《実際、東京裁判では、検閲もあった占領下で唯一、自由な言論空間が保障された場所だったという評価もあります。確かに法廷で原爆投下を批判しても、それで公職追放さることはありませんでした。これは公開の法廷の長所であろうと考えます。》と誰か不明な人物の評価を提示しているが、
《弁護側関係者の回想などには「日本政府や外務省が守ってくれなかた」といった批判が見られることがあります、実は日本政府は公的には弁護側を支援できる立場にはありませんでした。この点は意外に知られていなと思います。》とも言及している。
そうすると、弁護料や事務員手当など誰が一体負担したのかという疑問も出て来る。東京裁判の日本側の法廷係となって傍聴し概要を報告する任務に就かれた冨士信夫氏によると【海軍復員省】の【大臣官房臨時調査部】に復員後復職されたとあるが、【海軍】は日本政府機関ではなかったのではないだろうか。日本政府が日々、マッカーサー指令に翻弄されたというのならば理解出来るが、【公的に弁護側を支援できる立場にはなかった】というのは変な表現である。陸海軍の資料は復員省が行ったが、その他公文書などの収集における作業の協力も日本政府からの支援は受けていないと言う事だったのだろうか。寧ろ【外務省】が協力を拒否していたのをはぐらかしたいとの意図があるようにもみえる。何故かというと後述するつもりの外務省の東亜局長が【南京暴虐事件】で当時に事実関係の調査もしていない【戦時宣伝】を【事実】かのように【証言】したからでもある。
そして【自由な言論空間が保障されていたとして評価】しているが、【法廷】は自分の主張や主観を述べる【学術空間や楽しい場所】ではなく、言葉と物による【生死を別ける証明の場所】であるので、論理のすり替えだと考える。正直この東京大学のエライ教授様の思考はかなり歪んでいると思えてならない。すこし本書の話から逸れてしまった。
当時の戦勝国主にアメリカが考えた【勝者の裁き】と日本の戦後に東京裁判を批判する人々がつかう【勝者の裁き】は異なる点は判ったが、今回の著者のコーエン氏と戸谷氏は前者ではなく後者の【勝者の裁き】と考えられる。粟屋氏の研究にしても、日暮氏の研究にしても、後者の【勝者の裁き】について【否定できている】と言う事ではない。お二人の書いている事は【同表記同音異語】を利用して、【否定】しているという単なる悪質な【印象操作】に等しい。

8 日本軍将兵や官憲による戦時下残虐行為を記録した事への功績

東京裁判についての意義の一つとして、このコーエン氏と戸谷氏は《とくに日本軍将兵や官憲による戦時下残虐行為を記録したり、国際法の発展を促したりした点で、東京裁判に歴史的貢献があったと評価できよう。》とのお考えらしいが、こういう法学的な人々は、【証拠分析】は【絶対に行わない主義】の方々であり、【検察側の証拠】は絶対的に【正しい】または【事実】という【認識】だという【何の根拠もない確信】をお持ちのように思える。
戸谷由麻氏の別書籍の『南京暴虐事件』と『泰緬鉄道』にかなりページを割いておられるが、【泰緬鉄道】はよく知らないので何とも言えないが、冨士信夫氏の『私の見た東京裁判〈上〉』には、日本側の弁護人が集まったのは、開廷後2日目ではまだ23人のみで、3日目に残りの5名の選定が出来たという有様で、アメリカ人弁護士も審理が進む中で、順次到着するという状況だと記述されている。(軍隊資料のバックアップは海軍の復員省の職員がおこなった。)
これで公平な審理が求められるのであろうか? むしろコーエン氏や戸谷氏等のような【人権】と【平和】や【公平】を言及される方にはどうもその事実すら【目に見えない】らしい。
1946年5月3日に東京裁判が開廷する。10日後にフィリピンの判事が到着し、判事が11人全員揃う始末。
【南京暴虐事件】の検察側の立証が始まったのは、8月頃ぐらいである。3ヵ月の間で、検察側立証の【口供述証書】が18通、証拠資料(埋葬記録など)も提出されており、8名の証人の【証言】も成されているが、弁護側がそれに対して何か【物証】を伴った反論を用意出来たかというと時間的にも人員的にも予算的にも【無理】であったことは容易に理解出来る。資金力のある検察側は南京にまで遠征し資料を整えている。しかし、戸谷氏は【事実だから反論できなかった】という論旨を展開されているが、【証言】や【口供述証書】の内容が、現代においてはその多くが【証拠】としてあり得ない事は理解されている。これは当方は何度か別の所で書いているので今回は書かない。
戸谷氏御自身が参考にされた冨士信夫氏の文献『「南京大虐殺」はこうして作られた』には、東京裁判の検察側の証拠にかなり反駁されているし、一般人から見ると【事実】として認識出来ない。裁判員であれば【検察側証拠】を【虚偽】と見做すだろう。
それと【南京暴虐事件】の被告になった松井石根大将の【訴因55】のみの判決に関しても、軍事裁判の11人の判事のうち、4名が【無罪】に投票しているらしい。
前川三郎氏の『真説・南京攻防戦』文献の中で、松井大将の弁護人に当たったフロイド・J・マタイス弁護士が、帰国の途上に松井文子夫人へ送った手紙の中で、この人物の感想として、不当判決だったこと、訴因の何一つにも該当しなかったことをつたえている。さらに重要なのは、11人の判事のうち、4人が無罪の投票を入れたことを書いている。
弁護士の身分で、評決の投票数もどうして判ったのか少し疑問はあるが、東京裁判は、多数派(アメリカ、ソ連、イギリス、中国、カナダ、ニュージーランドの6ヶ国)とは別に個別意見をフィリピン、フランス、オランダ、インド、オーストラリアの5人の判事が書いている。
当然、フィリピンの個別意見を見てもアメリカの属国で、アメリカから植民地からの独立5年後に控えていた中を日本とアメリカ戦争によって多数の戦死者や行政システム、街の破壊が行われたことで、日本に対する憎悪感情は強いことは個別に書いた判決文からも容易に察する事が出来る。故に松井大将に無罪投票を入れたとは考えられない。すると、残るは佛、蘭、印、濠になるだが、濠はあのウェブ裁判長。
この書籍にもこれについては書かれてないし、戸谷由麻『東京裁判─第二次大戦後の法と正義の追及』の方にもウェブがどう判断したか書いてない。一つの【想像】としては、ウェブが東京裁判での【南京暴虐事件】での松井石根大将への訴因54、55への判決に無効又は無罪の投票を入れたのではないかと想像している。もしくは、マタイスが松井文子夫人に慰めのつもりで、【嘘】を書いたかである。
彼らが評価しているウェブ判事の判決草稿で、悪質で重要度が高い筈の【南京暴虐事件】に関するウェブ判事の意見を書かなかったことに疑念を想像してしまう内容となっている。
今のところ、ウェブ判事の判決草稿を見る方法がないので、なんとも言えない。
《東京裁判はしょせん戦勝国である連合国に従属する政治的な見せ場にすぎず、法や法理論の発展あるいは正義の実現という功績はほとんどない、といった見方を助長せざるをえない。》との意見は、何事も失敗は成功の元であり、失敗事例からの見直しからより良い成果を得られたというのならば理解出来るが、東京裁判は【国際正義】の体現だとか【公正な裁判】だった、【手続き上にも全く問題が無い】という素晴らしい成果なら【正義の実現という功績】は【評価】に値するだろうか。ハッキリ言ってこのお二人の御主張は、正に【正義の実現という功績はほとんどない、といった見方を助長せざるをえない】を助長しているだけである。

