【ドラマ】『ナイトシフト』シーズン4まだー?っていう記事を書こうと思い早数ヶ月、すでに公開されてました【LGBTQ】
去年の下書き大放出キャンペーン、ということで、ドラマとかLGBTQとかそこらへんの話を雑すぎる雑談風に、徒然なるままに。
・「LGBT」を扱うドラマ
さて。今となってはどれだけの人が覚えてるかわかんないけど、『家売るオンナの逆襲』3話が話題になりましたね!いわゆる「LGBT」回的なものだというニュースを読んで、3話だけは当時Huluで見ました。
とりあえず個人的な感想としては、原宿のシーンをぺえさんが働いてる店じゃんって思って見てたらまじでぺえさん出てて笑った(うれしかった)。
第3話については、日本のドラマでも(「BL」ではなく)「LGBT」が扱われるようになったのか〜という感動が半分と、ここまで基本的な説明から始めないといけない状況なのか〜という驚きに似た感情が半分って感じでした。いやぁこれほんとよくない(?)と思うんですけどね。やっぱこう大学とか、知識があって当たり前な(当事者の知り合いもいくらでもいる)環境に慣れてしまうと、世間様の認識を目の当たりにしたときに驚いてしまうというかなんというか。2019年にdocomoのmovaがFOMAになる!という話を聞いてるような気分になってしまう(◞‸◟)このネタ、平成初期以前生まれじゃないと通じなさそう....。なので、いちおう記事を貼っておこうと思います。
ところで本稿は当初、『ナイトシフト』シーズン3見終わって虚無になっている件を書こうとしてました。が、下書き作って放置してたらシーズン4が公開されてしまって\(^o^)/ヒェエエエ
ちな『ナイトシフト』のいいところというか海外ドラマあるあるなのかもしれませんが、説明なしにふつーにゲイの登場人物がいて、パートナー役が当事者でみたいな、安心して見ていられる作り方になっていて純粋に楽しめる感が半端ないのがよき。当たり前の話ですけど、ドラマを見るのは楽しみたいからであって、批判的なことを考えずに済むのであればそれに越したことはないわけで。そんな風に楽しみたいと思ってるからこそテレビはあまり見なくなってしまったのかもしれませんが、そこはHulu様様。けっこう海外ドラマあるんすよね。(不定期的に沼にハマるシステムが採用されているので)近頃はあまり見れてませんが。『ナイトシフト』シーズン4はちゃんと見たいと思ってます。
・「LGBT」は誰なのか問題
なんてことを書こうか書かまいか、ってので数ヶ月下書きを放置していたわけですが、唯一Twitterを覗いている(アカウントがないためブラウザで読むという、まるで自分をブロックしている人のツイートをチェックするかのような方法で拝読している)清水晶子さんのRTがきっかけで、結局書くほうに傾きました。
むろんTwitterをやってなくても例えばTERF(trans-exclusionary radical feminist=トランスジェンダーを排除する過激派フェミニスト)などについては知り合いから連絡があって知ってはいたし、なにがあってもアカウント自体は作ろうと思ってないんですが、(TERFがどうということではなく、全体的に、やんわりと)もう少し真面目に情報収集せねばと思ったので覗かせていただいてます。ツイート数も多くなく数日に1回見られれば十分なので有難い。
なおTERFについては↑
これなぁ。本当これなぁ(もはや言葉が出ない顔)。
世界的潮流については、全部が全部当事者が演じるべきとは思わないものの(正直そこはケースバイケースだと思う)、当事者が演じることがあってもいいんじゃないかなぁとか思いつつ、でも結局日本の芸能界ではオープンにしている人が少なすぎて(著名な)当事者の起用は事実上不可能なんだろうなぁとも。
日本ではLGBTQであることを「キャラ」化しなければ存在できない話は↓以前した通り。
・ホモソーシャルな「ノリ」
あとまあ、単純な話で、LGBTQとて「男社会」から逃れられるわけではないので、結局ゲイ一強のような状況にはなりがちです。そしてMtFのタレントはいくらでもいるのに、FtMは何人思い付くだろう?と考えてみればわかりますが、(トランス女性を「男性」とみなすこと=ミスジェンダリング自体が暴力的ですが)生まれたときに「男」であることの特権性みたいなの(あるいはトランス女性であってもそうして「男性」なるもののなかに組み込まれてしまう暴力性※これについては以下の引用参照)をどこまで否定できるんだろう、といろいろ見ていて思ってしまう。MtFに対して野太い声を出させたり、男性時代の名前で呼んだりする「いじり」があるけど、(たとえ本人がタレントとして合意していたとしても)ああいうホモソーシャルは身内で楽しくやってる飲み会かなにかのときだけにしてくれよ、と。
