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マインド(自作投稿編)

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何をするにも、その原動力は、マインド。気づいたこと、感化されたこと、ここにクリップしていきます。
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記事一覧

母がいなくなった恐怖を想像してしまった、あの頃。

いくつの頃だったろう。 小学校低学年だったろうか。 もし、母がいなくなったら。 不意に、そんな想像をしてしまったのだ。 自分が、死と言うものを生まれて初めて意識したのは、いくつぐらいだろう。 それとほぼ同時期だったと思う。 今、あたりまえにそばにいると思ってる人が、ある日突然いなくなる。 その恐怖を感じたんだ。 私は何の前触れもなしに、母の膝下に駆け込んだ。 しがみついて。 ひっくひっくと、しゃくりあげて。 泣きじゃくりながら。 かろうじて一言一言、こまぎれに、伝えた。

直接会うまでは「いい人だ」と思われてしまう私・・・と思えてしまう自分・・・が、「対面」という行為を考える。(妄想回。笑)

皆様、今回はスルーで結構です。笑 いきなり「なんのこっちゃ?」ってテーマなので、自信がない。笑 メタ視点が重なった様子を、コトバに表したかったのだが・・・余計、ややこしくなっちゃった。 ま、今回は、そんな話。 随想回というか、妄想回?なので、文章、とっちらかってます。 脈絡とか全然考えてないので、読みにくかったら、ごめんなさいね。 表題について、順を追って、解きほぐすと。 まず、私という人間は、 会う前は「結構いい人なんじゃない?」と思われてしまいがち。 しかし、いったん

骨の髄まで「カッケー」男がいるんだよ、若い皆さん。(とっておきの一書・一節⑨)

ミュージシャン繋がりで、もう1冊、ご紹介したい。 と言っても、千里さんや小室さんとは、全く違うタイプのアーティストだが。 私は、カリスマと言ったら、この人を真っ先に思い浮かべる。 顔も。 声も。 そして何より、生き様も。 ほんと、気が引き締まる。 それが今回紹介する書籍。 「氷室京介ぴあ」 (ぴあMOOK) ムック(ぴあ社)本書は、おそらく絶版だと思います。 ご興味のある方は、詳しくは上記リンクなどで調べてみてください。 氷室さんの言葉をコンパイルした書籍って、実はあま

言葉で語らない。作品で語る。(とっておきの一書・一節⑩・・・ひとまず最終回)

前回の氷室さんの紹介をしているうちに。 私自身の好みについて、再発見した。 なんだかんだで、表現や作品、アウトプットで勝負できる人が好きなんだ。 建築界では、まさにこの人がそう。 谷口吉生氏だ。 本書もおそらく重版等の入手は難しいようだ。出品者からの購入も可能だが、谷口氏設計の美術館等に行くと、定価で購入できたりもする。 私も「谷口吉郎・吉生記念 金沢建築館」で購入した。 実際に谷口作品に触れたのち、感動の余韻も冷めないうちに購入したものだったため、特別の思い入れがある

note投稿によって、自分という人間のあしあとを編集し、再考察している。(随想)

最近、noteで、これまでの自分を振り返る記事が連続している。 その理由も、自分の中では、おおむね分かっている。 自分という人間が何者なのか。 それを、もう一度、きちっと振り返っておきたいのだ。 きたるべき再出発、新たな挑戦を、目前にしているからこそ。 そう、すべては今と未来のためだ。 人間の記憶というものは、なんともあいまいなものだ。 自分自身のことでさえ、意識しないと、気づいたら忘れてる。 その意味で、このnoteに自分の半生を綴っていくことは。 気づいてみたら、な

痛みを知らなきゃ、感謝も生まれない。

あるニュースを見て、感じたのだが。 「護られて当然」「やってもらって当然」 という感情から、不満や愚痴が生まれるんだ。 それが結局、不幸を感じさせる。 何より、自分自身の人生に対して。 「つらいことが普通」 「悪いことはいいこと」 「悪いことが普通」 「やってもらえないのが本来、当然」 という前提を忘れてはならない。 自分に言い聞かせる意味で、そう思う。 その意味で、 人生において「痛み」は必要だ。 そこから、人や物事、なにごとに対しても、感謝が生まれる。 感謝が

「学び続けよ。それが人間の使命」(とっておきの一書・一節①)

「本はともだち」と、昔、恩師はよく語られた。 最近、その意味をしみじみ痛感する。 本は、心に直球で入ってくる。 心の根っこから、前向きな気持ちを、テコのように持ち上げてくれるんだ。 友達同士の会話だけを当てにしてると、なかなかこうはいかない。 そんな話題が昇ってくれる素敵な偶然も、稀にはあるけど。 てわけで。 私なりのおすすめ本を順次紹介。 その1冊目が、これ。 『MASTERキートン』第2巻 (勝鹿北星・浦沢直樹 共著/小学館)若い頃から、場面場面では惹きつけられる