9 ローマ規定にたいする【東京裁判】の貢献

現在の日本が【東京裁判の遺産の擁護者、またその旗手たる役割を担っている】というのは、1998年の国際刑事裁判所の設置とその規約であるローマ規定にたいして【批准・発行】して、日本人の何名かが国際刑事裁判所の判事も務めているからだと考える。
しかしながら、1998年の国際刑事裁判所とローマ規定は【罪刑法定主義】と【属地主義】を肯定してる(後述する)。寧ろ批准した国家が【罪刑法定主義】をもとに自国の軍法などの法律を制定していることなどからも判る。(林瞬介著 論文『軍の海外任務に関するフランスの刑事法制改革』)
【罪刑法定主義】または、【法の不遡及】の【原則】は、ニュルンベルクの憲章で、戦勝国が決めた事柄を日本政府が認めた以上は、それが正当行為だという主張では、この現代におけるローマ規定の原則的な立場や国際社会の現在の法論理や国際正義も否定・批判すべきではないだろうか。
現行法制について言及しないばかりに、論理の破綻・矛盾そんな印象をあたえている。東京裁判を知れば知る程【法や法理論の発展あるいは正義の実現という功績はほとんどない】という印象しか東京裁判からは理解出来ないだろうし、この二人が批判するのは全く的外れである。
1951年に国際社会で制定されたジェノサイド条約についても、日本は未批准である。いいわけは兎も角【罪刑法定主義】を否定する条約の存在は、アメリカの【日系人強制収容】に触れねばならず、日米関係をおもんばかって出来る筈もない。
東京大学名誉教授の大沼保昭(国際法学)は、講演会【「東京裁判─国際政治と国際法の立場から─」 外交史料館報2018/03】での満洲事変を【侵略戦争】でとし【国際法上違法】だが、その違反行為を以て【個人を裁いた行為】は【国際法上合法とは言い難い】という意見のようである。
また、ニュルンベルク裁判についても大沼氏は《ニュルンベルク裁判の「生みの親」だったジャクソンは、ニュルンベルク裁判が既存の実定法に照らして国際法上合法な裁判であると主張しましたが、この議論には大きな無理があります。非常にすぐれた法律家であったジャクソンといえども、ニュルンベルク裁判を当時の実定国際法上合法であると論証することは困難で、十分な説得力を持つことは難しかったということでしょう。》とも言及しているわけで、現代においても左派(リヴェラル、共産主義、社会主義)陣営に一定の【国際法上合法】という【確立した意見】が在るわけではないとわかる。
《じつのところ日本は、今日における国際社会の現辺で東京裁判の遺産の擁護者、またその旗手たる役割を担っているからだ。》と書いておられるが、2020年の現代では、ロシアのウクライナの部分的な編入や、中国共産党によるスクラプトリー諸島軍での軍事施設構築問題、香港での民主活動家へ弾圧、新疆ウィグル地区でのジェノサイドの噂の真偽、シリアの内戦、アルメニアとアルゼバイジャンでの紛争、ミャンマーのクーデターなど、近年に起こった戦闘行為についてとして日本国や国際社会の【平和の使者たる法の護持者】達の活動は見たこともなく、メディアにもめざましい【国際司法関係者】の【活動】を見たこともない。
そもそも【罪刑法定主義】の成り立ちがどういう認識で作られたかが重要であることはいうまでもない。島田征夫著 論文『東京裁判と罪刑法定主義』に《「刑罰が法規により定まれる場合と雛も法的安全は一向保障されてはいなかった。蓋し当時は上述したように新法が旧法を廃止するということはないのだから裁判官はとっくに忘れられたような古い法規を探し出してきて適用することが出来る。そこでは『どんな裁判官のどんな気随な思い付きでも,それを権威づけ正当化する形式的法律の見出されぬものはない』のである(パストール)」「…裁判官の裁量に委ねられた刑罰の場合になると裁判官の権限は殆んど全能的なものになる。前の刑罰が法規または慣習法により定まれる場合にも広大な裁量の余地が残されてはいたが,とにかく一応犯罪の類型と刑罰の標準とがあって,裁判官は事実をこの類型に当てはめこの標準に照して刑を量定する努力を必要とした。しかるにここではこの法規もなく慣習法すら存しないのであるから裁判官はある行為が犯罪となるや,またいかに処罰すべきゃに付て,唯自己の良心によって決する外はないのである。(佐伯千偲「啓蒙時代と犯罪類型』『法学論叢』)》(島田征夫著 論文『東京裁判と罪刑法定主義』)と書かれている。
裁判官による【裁判官の裁量に委ねられた刑罰の場合になると裁判官の権限は殆んど全能的なものになる。】を防ぐためのに生じたものである。
イタリア人法学者のチェーザレ・ベッカリーア(Cesare Bonesana Beccaria)という『犯罪と刑罰』も次のように書かれている。
《法律が成文としてはっきり規定されており,司法官の役目は,ただ国民の行為を審査し,その行為が違法であるか適法であるかを法律の条文に照らして判断することだけになれば,そしてまた,無知な者であろうと,有識者であろうとそのすべての行動を指導する正と不正の規範が,議論の余地のないものであり,単純な事実問題でしかないことになれば,そのときは国民が無数の小圧制者のクビキのために苦しむことはもう見られなくなるだろう。》(島田征夫著 同論文)
さて、【革命者】による【裁判行為】は【国際正義】とか【合法行為】と呼ぶことはありえないだろう。【ニュルンベルク諸原則】が国際連合で全会一致で採択されたのは1950年の事である。時系列から言うと見事な【事後法】である。
このお二人曰く《今年二〇一八年は、ローマ規定が調印されてちょうど二〇年経つが、日本は二〇〇七年にローマ規定に加入した。その結果、日本はニュルンベルク・東京裁判の主要な遺産─すなわち、平和に対する罪、戦争犯罪、人道に対する罪、ジェノサイド罪を置かしたものに対する免責に終止符を打つという遺産─を前進させるための、積極的な役割を担う立場をとったのである。》というのは、あくまでも【国際法の発展】であって、実行動としての【積極的な役割】とは全く事実とは異なっている。国際社会は相変わらずアナーキー(不政府状態)に変わりはない。
こういうリヴェラル(共産主義・社会主義者)達は、前述したように【証拠】をふり返ることもしなければ、【現実】を見ることを【拒絶】するかのように【現実を見ない】。
無政府状態で、法律だけがあっても、誰が一体その【警察】のような【法の施行】を行うかという点をすっかり忘れている。
どの国家も並立的に国力による影響力は別として【主権国家】は【平等】である。他国が国際法をもとに訴えたとしても、例え国際刑事裁判所で勝利を収めても、【刑罰】を執行するための【逮捕】を行うことは出来ないし、【疑惑】があっても【主権国家】を【他国】が【調査】し、【逮捕】する事も出来ない。
国際社会における【国際法】の【刑罰】というものは、実質的には【法在って執行無し】状態である。
ルワンダやユーゴスラビア紛争において、貢献があったとされているが、実質的にはルワンダではカンボジアのポルポト政権がやったような自国民の殺害及び虐待を傍観していただけであったし、ユーゴは不当介入の揚げ句国際社会が一方的に罪をユーゴ紛争の関係団体に押しつけただけで、何か実質的な【証拠】による【立証】をもとにした【法の審判】であると言うことでは無い。(多谷千香子『戦争犯罪と法』)
ルワンダやユーゴスラビアを経て【保護する責任(Responsibility to Protect)】という考え方が国際社会で生まれたが、不要な軍事介入や他国の揉め事に国家予算や国民の生命を犠牲にする価値があるかどうかはそれぞれの主権国家の判断に委ねられるため、議論の途中である。
