日々是暴食★トラウマめし【第34食】ブッダガヤでチベットうどんを食べたらダライ・ラマに出会った話
聖地ブッダガヤの夜は明けた。まだ薄暗く肌寒い中、マハーボーディ寺へお参りに行く。
「ブッタガヤの大菩提寺」とも呼ばれるマハーボーディ寺は、およそ2500年前に仏教の開祖・釈迦が悟りを開いた場所である。王族の王子だった釈迦は、人はみな生老病死を経験し四苦八苦という苦しみの中を彷徨い続けていることにショックを受け親、嫁、子と別れをつげ出家。
その修行は壮絶で、絶食など6年にわたる苦行を行う。しかし、ある時「こんなことしてても悟りは開けないんじゃね?」と疑問がわき下山。川で身を清めていて半死半生になっていたところ、ガリガリの釈迦を案じた村娘スジャータに乳粥を食べさせてもらい心身が復活。
現在は菩提樹となった木の下に坐して瞑想に入り、ついに悟りに達しブッダとなった。ブッダとはサンスクリット語の「ブドゥ(目覚める)」という言葉に起因し、目覚めた人だからブッダと敬称される。なので、目覚めた人はみなブッダで、釈迦以前のはるか昔にもブッダは何人かいたらしい。
そんな菩提樹のある場所は現在、立派なお寺になっており世界中から仏教徒が訪れる聖地となっている。巨大な主塔を右回りにぐるぐると拝みながら回る。早朝だというのに、ものすごい人の数だ。
塔のまわりには五体投地を繰り返し、ひたすらに祈りを捧げる修行者たちでいっぱいだ。めちゃめちゃ寒そうだが、この場所で釈迦と同様に悟りを開けるように頑張ってらっしゃるのだろう、湯気を出すほどに祈り続けていた。
お参りを終え街に出てみた。ブッダガヤ自体は田舎街ではあるが、世界中から巡礼者や旅行者がやってくるので、土産物を取り揃えたバザールや飲食店でひしめきあう。せっかくなので数珠を購入。その近くの商店で朝メシを食うことにした。
カレーに飽きてきたので、チベット風のうどん「トゥッパ」をいただく。ネパールでもポピュラーな麺料理で、あっさりしていて朝にピッタリだ。スープは出汁の効いたスッキリ系で少しスパイシー。具は野菜のみで肉がないのが丁度いい。麺のコシはなく、ちょっとふやけてくる感じも逆に美味い。
店主さんなのか、隣の席のおじさんも朝メシを食っていた。牛乳にバターと謎の粉末を入れて混ぜて食べている。それは何?と聞いたがよく分からなかった。たぶん「ツァンパ」という麦で作った粉だと思う。おじさん曰く「体にいいし、俺はいつもこれだけさ」だそう。確かに美味そうかも。
ホテルの近くへ戻ると人だかりがハンパない。何事かと聞くと、なんとダライ・ラマがいらっしゃるという。そうか、説法をする高僧とはダライ・ラマだったのか!
しばらく待っているとSPに警護されながら現れた。なんだろう、オカルト的な話になるが初めて後光が差している人を見た。政治家でも芸能人でもない柔らかなオーラに包まれているようだ。
その後、巨大な運動場へ移動されそこで説法なさるそうだが、チケットが売り切れで入ることは叶わなかった。まあ、生ラマを見れただけでもありがたいことです。
仏教タウン•ブッダガヤにはタイ、ミャンマー、ブータン、中国、スリランカ、モンゴル、ネパール、バングラデシュなど外国寺院が立ち並んでいる。各国の僧たちはその寺院に泊まり込んで修行するそうだが、さながら仏教徒の甲子園のようでもある。
同じ仏教でも国によって建築様式がまったく異なっていて面白い。主に上座部が伝播した東南アジア諸国のお寺は煌びやかだ。宗派というより派手好きな国民性がそうさせているのかも。特にミャンマーのキラキラ仏塔はすごい。
そんな中で日本寺の渋さはすごい。装飾を廃した純日本風のミニマルスタイルで、隣近所の金ピカで荘厳な寺院とは一線を画す地味さである。しかし、不思議と日本人の私にはこのお寺が一番しっくりきたし、どこにも似ていないオリジナリティーさではここが1番かも。侘び寂びの境地である。
日本寺では朝夕に勤行(座禅)が行われているので参加してみた。目を閉じて瞑想してみるも、初めは足と腰が痛くてなかなか集中できない。それが慣れてくると段々退屈になり次々と雑念が湧いてくる。今日のメシはどうしようとか、次はどこの旅行行こうとか…etc。曹洞宗では只管打坐といい、ただただ座禅をする行為自体が仏教そのものだとされる。私には一生無理かもしれない。
ちなみに日本寺には日本の各宗派の僧侶が持ち回りで、交代交代派遣されるそうだが、私の時は真言宗のお坊さんだった。座禅のコツを聞いたら「いやー私も禅宗の方々に比べて座禅は苦手なんですよね」と正直におっしゃられてホッとした。
煩悩多き私は座禅しているうちに腹が減ってしまった。インドでメシの選択肢はあまりない、とにかくカレーを食うべし。聖地であるここで飲酒はご法度である。せめて腹を満たして幸せ気分になるしかない。
ああ、せっかく釈迦牟尼が成道に入られた場所にいるのに、私はいまだ無明の真っ只中にいるようだ。修行は一生、目指せ涅槃!
インド編<続く>