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語らずにはいられない。伝えようとせずには、いられない。

「何か」を語らずにはいられない。ならば書こう。


Noteの毎日投稿を始めて23日。
さて、今日も書くか。とパソコンの前に座った僕の頭の中に、突然この言葉が浮かんできた。


ここまでさまざまなスタイルで文章を書いてきたのだけれど、それは自分の表現の幅を広げるためでもあり、文章がどうしても固くなってしまう自分を慰めるためでもあった。


23日。続けることで、どうやら「文章で語る」ことがようやく少しずつ、体に染み付いてきたらしい。


そうでなければ、「語らずにはいられない」という言葉は出てこないからだ。たいていは「今日は何書こうかな」とか、「どんなスタイルで書こうかな」というところから始まるはずだ。


人が1つの行動を習慣づけるまでには、おおよそ20日くらいと言われているけれど、あながち間違っていないのかもな。


続けることで自然と「流れ」ができていた。


23日をあらためて振り返ってみると、面白いことに、書くのに慣れてきた20日前後から自然と記事と記事との間に「流れ」ができているのに気づく。


別に意図したわけではないのだけど、「語りたい」と思ったことを自然と記事の形にしたら、複数に分かれた、という形だ。

例えば、「決断シリーズ」2本。


「書く悩み」シリーズ3本。

こうやってみると、一つの物事に対しても様々な角度から見て、考えることができるんだなぁ〜〜って思う。


今回はライターズ・ハイというか、書くことに集中していたから自然とこの流れができていた、という感じなのだけれど。


もしかしたら、「語りたいこと」を1つでも決めて「流れ」を作ることができれば、より力を抜いてコンテンツを作ることができるのかもしれない。


誰でも「語りたいこと」はあるはず。


「語らずにはいられない」という気持ちは、本来誰にでもあるはずだ。
普段の生活の中で、ちょっとしたことに感動したり、嬉しくなったり、悲しくなったりする。


時に、人と共有したくなったりする。文字として残したくなる。
そんな瞬間は確かにあるはずなのだ。


じゃあなぜ、それが難しいかというと、多くの人にとって「書く」ことが当たり前になっていないからだと思う。


何か崇高な儀式であるかのように。
丁寧に、大切に、汚さないように扱わないといけないかのように。


「書く」ことがあまりにも、神聖なものであるかのように扱われている。



だから、「こんなことを書いてしまっていいのかな?」と手が止まる。


そう思う。


もっと、自由に書いていいのだ。


「書きたい」「語りたい」「話したい」というあなたが抱えている気持ちを、文章だからといって抑え込まなくていい。


書くことは確かに素晴らしい価値を持っているけれど、だからと言って、崇高で誰にも触れられない、というものではない。


手を伸ばせば、意志とペンさえ持てば誰にでもできることだ。


書こう。書くことを自分に許可しよう。
自分の中を外にさらけ出すことを一度やってみよう。


やってみれば分かるよ。続けてみれば分かるよ。


一緒に、文章を書きませんか?


僕があれこれ言ったけれども、最終的に決断するのは僕ではない。
書くか、書かないか。それはあなたの自由だ。


だけど、もしこの記事を読んで少しでも「書いてみたいな」と思ったのならば、ぜひ何か1記事でも書いて伝えることに挑戦してみてほしい。


僕も書き続けている。一緒に「書く」をやりましょう。


そしてもしよかったら、書いた記事を僕に見せてください。
一緒に楽しみたい。どんなことを語りたいのか見てみたいから。


書くことは孤独な作業だ。書いている最中は自分一人。
だからこそ、「書く」と「書く」の間の瞬間は人と触れ合っていれればいいな、と思う。


「書く」が人づたいにどんどん広がっていくのが理想だ。


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