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「noteの書き方」は読まない


確かにnoteの書き方は分からないし
みんなすごくフォロワー多くてすごいし
真似したくなるし、書き方知りたいなとは思う。強く。

もしこれをきっかけに何かの仕事に繋げようと思うなら尚更フォロワーは大事なのだろう。
「人を惹きつける文」と「自分の好きな文」は違うもんね

でも、それを読んで書かれた文を
自分が読みたいかと言われるとそうじゃない。
(捻くれてるかしら)

どっか他所行きの装いをした文章になって
心が動かされない気がする。

そして私は捻くれているので(二回目)
この人フォロワー稼ぎのためにやってるんだなと
察知すると、スッと冷めてしまう。

私が一番びっくりした言葉は

「noteをinstagramと勘違いしてない?」

と言う言葉。嘘でしょと思った。

文字を並べて言葉を紡ぐ場において
そんなに意味のない制約を加えて良い訳があるもんか。

特に私は 写真も好きだし
言葉なしで強く訴えかけることのできる
写真は 強い と思っている。

好きに書いていいじゃない。
「あ、これはただのblogだ」
その制約は勝手に自分で自分を締め付けているもの。

文章くらい好きに書かせてよ、
「noteの書き方」なんてやだよ
自由に書かれたその人の顔の見える文書が好きだ

少し捻くれた私の気持ち。おしまい。

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