これは、身内での自分を客観視してるみたいで嫌だからなんかな?とか思いもする(男同士的なあれね:良くも悪くもそうした「しきたり」の外部にいる人に向けることはないが)。そしていろいろ考え中な案件でもある。
ところで、これも繰り返し述べていることですが、トランス女性は一般に日常生活では見ず知らずの他人に元の性別を知られたくないものです。なぜなら、この社会の成員全てがトランスに理解があるとは言えず、この社会のシステムのほぼ全てがトランス向けには作られていない。そして何よりトランス女性自身が「実は男」と言われることに怯えている。
元の性別がバレれば街で突然酔っ払いの集団に囲まれ嘲られる危険がある。トイレにも入れなくなる危険がある。ですから、ホルモン治療を受け、場合によっては整形までして、パス度を上げる努力をするのです。
なんつーか、自分自身がホモソーシャルな空間の居心地の良さみたいなものを知っているので、その「ノリ」自体を否定することはできないかな(少なくとも否定できる立場にない)と思ってるんですが、自覚なり節度は必要だと思っているというか、テレビに関して言うなら、ホモソーシャルなコミュニケーションがしっくりこない人たちに対して「ノリが悪い」みたいになってはならないし、公衆の面前での安易な「いじり」はわりとまじでご法度なんじゃないかなぁと。そもそもの権力構造とかそういう次元の問題を度外視するにしても(しちゃいかんけど、これが伝わるなら現状のようにはなっていないはずで...)、どこでもそういう「ノリ」が許されるとか思っちゃった人がいじめをしたり、そうして追い込まれた人が自ら命を絶ってしまったりということもあるわけで。
そんなこんなで結論だけものっそいざっくり言うと、楽しく生きるのは個々人の勝手だと思うけど、そのために人様の尊厳を傷付けるのはアウトっしょ。
・BL流行→LGBTQフレンドリー増加!はえぐい件
若干話は戻って、じつは『おっさんずラブ』も、Huluで公開されてから全話見ました。端的に言えば、あれは「BLドラマ」であって「LGBTドラマ」ではない、というのが個人的な感想。
とはいえ、「BLドラマ」としては素晴らしいものだろうと思うのでそれはそれでいいんじゃね?というのが素直なところ。俺はそんなBL見ないけど好きな人は好きだろうし、マイナージャンルであったBLがあれだけ流行るなんて時代が変わったんだなぁと。
ただ、世の中でBLが受け入れられるということとLGBTQが受け入れられるということは同義ではない、というのははっきりさせたい。それはそれ、これはこれ、みたいな٩( 'ω' )و
・全体的にステレオタイプがきついという話
話が変わりますが、個人的にはLGBTQ云々だけでなく、日本語のネイティブだけど見た目が「外国人」の役者さんにいわゆる「カタコト」の日本語を喋る役をやらせてるのもちょっと心苦しくて見てられないというか、勘弁してくれ....ってなってます。やっぱところどころでああこれネイティブだってわかる喋りになるし、わざわざそんなステレオタイプを演じる必要あります?っていう。ネイティブのように話すことが難しくて自然にアクセントがつくならそれはそのままでいいと思うけど、突然ファンタジー入るのはつらいっすね。
そして今でも、日本人から「偏見」を感じることがあるという。
「たとえば、僕がお箸で食事をしていると『使い方が上手ですね』と言われます。もう25年も住んでいるのに、やっぱり外国人として見られるんです。『優しい偏見』ですね」
ところでまたもやクソほど話が飛ぶけど、Huluでなにも考えずに見始めた『ナイトシフト』。どハマりしてしまい、気付けばシーズン3まで一気見。どれだけ昼夜逆転したかわからないけど、とにかく見まくった。シーズン3は、え?は??そんな終わり方あります???シーズン最終話としてどうなん????って終わり方で、見終わってからしばらくは虚無でした。
海外ドラマだからなんだろうけど、キャストもよかったです。白人黒人アジア系のように人種の多様性やLGBTQエピソードもあり、当事者俳優が出演してるのもそうだし、軍人役の人はけっこうガチで鍛えてたりもして、全体的に現実っぽさがあって物語に集中できた。
