「火だるま槐多よ」夢野史郎インタビュー 深淵のワンダーラスト【第三回】
取材・文/やまだおうむ
【第三回】夜叉のいる青春
はじめに、「火だるま槐多よ」を巡って -3-
男根なき裸僧の召喚
──夢野さんの初期の代表作となる、滝田洋二郎監督の「真昼の切り裂き魔」(1984)では、ヒロインの織本かおるが、特異な性器を持つが故の性衝動に突き動かされて異常な行動を重ねていきますが、今回、佐藤里穂の演じたヒロインも、その性衝動が、「立ったまま放尿する自分を感じたい」というヴィジョンでいきなり出てきます。これは、今までなかったキャラクターではないかと。
夢野 「尿する裸僧」は、男性器から小便が出てるけど、女性って当然男性とは排尿の仕方が違う。中には、男の生理を知りたいと思う女もいるんじゃないかなと思った。ヒロインの薊は鏡に映してイメージを掴みたいと思う。でも、彼女がそれで掴めたかっていうと、やっぱり掴めなかった。だから彼女は、カイタ(演・遊屋慎太郎)を追うんだよね。
──「尿する裸僧」に関しては、円地文子の「鹿島綺譚」の中で、そこに描かれた裸僧からインスパイアされたとしか思えない描写が出てくるのですが、その円地さんが、男性というのは観念で女性を捉える生き物で、ただその観念は往々にして突飛な形を取るものであり、それゆえ女性から嘲笑されたり恐怖を抱かれたりするのだ、と別の本で述べていて、夢野さんの言葉は、そのことを逆さからもう一度捉え直したようにも感じます。⋯⋯それにしても特異なヴィジョンですね。
夢野 現実には佐藤里穂が演じた薊のようなことはしないけど、俺の知ってる女性はみんな、薊のような感覚を持っていたと思う。水月円の出た「奇妙な果実」(公開題『OL拷問 変態地獄』1983 中山潔)[※註]で、金属バットで人を殺す少年をずっと見ていた女が、死んだ少年のバットを拾って、自分がそれを引き受けて人を殺し始める──、ってラスト・シーンを書いたら、編集の酒井正次さんから「AとBかと思っていたら、突然Xに移行してバットを握る⋯⋯みたいなヒロインの飛び方が納得出来る」って感心された。はじめて単独でクレジットが載った、「滴りの地図」(公開題『指と舌ぜめ』1980 中山潔)の時も、打合せの時、女優の緑川じゅんに「この女性、面白いですね」って感心された。
予測不能な女たち
──自分も、夢野さんの描くヒロインには同じことを強く感じます。そうした女性像はどうやって出来るのでしょうか。
夢野 女の中に入れるわけはないんだけど、なるべく男のフィルターで見ないようにして書くと、特異な女性像が立ち顕れてくるというか⋯⋯。俺の中では男とか女とかあまり考えてないんだよね。男でも女でもどっちでもいい。でも、今まで男が主人公というのは、まずないんじゃないかな。
──言われてみると、確かにそうですね。「薔薇族映画」として公開された「OSTIA 月蝕映画館」(公開題『狂った舞踏会』 1989 佐藤寿保)も、男同士の関係性は過去に起きた事件の中で終わっていて、今起こりつつある事件を牽引するのは、伊藤清美演じる通り魔のようなヒロインでした。
夢野 「滴りの地図」の時、緑川には、俺「むしろ女性ってこういうことなんじゃないの?」って言ったんだよ。でも、彼女にそれ言われて、“結局、女性を通して自分のことを書くということじゃないか”って思った。
──女優さんの言葉から啓示を受けることも?
夢野 特にはないけど、「エクリプス・蝕」(公開題「女子大生 初縄体験」1982 中山潔)の時、現場で蘭童セルが見学に来てた友達と話してて、俺もたまたまそこにいたんだよね。聞いてたら、「どんな映画出てるの?」って友達が言って、蘭童が「何か難しい映画なの」って答えてるんだよ。蘭童は日大芸術学部だし、俺そんな難しい話書いたかなぁって思ったんだけど、もし俺の書く女性が特異に見えたり解りにくいっていうことなら、俺がそういうふうに見えていることなのかな⋯⋯理屈っぽいとか解りにくいとか⋯⋯って思ったけどね。
SPECIAL THANKS/佐藤寿保 今泉浩一
次回は、12月7日の掲載予定です
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