ただし、イスラム国を名乗るイスラム過激派団代によるシリアやヨーロッパ、米国などでのテロ活動について、それぞれの国家と他国との連繋をもとに取締りやシリアに対する軍事行動を行ったのは、自国に危害が加わったことからであり、基本的に自国に危害が加わらなければ関わらないのがそれぞれの国家及び国民の認識だと考えられる。
中国が自国と主張する新疆ウィグル地区でのジェノサイドの疑惑、香港の民主化運動家への弾圧疑惑、やミャンマーでのロヒンギャの問題を国際社会が介入する様子はない。当然で、中国共産党とことを構えるのは国際連合の拒否権を持つ常任理事事である中華人民共和国に【主権】を越えて【調査】及び【関係者の事情聴取】ができるのかというと、どの国の誰が一体行うのかすら【国際社会】には存在しないことが露呈している。つまり、なんら実行性が皆無の【法システム】と呼べる。
これを【積極的な役割を担う立場をとった】と2007年にローマ規定を批准した日本国について記述しても、絵に描いた餅で、何の【積極的な役割】を果たせる立場にはない。
2020年は、中国の海洋巡視の警察隊が、中国海軍の下に入ったことで、実質上【海軍の艦船】になって、尖閣諸島での領有権に危機的状況がある中で、【積極的な役割】をもとめられても、憲法第9条による【交戦権】の破棄を明記した日本国は、自国を守ることすらままならない日本国に何ができるのだろうか。
日本にすれば、国際協調と国際社会における法の支配による国際関係の構築というスローガンいう政治で参加しているだけに留まらざるを得ない立場で、何か【ローマ規定】による【警察権】を行使して【積極的に役割を担う立場】とは異なる。他の政治的な枠組み(TPP・クワッドなど)を構築して防衛しているだけである。
現在の国際社会は、自国の権益に触れない限り【国際刑法】を基準とした【警察行動】を国内世論を無視して行えるという事では全く無いし、行うつもりもない。実質的に守られるべき人々は守られない。
その事について、この二人コーエン氏と戸谷氏は【理解】が全く無い。【法】さえあれば全てが【万事解決】するという考えにも見える。
カンボジア特別法廷(ECCC)にも触れているが、カンボジアと国連で裁判の手続きなどに関しての協議が難航したのも事実。そして審議後汚職なども発見されているというお粗末さ。54,677,005ドルで一番拠出金が多かった日本が裁判自体にどのような貢献があったか不明だが、多額の費用がかかることとだけは理解が出来る結果になっている。内戦を恐れて実行犯などには触れられなかったことなども考慮すべきだと考える。もう一つ不思議なことは、この裁判の【捜査】を捜査判事が行ったことである。フランス法の影響と言う事らしい。
この裁判は誰が言い出したのかは不明だが、おそらくはカンボジア政府自体が望んだことには違いがない。だから国内での他国の判事による共同捜査が許されたわけで、その当事国が望まないような、ソ連のウクライナ飢饉、シベリア抑留や中国共産党による文化大革命や文化大革命などの犠牲者はほぼ永遠に浮かばれないだろう。
《国際刑事裁判の歴史的発展にニュルンベルク・東京裁判が基盤となしている、というコンセンサスが今だに日本に育っていないという状況は、むしろ奇妙である。》という記述は、さまざまな国際社会の歴史的事例を無視しているので、コンセンサスを日本に求めると言うこと自体が不思議でならない。やはりこういった共産主義・社会主義者の【現実認知力】は理解到底出来ない。
《東京裁判では、ニュルンベルク裁判と同じ原則に立脚し、同様の犯罪が訴追されたのであるから、「勝者の裁き」を批判を展開するとすれば、それはニュルンベルク裁判に対しても展開されなければならない。しかし、日本における裁判論議ではニュルンベルク裁判はたいて等閑視されている。》という主張にも理解に苦しむ。日本の研究者が行っている論文を読んでいないだけであって、自分達がそういう研究に対する知識が足りないことを披露しているに過ぎない。
日本では、罪刑法定主義の原則を始め、共同謀議、ニュルンベルク裁判についての論理構築などにも批判的な論文でているの読めばよいだろう。自分達の瑕疵を【等閑視】などというのは、呆れた見識だろう。
ニュルンベルク裁判が「勝者の裁き」批判を展開し、批判の焦点が主に法律上の技術的な問題であって、必ずしもヨーロッパ戦線におけるドイツの戦争を特徴付けた侵略や戦争犯罪の事実関係であろうとなかろうと、ドイツの問題であり日本がとやかく言う必要はないが、東京裁判に関しては、手続き・運営上の問題、証拠に対する事実立証に関する問題がある。それを全く見ようとしないのはいくらドイツが2014年に【ニュルンベルク・アカデミー】を設立して、ドイツの【悪業】を宣伝しようとどうでも良いし、【国際犯罪に対する免責に終止符をうつという普遍的な願いを】を表明するのは何にも問題ではない。
どうぞご自由にということであるが、現在の中国共産党のように【権義】のある場合に対する【捜査権限】が誰に付託されているか明確でもないし、事実上中国のような【強大な軍事力】を行使できるような【国家】が行う【犯罪】に対して、何か出来るかというと【現実的に不可能】である。そこに【経済利益】が加味されると【全く不可能】と言う事になる。
原理原則的に【中華人民共和国】や【ロシア】のような【軍事敵対国】かつ【拒否権を持つ国際連合の常任理事国】がこのような【国際犯罪】を置かした場合は、【捜査及び逮捕】が出来ない以上は【何人も】という【原則】は適用されないことになる。
この二人のように東京裁判やニュルンベルク裁判を【高く好評価】するような人々は、あらゆる点で【現実】から目を背け、形式ばかりを追っている方達だと判る。
【主権国家】という枠組みが容認されているのは【国際連合】という組織からも理解出来るし、【国際社会】で確立している概念である以上、単純に国際刑事裁判所やローマ規定があるからといって、【法】が有るからと言って大丈夫というわけではない。
《さにニュルンベルク・アカデミーは、ニュルンベルク裁判と東京裁判が現代の国際刑法の生誕地という共通の遺産を持っていることを認識し、二〇一八年五月、東京判決七〇周年を記念する国際会議を第六〇〇号法廷にて三日間にわたり主催した。》と、勝手にドイツで日本の東京裁判判決の記念行事をやるのは迷惑この上ない。法律的問題も事実関係でも問題がある東京裁判を日本国という【民主制度】の国家で、一定以上の国民の中で反論者が居る以上は、是認される問題ではない。
《なぜ日本の首都東京には、日本政府や東京都のイニシアティブによる「国際ニュルンベルク・東京原則アカデミー」の設立や、東京裁判判決七〇周年の記念行事の主催がないのか問われよう。》という言及も、もしこのような政府関係団体がこのような馬鹿げた記念行事を行えば、民意に背く行為であろう。
国家の【象徴】である天皇陛下を【罪人】にするような東京裁判など右翼でなくても日本人ならば容認出来る問題ではない。それができるのはこの二人のような日本ではマイノリティーの共産主義・社会主義者たち【革命主義者】だけだろう。
日本は、【法の支配】を掲げている以上、【罪刑法定主義】を否定しているわけではないし、【ローマ規定】も否定しているわけではない。東京裁判という【罪刑法定主義】という【法の原則】のみならず多数の【原則】を無視した【東京裁判】を容認するわけが無かろう。
その証拠にジェノサイド条約には批准・署名・発行を行っていない。
1992年に、湾岸戦争後に佐藤和男氏(国際法学者)による外務省開催の国際法研究会(月例)での質問と外務省側の応答を【神社本庁研修ブックレット『国際法と日本』】から引用されている。