・当事者性とかリアリティとか
あくまで一般論ですけど(日本のドラマ見てて思ったことだけど)、お前絶対スポーツやってねぇだろ!って感じの身体の人を連れてきて「全国大会目指せる」的なことを言わせたりスポーツ選手役をさせたりするのは本気で製作陣の意図がわからない。選手になるのも全国いくのもそんな簡単なほど甘い世界じゃないし舐めすぎだろ、と。『ナイトシフト』と違ってレギュラー出演じゃないからわざわざその回のために身体をつくる必要はないと考えているのかもしれんが、だったらもう多少演技経験が劣るとしてもがっつりスポーツ経験ある人を使ってくれたほうが違和感なく見られる。
と思うのもまあ、到底バレエでプロになれるわけがない身体付き(スタイルというよりは筋肉の付き方等、訓練しなければ得られないもの)の人がバレエダンサー役とかやってるのを見てうへぇってなってるからなのかもしれません。表現力以前に存在が違うというか、立ってるだけで(バレエやっててよく聞く表現で言うところの)「普通の人」だから違和感しかない。
ときどき、コンクール上位を取った後に芸能オーディションの特技でバレエを披露する、みたいな様子を映した動画に、これじゃちょっとね、みたいな批判的なコメントを見かけるけど(自分がバレエやってると言いたくないと思うのはそういうよくある「小言」もわりと原因:経験者だけどガチ勢じゃないっぽい、みたいな人がCMでも出ようものならすごいっすよ本当に)、そういうことではなくて。技量がどうとか粗探ししたいわけじゃあなくて、とりあえずぱっと見それっぽい人が演じてくれないと話が入ってこない....という話です。スポーツの件も。そんな筋肉なくて細いスポーツ選手います?っていう風にはならない程度にスポーツ選手っぽく見えたらもっと話が入ってくると思うので。
個人的に、鍛えていない身体が見慣れないというのもある(そして、ごく稀にスーパー銭湯とか行って戸惑う)とは思うんですが、当事者でやれとまでは言わないまでも、一ミリも当事者性がない人が演じているのを見るのはメタモンくらい違和感がある。一瞬ピカチュウかな?と思っても顔見たらいやこれメタモンじゃんとなる感じ。
その点、『ボリショイ・バレエ 2人のスワン』はよかった。映画だけど。
テレビドラマだと映画のようなキャスティングはできないのかもしれないと思いつつ、ドラマはまじで作品によっては主役級のキャストよりちょっと出てきた名もない役の方のほうが演技力あるケースまであるし(調べるとたいてい劇団所属の方)、せめてこう、それっぽく見せてくれよ〜という。
要するに、メタモンじゃあ困るわけです(メタモンは愛してます。喩え話として登場してもらっただけで、メタモンに罪はありません)。役者さんだから演じることはできるわけですが、そもそもが違いすぎると、メタモンが変身したとき並みの違和感でメタモンにしか見えないというか、変身したメタモンが変身したメタモンにしか見えない現象(つまり他のポケモンのようには見えてない)が起こるので、せめてメタモンに見えないレベルでキャスティング&演技していただけたら見てるほうとしては有難いかなぁとか、そういう話です。まー、難しいと思うけどね。難しいとは思うけど、サングラスさえかければメタモンだとバレない、みたいに抜け道はいろいろあるので、そんな感じでぼちぼちやっていただければよろしいのではないでしょうか(ここでまさかの適当)。
・放置した文章どうにかするのってむずい
壁に投げ付けた卵のような文章で恐縮なんですが、とか言うと卵に失礼かもしれませんが、とにかくぐっしゃーって感じですみません。『ナイトシフト』シーズン4もそうだけど、数シーズンで一旦挫折した海外ドラマがいくつかあるので、見たいなぁとは思ってます。思ってるけど、最近まじでドラマを見るだけの元気がない。集中力がないというか、気力が湧かないというか。国内ドラマも、『よつば銀行 原島浩美がモノ申す!~この女に賭けろ~』で3年分くらいの満足が得られたので、今はなにも見ておりません。
なんかいろいろ言ってみたけど、ある種の権力関係とか非対称性の分析って思えば現状はものっそい面白いと思います。その中を生きろと言われたらだいぶ地獄だから、暴力に開き直らないよう常々自分を考え直さなきゃいけないとは思ってますが。あやしうこそものぐるほしけれ。
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