病んで悟って心のご隠居計画へ
小さい頃から家庭崩壊、喧嘩ばかり、働かないアスペルガー父と、カサンドラ症候群の母を助けて自分もカサンドラになりウン10年。当然の流れで心を病んで大人になりました。
この生きづらさを何とかしたいという研究は、心理学やタロットやら占星術やらホ・オポノポノ、アダルトチルドレン、カサンドラ症候群、カウンセリング、瞑想、あらゆるものを通過して、お釈迦様の悟りに出会って、
あ〜。人のせいにしてるうちは私は変われないって思った。
世にも恐ろしい自省というキツいキツいワークを1ヶ月やりました。ひたすら自分のダメなところを書き出して書き出していく。吐きそうになりながらやりました。禊って感じでした。でもこれが効いた。
ふっ・・・と雲の上に出て色即是空がわかったのでた。
そうだっていうことを飲み込むことが出来た。
きっと悟り方も、悟りの内容も、人の数だけあって正解も不正解もない。 私の方法は自省だった。
世界は空だとわかっても。この世の人生は続いていく。 悟りっていうのはゴールではないので、わかったからって苦楽はあって感情もあって振り回されるものです。それを試行錯誤して空だとわかってる自分に戻る工夫をして生きるのが悟って生きることじゃないかと思っています。
さて、ここは悟りの仕方などを語る場所ではなくて、その後の人生をどうやって楽しもうかというご隠居ライフ計画を語って楽しむ場所です。 私がどうしてそんなことを考えるようになったかというと
母の死でした。
戦友、親友、同志、喧嘩もしたけど、たくさん学びあえた素晴らしい関係でした。そんな母がいなくなって、私は独りぼっちになりました。
もともと変わっている私は友達がいません。どちらかというと人当たりもよく人が嫌いというわけではないのですが、家庭が疲弊しきった場所だったからか、これ以上の人間関係を楽しむ心の元気がなかったように思います。家庭でも自分が信頼されている自信がなく、他人に信頼されるために気を使いすぎてクタクタになってしまう。自分も人も信じられない。心から楽しめない自分を上から眺めている感じです。
友達はできるけど、続けることが難しいんです。それは今も変わらない。深くなればなるほど怖くなってストッパーが作動する。もしくは、いい人になりすぎて元気のない人や問題を抱えた人が集まって、友達たくさんって思ってると、元気になったみんなは去っていく。都合の良い人になってた気がします。
友達がいないことを悩んでいたんだけど、最近は独りになってみようって思ってね。そしたらなんか大したことはなくて、特に問題はなくて。どちらかというと心地よく、私のリズムにはあってるのかもしれません。
とはいえ、普通にお仕事をしていて、たくさんの人と毎日関わって生きています。昔よりも良い意味で適当に付き合えるようになったなぁって思います。
独りにちゃんとなることで、どっしりしたというか常に帰るのは独りの私。 私 対 人々 独りの自分っていうものが日々強くなってきている気がする。人生という旅をしながら行き過ぎる人たちと交流して交換して触れ合って別れて、そんな感じでいいんだよなって思います。
そんな感じの私が、母がいなくなって、私を生きるこれからの残りの人生をどう生きようか?真っ白ノープランの私。自然に浮かぶまでは断捨離をして過ごしていました。母の遺品を大切にして暮らすために自分のいらないものを捨ててたら1トントラックになりました。
私の人生ってほとんど捨てられるものだったなー。。。とトランクに入るくらい少なくなってしまいました。それくらい私は、人の数だけカメレオンのようになって人に合わせて生きてきたんです。そう気づきました。
さて、、、、独りになった。もう守るべき母もいない。私は誰にもならなくてもいい。私は私に戻ろう。。。
ということで
私が楽だと思う暮らしを考えてみていて、出家、修道院、仙人、色々考えたけど お寺で働いているので、そこもけっこう人間臭く悟りなど程遠いって知ってしまったので、良い考えには思えなくなってしまいました。そこで思いついたのです。
めんどくさいから普通になるべく楽なお仕事をしながら独りで心の出家したら良いかもと。別に場所は関係ない。どこも同じなんだから。私自信がその場所になればいいじゃないのと。
こっそり心はご隠居しよう
そんな計画が生まれたのでした。
あら、もうこんな時間か、今日はここまでにしよう。なんかうまく語れないものだね。でもいいや。とんでもなく大変だった人生を一枚のレポートにまとめることなんかできないわ。先に進もう。
心のご隠居ライフ
どうやっていくかこれからも綴っていこうと思います。
おやすみなさい。