毎日投稿をやめた話
私は11月の上旬から下旬にかけて、noteを毎日投稿していました。ずいぶん短い期間でしたが、noteを初めてから、結構楽しくて続けることができていたんですね。
しかし、ある時に急にアイデアが浮かばなくなって全く書けなくなりました。夜の11時を回っているのに全然かけない。そんなことをしていたら、次の日になってしまって、毎日投稿が終焉しました。
そこから、スランプに陥りました。5日ほどかけない日が続いて、書けていたあの頃は何だったのかと、どんどん自信が無くなっていきました。
そんな時にあることに気が付きました。日々の生活がnoteに侵食されているということです。たった3週間ほど続けただけでしたが、私の生活の一部にnoteがありました。それどころか、日々の活動がnoteに縛られはじめていることに気が付きました。
義務化で何もできなくなる
私は自分に目標として、noteを毎日投稿することを義務づけていました。おかげで、3週間はうまくいかせることができました。しかし、それができなかった瞬間に深い罪悪感に苛まれました。
すると、その重圧に耐えきれなかったのでしょうか、文字通り何もできなくなりました。それはnoteだけではありません。何事もうまく回らなくなったのです。
なぜこのようなことが起きたのでしょうか。
私は調べてみました。
自分がしたいことを義務化すると、そのことに関しての心配が増えるようです。そして、心配すると考える力を失わせるようです。
つまり、noteを義務化したことで自分に焦燥感を与えました。上手くいっていた時はよかったのですが、失敗した瞬間に心配事が爆発し、何もできなくなってしまったのです。
noteを始めた理由は何だったっけ?
noteが書けなくなって、5日間でいろいろなことを考えました。そこでなんでnoteを始めたのか再び原点に帰ろうと考えました。
そして、思い出したのは、noteを書く理由は「他者に良い影響を与える」ということでした。つまり、毎日投稿をするというのが目的ではありませんでした。
私が目標にしていたのは、少しでも良い記事を書くことで、周りの人に良い影響を与えることでした。
しかし、私はクオリティーを下げてまで、量を増やそうとしていました。
そのおかげで、少し自分の目標とずれ、それが焦りと緊張を与えてしまいました。
別に毎日投稿しなくてもいいと考え方を変えた
私が書けなくなった原因は、心配と焦りだということが分かりました。なので、考え方を変えて「1週間に一回でも書ければいいや」と思うようにしました。
そうすると、自然とやりたいことができるようになってきました。
私はnoteを書く前の習慣として、本を読むことや運動をすることなどを決めていました。
しかしnoteを書き始めてから、その習慣がうまくいかなくなってきました。つまり、noteを書かなければいけないので、そのために情報を収集して書くという行動に縛られていました。
そうすると、自分の考えに無理をする必要が出てきて、アイデアも自然と減っていきました。
しかし、元の習慣に戻ると、驚くほどアイデアが勝手に浮かんでくることに気が付きました。
考えに縛られることはないので心配にかられることはありません。
なので、本を読んでいると「これ使えるかも」と思ったりするようになりました。
逆に記事を書けるようになったということです。
自分の目標を義務化するのをやめる
私と同じようにnoteを「毎日投稿しなければいけない」と考えていて、書けなくなりそうになっているならば、義務化するのをやめて考え方を見直すことをお勧めします。
これはnoteに限った話ではありませんが、自分の目標を義務にしてしまうと、その行為がつらくなってしまうことはよくあることです。
なので、もし無理をして記事を書いているという人は「毎日投稿しなければいけない」と思うのではなく「毎日投稿できればいいな」と考えるといいのではないでしょうか。
というのも、私は今現在は毎日投稿を義務にはしていません。書きたい時に書いています。そうすることで、他のやりたいことをしつつ、noteを継続的に書くことができています。
そうすることで、自分にとって満足のいく記事を書けるようになっていると思います。
毎日投稿をしていた時は正直、疑心暗鬼で記事を投稿していました。
しかし、今は自信をもって投稿ボタンを押せています。そっちのほうが人に良い影響を与えられていると思います。
最後に
私は毎日投稿できるほど知識やアイデアはありませんでした。
だから、毎日投稿するには必ず無理をする必要がありました。それは他のしたいことをする時間を削るということでした。
なので、私は毎日投稿しなければいけないという考え方を変えました。単純に毎日投稿できればいいなと思うようになったんです。そう考えられると、余裕が生まれ、むしろアイデアは浮かぶようになりました。
もし、私がやっていたように無理をしているのならば、少し自分の楽な方向に進むのがいいと思います。