旅の終わりは新たな旅の始まり。
1ヶ月間の旅の終わり。
1ヶ月の旅が終わった。
新しい経験に触れ、自分の新たな一面に出会った。
一見新しい自分かと思ったけれど、実は今まで見えていないだけで、いつも自分の一部として存在していた———
そんな気づきを得られた旅でもあった。
何か日常に詰まりを感じた時、モヤモヤを感じた時、僕はよく旅をする。
今回のような大きめの旅もそうだし、電車で15分くらい離れたよく知らない場所へいき、散策をしたりもする。
大小関わらず、見知らぬ土地を旅することで、普段なら考えたことのないことが思い浮かぶことが多い。
きっと決まった方向にしか向いて無かった情報のアンテナが、見知らぬものに囲まれてあちこちを指すようになったからなのだろう。
そうやって考えて、気づいて、生き方を微調整していく。
自分との関わりも、自分と関わる他人との関わりも、変えていく。
「自分の定期メンテナンス」これが旅の役割なんだと思う。
見知らぬ領域に飛び込む旅。
最初は怖い。ドキドキする。
けど飛び込み続けるうちに「なんとかなる」ことに気づく。
「なんとかなる」の枠が少しずつ広がると、
飛び込むことにもためらいがなくなってくる。
単なる無謀で、無知で、愚かだった行動にも、
知識による裏付けや理由ができてくる。
僕の最初の旅は小学2年生の頃。
小学校の裏道から1kmくらい急な傾斜を上ったところにある
神社の沢でカニを捕獲することだった。
小学生にとっては1kmはかなりの距離だったし、
何より、生物に触れるということが未知で。
だけど、仲の良い友達の誘いだったので断るわけにもいかず。
小さな僕は旅の一歩目を踏み出した。
一度経験してみると、「なんとかなる」ことがわかり、
そこからは早かった。
いろんな世界に飛び込んでは未知と触れ合った。
高学年になってからは読書にハマり、本の中で世界中の地域を旅したり、時には空想上の世界に没頭するように。
今思えば、さまざまな場所を旅したいという欲求はこの時に芽生えたものかもしれないなぁと思う。
だって、本を読んでいる間は自分がその世界の主人公になったかのように世界観に入り込んでいたから。
とにかく集中力がすごかったらして、昼休み終わりのチャイムに気づかず、図書館にこもっていたこともしばしばあったとのこと。
(それでも怒らなかった当時の先生、ありがとう。)
小学校を卒業し、部活動を始めてからも、とにかく自分の知らない領域に飛び込むということを無意識のうちにやっていた。
物理的に住んでいる場所は同じでも、旅はいつでも僕のそばにあった。
それに気づくことができたのも、まさに日本中を旅をしている最中だった。
旅は連鎖していく
旅をしていると、不思議とユニークな生き方をしている人と出会う。
無意識に引力みたいなものが働いているのかな?
そういう人と話していると、必ず今まで訪れた場所の話になり、
自分と別の角度からみた「その場所」に出会う。
人によって捉えてるものが全然違うから、話を聞いているだけでも面白い。
そして思う。
「自分ならどんなものが見えるだろうか?」
「自分なら何を感じるだろうか?」
そうやって旅の中で次の目的地が決まる。
旅は連鎖していくんだ。
旅が終わってもまた次の旅が始まるんだ。
きっと僕は死ぬまで旅を続けるんだと思う。
旅してこそ自分が整えられる。
旅していないと自分の心も体も錆び付いてしまうだろう。
だから、僕にとっての旅の役割は「自分の定期メンテナンス」だ。
物理的な距離を伴うかはわからない。
空想上のものを含むかもしれない。
それでも旅することはやめない。
見知らぬ領域に飛び込んでいくことはやめない。
旅とともに生き続けていく。これからも。
今はそんな気持ちだ。
皆さんのお気持ちを、こっそり置いていっていただければ。小さな幸せ、これからも皆さんに与えます。