「イラクのサダム・フセインがしたことは、世界中から侵攻戦争だと見られている。イラク軍はクウェートの領土を自分の国に併合してしまった。これは侵攻であり、侵略である。侵攻戦争は、一九四五年十月の国連憲章によって、正式に違法化されている。東京裁判の論法でゆくなら、フセインは侵攻戦争の責任を負ってA級戦犯にされ、国際裁判で裁かれなくてはいけない。言に私がヨーロッパにいた一九九〇年九月から一九九一年三月までの間に、サッチャー首相など西側の一部の政治家は、フセインをつかまえて戦犯裁判にかけようと言っていました。昨年(一九九一年)二月、湾岸戦争はイラクの敗北に終わった。もし東条元首相などを裁いた東京裁判が正しいのなら、同じような裁判をサダム・フセインに対してもしなくてもいけないのに、実際にはしていない。これはどういうことなのか。」
この質問に、外務省条約局法規課長の伊藤哲雄氏がおおよそ次のように答えたという。
《東京裁判で個人に戦争責任を追及したが、こういうことは国際法では許されてゐない、東京裁判は間違ってゐたといふ認識が(いまや世界中の諸国に定着したので、サダム・フセインに悪い戦争をした責任を個人的に追及しようなどというふ動きは全くありません)》(『国際法と日本』P.68)
この定例会はあくまで内部の研究会ではあるが、東京裁判が実定国際法を蹂躙した不当な裁判であるという認識が世界中の諸国に定着していることを、外務省ははっちりと認めたわけである。官僚は政府に従う。政府が断固として東京裁判の不当性を訴えるならば、その訴えを裏づける論理を用意する準備は官僚サイドには既にできているのである。》(終戦五〇周年国民委員会編『世界がさばく東京裁判』 P.214 10行目 日本の外務省も認めている「東京裁判の不当性」)