格闘し続ける人。安藤忠雄が語る「光と影」とは。(とっておきの一書・一節②)

「建築家 安藤忠雄」(新潮社)書名に反して恐縮だが。 私はこの方を、あえて、「建築家」という肩書きで紹介しない。 格闘し続ける「人」。 建築家である前に、人として、いち人間として、格闘する。 誰と?何と? あえて一つ挙げるならば、「自分自身」と、であろう。 自分は、青コーナーの「限りなき挑戦者」。 ご自身では、そう自覚されているかもしれない、安藤氏。 私にとっては、赤コーナーの「永遠の英雄」である。 貧しかろうと、豊かになろうと。 無名だろうと、賞賛を浴びようと。 そんな

スズキメソードの創始者、鈴木鎮一氏の教育愛。(とっておきの一書・一節③)

「愛に生きる」(鈴木鎮一著)講談社。以前、ご縁あって、あるお子さんのバイオリン発表会に招かれた。 スズキメソードという指導法で学ぶお子さんたち。 この世界では有名なのだそうだ。 無知な私は、そんな大家の名前すら、つゆ知らず。 どんな人なのだろう。 自分で書籍を買って、調べ。 そして、深く感銘を受けた。 わたしは、子どもの育つ生命を基本に、なんとかして、教える教育から育てる教育に転換してほしいと願っています。  わたしが才能教育に全力を傾けているのもそのためなのです。育て方ひ

叱ってもらいたい大人たちよ、富野監督に訊け!(とっておきの一書・一節④)

「富野に訊け!」(富野由悠季・著)「おとなってかわいそうだね。しかってくれる人がいないんだもの」 ドラえもんが、かつて、そんなことを言ってた。 そんなさびしい、現代のおとなたちよ。 叱ってもらいたいなら、これだっ! (って、かなりジャンルが限られてますが・・・汗) そう、ガンダムでお馴染みの、富野監督です。 ・・・いや、語り口調は、ホントにこうなの。 現実は甘くないぞ、地に足をつけろ!! アニメばっかり見てるな、体を動かせ!! ガンダム1本、たまたま当たってくれたから

ネーミングと語感の関係?(上げ底弁当。底上げ弁当?)

前回の投稿で「底上げ弁当」って、言ってた、あれ。 世間一般では、「上げ底弁当」と呼んでるようですね。 あ、そっちがポピュラーなんだぁ、って。 まあ、明確にそうだと決まってるようでもなさそうですが。 というわけで。 失礼いたしました。 その訂正をふまえた上で。 改めて、語感による印象の違い、ってのを考えた。 今回はそんなお話。 これは、間違えた言い訳ではないんだけど。 そもそもの話として。 「上げ底弁当」と「底上げ弁当」。 語感として、どう違う?こっから先は、私の勝手な感想

たまには、ぼっち旅。広島の巻。

広島といっても観光地ではなく、母校の近辺だけですが。 しかも訪問したのは、数年前です。 私の家族は転勤族だったから、この町にいた期間は、わりと短いものでした。 でも、こどもの頃の一番楽しい思い出といえば、やっぱりこの町。 この日は、母校をゆっくり見てまわり、他所はざっと通り抜けただけでした。 以前投稿した、謎の線路のお話で出てきたのは、「宇品線」という線路。 あの投稿で、最後に出てきた橋は、おそらくここだと思います。 猿猴川という、駅前の方に流れている川を渡る橋です。 当

小6の、無邪気な恋心。 (塾通いの思い出②)

あはは(恥)・・・ってタイトルですよね。 まあ、所詮はこどもの恋心ですからね。 笑って過ごせる程度の、かるーい内容なんですけど。 でも当時は、本人なりに真剣だっと思いますよ笑。 そんな話を今回は紹介。 ①学校の同級生にまつわる恋バナ塾通いの行き帰り、友達と、なぜか恋の話をしていた。 路面電車の後部側の運転席に座ってね。 路面電車ってのは1つの車両の前部・後部に運転席がある。 進行方向側の前面は、もちろん運転士が座る。 だけどワンマンカーなので、反対側、後ろ側の運転席は、誰

小6の無邪気な恋心。その2。(塾通いの思い出③)

小6の恋バナ② 「ショールームの店員さん」 年の差恋愛の目覚め?01ある日曜、塾の日曜クラスが終わった、その後。 電車賃を節約するために、電車を使わず、歩いて家まで帰った時があったんだ。 その時は、たまたま、私ひとりだった。 その道すがらだ。 街の中心にほど近い電車通り沿いに、ショールームがあって。 家電の量販店というのも当時からあったが、雰囲気がまるで違う。 売ろう売ろうという雰囲気より、むしろゆったり見てもらうためのスペース。 むしろ車のショールームのような雰囲気だ。 当