ねこ仙人
悟っても現世。人生どうやって楽しよう。人に説明するのもめんどくさい。 こっそりご隠居ライフ。こっそり仙人ライフ。どうだろう。 この世になければ作ればいい。こっそり仙人ご隠居ライフ。
ひなたぼっこしてるだけのyoutube
いらないものは、私じゃない私だった。捨てると私が残る。 好きなものが残って人生に幸福感がやってきた。 私が本当の私になっていく。断捨離は私にとって宝物がふえること。
おうちで1人で過ごすのが1番安らぐの 1人でいるのと同じくらい一緒にいて幸せな母が亡くなって 今は寂しいけれど たくさんの人といるよりも やはり1人の方が安らぐのです なぜかなんてわからないけれど たぶんそういう遺伝子なのかな 私は自分のことが、とても面白いのです 好きというより、おもしろい 自分の考えることがおもしろくて 飽きないのです だから休日はなるべく1人になって 自分のやること考えることに触れ合っていたいの 母がいなくなり4ヶ月 1トントラックで自分のものを捨てて
母を看取るとき、わたしも一回人生終わると思おうって決めて、母が旅立って4ヶ月。無気力や悲しみに苦しむ時には、そうだった。。わたしは一度人生終わったんだった。。。って思い出して菩提樹の下の釈迦のように無になって過ごすようにしてきました。 私のこれまでの人生。ずいぶん色んな大事件をたくさん味わい。ずいぶんたくさんの経験をした。思えばけっこう頑張って、描いた目標もやり遂げたり、面白い人生を歩んで来れている気がする。ちょっとやりすぎてしまった感があるくらい、色々やりきってきた気がす
母を看取ってもうすぐ4ヶ月になる。私と母はたぶん世の中の平均よりかなり濃厚に助け合って生きてきて、最後の最後まで全力で助け合って生きたので、後悔や寂しさというものが普通より穏やかなのかもしれない。でもじんわりと、ゆっくりとしみじみと、日々悲しさはそばにあって、濃厚だった分、私の人生も一緒に一度終わったような感覚にいます。 なんだかなにもする気になれず、仕事以外の自分の時間はコタツでずっと寝ていました。流石にこれではいけないなって思いつつ、いけないわけでもないんだよねって。別
母が亡くなった後、自分の人生の持ち物を断捨離をしまくって、だいぶ何も無くなっていたんだけれど、今朝ふと。。。気持ちよくて手放せなかったものを撤去した こたつ(笑) 母と使っていたものだから寂しくて片付けたくなかったの。でも悲しいから余計にコタツにくるまってメソメソしているうちに寝てしまって、人生の無駄遣いになっているのが嫌になったのです。コタツって本当になにもしたくなくなるんだけど、なにもしないのと、したくないのは違う。ただなんとなく幸せでもないような何もしない時間ってい
お休みは人に会わずに静かな家でひなたぼっこをする 私の残りの人生テーマは 余計なことはなんにもしない そこにものすごい幸せがあることに気づけている自分に乾杯! という気持ちで今とてもワクワクしている 人間ていうのは本当に、何かしなくてはいられない生き物だよね 最近わたしは気づいてしまったのです 何かしなくちゃいけないんだっけ?って 先週2連休があって、二日間、ものすごくこだわって日向ぼっこしたの 極上のイギリス製の羊毛ブランケットを広げ、ゴロンと日向ぼっこ
私の家は地デジが入らないままになっていて、もともとテレビを見なくなってたので衛星放送だけ見られるようにしてあります。衛星放送は好きな落ち着いた番組がいくつかあって、なんとなくつけてることもあるんだけど、今朝起きた時に あぁ。。。テレビ見たくないなぁ。。。って思ったの。 でもなんかこう自分に合った世界、空気感、人、話、そんな場所から流れる情報で、この世と繋がることは心地いいし、そうだ、、、ラジオ、、、って思いつき、radikoをインストールしました。 ヒーリング、癒し、静
私のしている仙人ご隠居ライフは ひたすら自分に甘く楽して俗世を暮らして自由時間を仙人暮らしする方法です。 まず仙人と言ってもご隠居と言っても、俗世で暮らすには食べなくちゃならない。自分が幸せと感じる買い物もしたい、雨風しのげる家もいる、将来自分が希望する自然で心地いい死に方をするには自分が必要と思う量の貯蓄もあると安心して暮らせる。病院って甘くみてはいかんよ。お金も頭も使うと知ったよ(笑) ということでお金は自分が必要なだけ必要。でもたくさんあればいいってものでもない。
自分がどうも人間の普通に馴染めないと気づいたのは5才の春 それ以来、それを隠してこの世界に合わせないと生きていけないかも(´;Д;`)と思って5才児は必死に合わせて生きてきたのでした。 でも今48才。こっそり仙人ご隠居暮らしをすすめる私は、そんな呪縛から解放されています。あんなに縛られていたのになんでだろう? 独りになってみたから、、、かもしれない。究極に独りになってみると、しがらみがなくなって、簡単に思考が独立する。私の中に私しかいない。 独りになってみる。まずこれ
私が今、幸せな気持ちで自分の好きな暮らしをはじめつつあるのは 断捨離が大きなポイントだったって言える 私は自分のものを1トントラックいっぱいに捨てた。 それだけ捨てられたのは私が私で生きてこなかったからだ。だから執着なくどんどん捨てられた。 どうして今になって執着がなくなったか。これも重要ポイントだね。 それは母が亡くなり母をサポートするという私が設定した人生の大きな役割が終わったから。たくさんの苦労があったけど、この上なく美しい楽しい冒険を母とすることができて面白
私は決めたら潔い。 母が亡くなって、母の大切なものを大切に使って丁寧な暮らしをしてみようと思って私のものを断捨離することにした。そもそも自分があってないような人生だったから思い切って必要と思わないものを捨ててみようと思ったのです。 そしたら1トントラックになりました。 残ったのはほんの少し。見てると幸せな思い出が浮かぶものだけにしたら、ほんの少ししか残りませんでした。 悲しいというより。。。 気持ちよかった〜〜〜〜〜〜〜〜〜1トントラックを見送るときの清々しさときた
5才の春 人に見えない秘密基地で隠れて下界の人々を眺めるが好きだった。 そこで、ふと。。。 あー。。。この世界に意味のあることなんてないんだよなぁ。。。。。。。ここは地球で星でみんな生き物で。。。ただ生きてるだけなんだよなぁ。。。人のやることってぜんぶ意味がないんだよなぁ。。。幼稚園に入ったり小学校に入ったりいっぱい意味のないこと、これからずーっとしなくちゃならないんだぁ。。。。。。。どうしよう。。。。意味なんてないのに。。。 途方に暮れたことをよく覚えてる。 こ
小さい頃から家庭崩壊、喧嘩ばかり、働かないアスペルガー父と、カサンドラ症候群の母を助けて自分もカサンドラになりウン10年。当然の流れで心を病んで大人になりました。 この生きづらさを何とかしたいという研究は、心理学やタロットやら占星術やらホ・オポノポノ、アダルトチルドレン、カサンドラ症候群、カウンセリング、瞑想、あらゆるものを通過して、お釈迦様の悟りに出会って、 あ〜。人のせいにしてるうちは私は変われないって思った。 世にも恐ろしい自省というキツいキツいワークを1ヶ月やり