【東京裁判は間違ってゐたといふ認識】が国際社会で既に認識されているというと外務省側は主張してる。
イラクの元フセンイン大統領が、アメリ各軍の特殊部隊に逮捕されて、裁判の上【処刑】されたと言う情報は広く知れ渡っていると思うが、これが【東京裁判】と同じく、【人道に対する罪】【共同謀議罪】【通常の戦争犯罪】で【裁判】が行われたのかというと、全く違う。
イラク高等法廷(正式名称 Supreme Iraqi Criminal Tribunal イラク高等刑事裁判所)は占領機関である連合国暫定当局(CPA)が2003年12月10日にイラク特別法廷規程を公布。しかし、フセイン元大統領らを裁いたイラク特別法廷は米軍占領下の暫定統治機関、イラク統治評議会が2003年にバグダッドに設置した国内法廷である。https://www2.jiia.or.jp/RESR/column_page.php?id=118
その起訴理由は、【1982年に自らに対する暗殺未遂事件への報復としてドゥジャイル村のシーア派住民148人を虐殺した件で責任を問われた。】である。
結局、ハーグ陸戦条約違反やケロッグ・ブリアン条約違反ですらなく、【戦争犯罪】ですら問われていない。つまり、【東京裁判】は誤りだったという証左である。
コーエン氏・戸谷両氏が主張するような、東京裁判憲章が【何か功績がある】というわけではない。むしろ【何の功績もない】と言う証左である。

10 公平な裁判

このお二人は、《ニュルンベルク裁判でも東京裁判でも、裁判所が公平な裁判の原則を保障したことだ。》という御主張だが、弁護士をつければ、弁護側の証人を呼べれば、【公正な裁判】だとおっしゃる。
【公正な裁判】とはなんであろうか。通常【冤罪】を防ぐために、【三審制】または【二審制】がとられ、【休廷】や【調査期間の保護】、【推定無罪の原則】や【偽証罪】の個人責任も問われる。これは【被告人】に対する【基本的人権の保護】からなるものである。
当時、【南京暴虐事件】に関する証人、口供述証書の数の多さに、アメリカ人弁護士は反論は時間的に無理と吐露している。現在ならば、検察側の証人の証言、口供証書の内容が【虚偽】であると分析できているが、当時の日本国内で行われ中国へ行き、検察側挙証事実に矛盾がないかどうか調査する期間が必要であるが、その様な時間も予算も弁護側を支援する日本政府(第二復員省)に予算があるはずもない。これで【公平】と呼べるものなのだろうか。
また、ウェブ裁判長が、弁護側に言い放った言及にも、弁護側の証拠は採用しないと言っているようなものであることが判る。
提出証拠に関する裁判所の見解で、東京裁判での裁判所見解の部分を引用すると《弁護側の最終弁論の大部分は、弁護のために提出された証拠を裁判所が信頼できるものとして取りあげるだろうという仮定に基づいたものであった。これはやむを得ないことであった。なぜなら、弁護側としては、裁判所がどの証人を信用できる証人として認めるつもりであるか、どの証人を拒否しようとするかを予見することが出来なかったからである。これらの弁論は大部分失敗に終わっている。というのは、証人として率直さを欠くために、裁判所では信頼できるものと認めるつもりのない人々の証言に、かれらの議論の基礎が置かれていたからである。》(冨士信夫著『「南京大虐殺」はこうして作られた』)
又、【公平な裁判】と言う事に関して岡村治信著 論文『公平な裁判の保障』に次のような一文が掲載されている。
《裁判所の仕事は、裁判所は法による社会秩序の維持と基本的人権の擁護の最後の砦である。日本国憲法は右の理想を実現するため、七六条三項で「すべて裁判官はその良心に従い独立してその職権を行い、この憲法及び法律にのみ拘束される」と規定し、また、とくに刑事裁判に関しては三七条一項で「すべて刑事事件においては、被告人は、公平な裁判所の迅速な公開裁判を受ける権利を有する」と規定している。右のように、とくに刑事被告人に対して公平な裁判所の迅速な裁判が行われるべぎことをその基本的権利として保障した理由は、刑事裁判が国家刑罰権の発動をめざすものであり、刑罰が被告人の基本的人権を公権力によって剥奪・制限するものである以上、民事裁判に比していっそう厳正公平でなければならないこと、また、刑事裁判においては、その性格上、政治的圧力や社会的・経済的・思想的勢力その他特殊の情実が作用しやすいので、これらの外圧を遮断して法的正義と当事者の権利利益を不当な侵害から守ろうとするにあることは明白である。この場合、とくに法的に重要な理念として裁判の公平性と迅速性が強調されるが、本稿においては、迅速性の点はさておぎ、もっぱら公平性の点について裁判官忌避を中心としてやや体系的な考察をこころみたい。なお、裁判の迅速性・公平性は民事裁判と刑事裁判に共通の理念であるが、ここでは一応刑事裁判における問題に限定し、民事裁判のそれについてはとくに必要と認めたときに言及するに止めたいと思う。》
ここに書かれているように、政治や国際社会、経済、思想勢力に影響されやすいのでこれらの外圧を遮断してとある。事実はどうかと言えば、東京裁判では判決に関してアメリカ、イギリス、ソ連、中国、カナダ、ニュージーランが多数派を組み、フィリピンがさらに苛烈な判断を要求して多数派に加わっている。
そこに、なにか【法の正義】が存在するわけではなく、【政治】オンリーであり、多数派ではないオランダのレーリンク判事が後の文献に書いているが、オランダ政府から判事自己の法的判断よりもオランダ政府の介入があり、仕方が無く従ったと言うことが書かれている。(終戦五〇周年国民委員会編の『世界がさばく東京裁判』)
前述論文には《最高裁判所の判例は、「公平な裁判所とは、偏頗や不公平のおそれのない組織と構成をもつ裁判所を意味する」と解している。》とあり、組織と構成による運営上の意味として【公平性】は担保されると言う事である。
松井石根大将は、【通常の戦争犯罪:訴因55】での【不作為】の罪を適用されて【処刑】された。【犯罪的責任】で殺害された。

イギリスのハンキー卿(Maurice Pascal Alers Hankey:元内閣官房長官、元枢密院書記官長)は、「世界人権宣言」を引き合いに出して、次のように批判している。
《…例えば、国際連合の裁判所は、一九四八年一二月十日に総会によって承認された世界人権宣言、特につぎの箇条を無視し得ない。
(第十条)
何人も、その権利および義務ならびに自己に対する刑事上の告訴についての決定に当たって、独立の公平な裁判所による公正な公開の審理を完全に平等に受ける権利を有する。
(第十一条)
一、何人も刑事犯罪の告訴を受けたものは、自己の弁護に必要なすべての保障を与えられた公開の裁判において、法律に従って有罪と立証されるまで、無罪と推定される権利を有する。
二、何人も行われた時には国内法によっても国際法によっても刑事犯罪を構成しなかった行為又は不作為のために、刑事犯罪について有罪と判決されることはない。
また当該刑事犯罪が行われた時に適用されるものであった刑罰よりも思い刑罰を科してはならない。
》(『戦争裁判の錯誤』P.225)

特に、第10条の【独立の公平な裁判所による公正な公開の審理】や第11条の【刑事犯罪を構成しなかった行為又は不作為のために、刑事犯罪について有罪と判決されることはない。】を読めば明らかで、東京裁判の結審の後直ぐさま【東京裁判】を否定している。
この【世界人権宣言】をよむと、コーエン氏と戸谷氏が述る【公平性】とは、異なる事は容易に理解出来ると考える。
コーエン氏は、その略歴を読むと、《スタンフォード大学の人権と国際正義のためのWSD半田センター所長及び教授。人権、国際法、移行期の正義の分野における国際的権威。》とある。【人権・国際法に詳しい】が聞いて呆れるとはこの事だろう。
この二人は、【みせかけ公平による運営】が、【公平】といっているだけで、【事実上】【公平】とは掛け離れた【裁判】であることが判る。
では、争点として反論できなかった検察側挙証は【事実】なのかというと、このお二人が書いているように《争われなかった検察側の弁論や証拠は、判事らがそれらの事柄を証明されたとみなせるため、これは弁護側の弁論や証拠は、判事らがそれらの事柄を証明されたとみなせるため、これは弁護側の重大な欠点をなしている。》であり、裁判はあくまでも【勝敗】訴を決する場所であり、ある係争事案が【事実】であるかどうかとは【別】の問題である。
日本の国内でも南京事件に関する【家永教科書裁判】でも、【事実】が争われたわけではなく、【表現の自由】が争われただけで、【南京事件】というものが【東京裁判】で判決を受けた20万人や【南京軍事法廷】および【中国共産党(侵華日軍南京大屠殺遭難同胞紀念館など)】の主張する30万にや秦郁彦氏が主張する4万人という数字が【事実】であると【立証】された言うことでは無い。
《いずれにせよ、二年間にわたる公判審理中、検察側と弁護側は証拠を提出し、それらの証拠は反対尋問できびしく審査された。》についても、口供述証書類について、【反対尋問】など不可能であり、反駁のための【資料】も弁護側の不条理立場での理由で出来なかった。恐らく日本語を理解しないであろうコーエン氏は別として戸谷由麻氏は自身の著作で、冨士信夫氏の文献を参考図書に掲載している。その中では弁護側の不利な状況が事実として記載されているのになぜ【有利な状況】であるかのように理解し、なぜ【厳しく審査された】になるのだろうか? ローマ規定にも書かれている人権の保障について、この二人は【基本的人権】についてどう思っているのだろうか?
《というのは判決書で東京裁判所が下したひとつとしての決定の是非を評価するには、まず法廷でどのような証拠が受理されたのか、私たち自身が適切に把握する必要があるからだ。》と【言うは易く行うは難し】で、東京裁判所が【南京暴虐事件】で【受理した証拠】が【適切】だったかどうかを【適切】に評価してない人物が戸谷由麻氏自身であるからである。彼女が自身の著作の中で【南京暴虐事件】での【証言】と【口供述証書】の内容を詳細に分析しておらず、裁判の検察側証人及び証拠を【事実】としているだけだからである。
《多数派は、二年にわたる公判審理で個々の被告人に対する膨大な証拠を受理していたにもかかわらず、それをくわしく分析しないまま被告人二五名の有罪を決定している。》については、その通りで、証拠を分析も何も全く行っていないことは【南京暴虐事件】でも明らかであり、検察側の証拠・証人の証言を【事実】や【在ったもの】として【裁く】ことに夢中になっていたのは多数派だと言う事は判る。これは【事実】の【立証】や【解明】ではなく、如何に【被告人】を【罪人】にするかというそれ1点だけだったことが判る。
パル判事が証拠の分析を行っていないことは理解出来るが、その上で個人責任という法原則を適用することを実質的に拒否し、各被告人の責任に関する証拠の分析は何もしなかったのは【前段階の法的根拠】が【無い】と言うことに帰結するからである。つまり、【起訴内容の犯罪がどれほど重大なものであっても、その責任は「国家」という抽象的な実体にのみ帰せられるべきだとし、その「国家」を構成する政府職員はみな全面的に免責できる】という論を展開したのは、当時の【国際法】や【司法の原則】から見れば、【法なくして刑罰なし】という原則や【慣習法】として【不成文として成立】しているとは呼べない【法論理】に対して、それを【新たに】【適用する】という行為は【法】への欺瞞であるという事ある。
この二人(コーエン氏と戸谷氏)は《今日の日本も支持するハーグ常設国際刑事裁判所に適用されるローマ規定では、つぎのような条項が含まれて、「主権の行為の原則」は排除されている。》とも指摘して、「主権の行為の原則」や政府職員を特別に免責するという概念がニュルンベルク裁判所憲章でも東京裁判憲章でも退けられているので、パル判事の意見は間違っていると主張しているが、外務省ウェブサイトでローマ規定の和文の確認したところ第23条、第24条につぎの文面を見る。詳しくは皆さんが外務省サイトへ行けば閲覧できる。そのPDFファイルのP.32に書かれてある。

第23条 「法なくして刑罰なし
裁判所によって有罪の判決を受けたものについては、この規定に従ってのみ処罰することができる。
第24条 人に関する不遡及
1 いかなる者も、この規定が効力を生ずる前の行為についてこの規定に基づく刑事上の責任を有しない。
2 確定判決の前にその事件に適用される法に変更がある場合には、捜査され、訴追され、又は有罪の判決を受ける者に一層有利な法が適用される。

とある。
このコーエン氏と戸谷氏、【どうせローマ規定まで読者は確認しないだろう】と高をくくっている文言でどうもこういう選民意識が鼻につく。
この23条と24条の規定を眺めて、どう言い訳をするのだろうか?
両項目から、ローマ規定がニュルンベルク裁判所憲章でも東京裁判憲章を【否定】していると言っても過言ではない。
しかも、《もしパルが主張するように「主権の行為の原則」がまかりとおるとすれば、拷問、強姦、大量殺戮、その他の大規模な残虐行為について、国家指導者に刑事責任を問えず、処罰されないということになるだろう。》と述べておられるが、実際に朝鮮戦争、中国国共内戦、オランダのインドネシア再侵略攻撃、ベトナム戦争、中国によるウィグル地区でのジェノサイド疑惑、カンボジア、ルワンダではまかり通って、大規模な大量殺戮はまかりとおり、それを裁いたのはカンボジアとルワンダのみだが。
国際連合の常任理事国である中国やソ連のような拒否権のある国家や軍事力がある国家の指導者について、誰かが【国際正義】の裁きの鉄槌を下したとでも言うのだろうか。私は寡聞にして聞いたことがない。
この二人は、【抑止】と【事後】を理解していないし、【司法】だけに限定すれば、ダブルスタンダードの正に見本だろう。
この二人のような人々の書いた書籍や言及は注意する必要があり、必要な事項を自己都合に合わせて無視したり、話を刷り替えたりするので提示した元資料には出来るだけ目を通した方が良い。
《本書『東京裁判「神話」の解体』では、この学術書に基づき、東京裁判の遺産で中核にありながら正当に評価されていない部分─つまり、国際犯罪に対する個人責任の原則について、東京裁判がもたらした法理学上の貢献─に光を当てる。》と書いて居られるが、【個人責任の原則】に【貢献】があったと考えておられるようだが、既に【実行性】の【無い】という状態の【法律】が、【貢献】しているかというと【ローマ規定】を一つ見ても全体として微妙である。

12 パルやレーリンクへの評価を下げたい目的

パルやレーリンクは国際法の分野で傑出した模範的な判事と言った理解を何とか覆したい欲求があるようで、三判事の資質の問題に帰結させている。
「神話」という言葉を使って、パルやレーリンクの裁判論で称賛されることが妬ましいようで、このふたりの判事による反対意見は、じつのところ法理論上も事実認定に関する通念は、戦後日本における裁判論に多大な影響を及ぼし、国際刑事裁判において東京裁判がどのような意義があるのかの理解を歪めているという主張を張っておられる。
事実上、両氏が主張する【東京裁判の遺産】によるローマ規定や国際刑事裁判所への【貢献】を言及されることと、日本が【法の支配】を掲げることとは別の問題であり、本来数多ある【法の原則】を無視しているのは、【多数派判事たち】という批判を無視して、この三判事への批評は為し得ない筈である。
【東京裁判が法理学上もつ貢献を適切に判断することは、日本社会では難しいままとなるだろう】というが、やはり【ローマ規定】では、明確にニュルンベルク裁判・東京裁判の憲章を否定してるのだから、難しいも何もこの人達が理解すべきは、このお二人ではないかと考える。
東京裁判七〇周年を迎えた今、東京裁判の内実をもう一度見直しても【法の支配】【罪刑法定主義という法の一般原則】を堅持、推進していくことと、東京裁判という【基本的人権無視】【多数の法の原則無視】【運営上の不公平】【証拠のみ分析】【戦勝国による報復】ということが炙り出されていくだけで、何ら【正義】や【事実】がそこに存在しないと言う事が判る。
レーリンクに関しては、東京裁判や【平和に対する罪】に対しては、むしろ肯定的であり、【平和】が絶対的な要件になっている。レーリンク氏の【平和】が何か良く判らないが、【戦闘行為】だとは考える。しかし、国家主権を越える世界政府の存在が無い以上は、【国際法】は【公法】ではなく【司法的】に過ぎない以上、レーリンク氏の【理想】とは裏腹に、実行は【不可能】な【妄想】に過ぎない。
また、日本国の【侵略戦争】を批判しても、自国オランダのインドネシアへの【再侵略戦争】には一切言及していない。
司法は立法者ではない。立法者は主権者及びそれぞれの主権国家の国民に帰せられるべきだと考えるが、司法者はそれに対する論理的なアドバイスを行うだけだと考える。【現実的に不可能な法】を押しつけても【個人の理想の押しつけ】にすぎず、現実はそれにともなって行かない。むしろ反する方向に進むだろう。
それと、彼はヴェノナ文書などの【陰謀】についてを知ることもなく世を去った。結局、飽く迄法理論・法廷での証拠が全てであり、司法者の域から出ることはなかった。
おそらく、日本人でも分裂はこれから進み、調べて知識がある人間でも、リベラル・共産主義・社会主義者とそれ以外の右翼・保守・その他ノンポリに意見の相違は続くと考える。前者はコーエン氏や戸谷氏の説を鵜呑みにし、【日本は悪かった】そして【東京裁判の遺産は素晴らしい】という人々と、資料のうち証拠のとされている内容と向きあいながらそれが【事実】かどうか調べている人間との乖離は広がっていくと考える。

とまぁ、今回は以上で、序章に対する感想だけで、こんなに長文になってしまった。
法理論からは、全く言及できないので、こんな程度かも知れない。
ただ、法律は馬鹿でも判るように設計・記述しないと、司法者だけの政治的都合で恣意的に運用できる【オモチャ】になってしまうことは、ニュルンベルク裁判憲章やそれを引き継いだ東京裁判憲章で明らかだろうと考える。
そして、コーエン氏や戸谷氏の述べるような東京裁判憲章の功績や遺産など現在では全く無意味無価値と言う事が判るのではないだろうか。
この二人の主張とは逆に【東京裁判】の【遺産】とは、実の所【司法の問題点】における【反面教師】としてあるのではないかと考える。

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