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転機たち

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不登校やキャリアなど、これまで立ちはだかってきたいくつもの転機から、何が学べるか。
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2021年5月の記事一覧

復職から1か月(後編)

前編はこちら 転機は、突然人事部に呼ばれ異動を告げられた時。 志望に近い部署に、特殊な形ではあるが行ってみないかという提案。 詳しくは下記。 人事本部付になるという、とても特殊な形だったので、そこの意図を図りかねて即答はできなかった。 でも、心は決まっていた。 翌日から、営業部ではなく人事本部付となった。 今の会社において「~本部付」は、退職する人が、退職までの間引継ぎ業務を行う際の最後の肩書であるため、何も知らない同期や後輩や先輩からは 「辞めるの?」 と心配された。

復職から1か月(前編)

2021年4月26日(月)。 私は213日ぶりに元いた会社に出勤した。 大安であった。 当時の日記には、 「半年ぶりの通勤中。体調は良好。天気も良く晴れている。 不安は大きい。でも何とか今は前を向けているので、ボチボチやっていこうと思えている。」 とある。 この時は、新しい部署になるということで心機一転の気持ちと、 旧知の方々が休職中に辞めたことによる不安が心を占めていた。 復職なんて人生にそうそうあることではないから、 どんな心持ちで臨めばいいかわからない。そんな朝だ

就活をやりなおしたいかい?

就活って大変だ。 まだ若く、遊び足りない自分とにらめっこして、 偉そうな大人たちに話すために志望動機を考えて、 なぜそんなに早く内定が出るかわからない周囲と比較して、 お祈りメールに落ち込んで、 それが他社の面接前に来ることもあって、 何者にも屈したくないのに、どこかで何かに屈していて、 メール受信の通知にドキドキしたり、 自信のあったところの方が落ちてたり、 人生最大の試練とさえ感じる数か月間。 私は、もう二度としたくない。 印象的な記事を見つけた。 就活について、これ

「大企業で働くのはリスク」という考え方

スマートニュースを見ていると面白い記事を見つけた。 要約すると、過去の不況期においては大企業は衰退したのに対して、多くの中小企業が躍進している。つまり就職や転職において大企業を志向するのはリスクである。 ということだ。 なるほど、と思った。 私なんかは就活にせよ今の転職活動にせよ、名の知れた大企業に入ることがいい事と思っていたけれど、 こういう視点を元に企業探しをしてみると視野が広くなる。 今私は25歳なのだが、今後しばらく企業勤めをするのであれば、頭打ちの大企業よりも成

17歳、不登校のお話(中編)

前回はこちら これは明るい類の話ではないですが、私は17歳の夏、高校に通えなくなりました。今思えば、自分でもよく逃げだすことができたなと、そう思えるこの出来事について、書き連ねていこうと思います。 長くなりますし、苦しい文章ですので、興味のある方だけお読みください。 読んでほしい人 ■今まさに不登校の方 ■身内に不登校の方をお持ちの方 ■過去に不登校だった方 不登校生活夏休み前に不登校になってしまった私は、そのまま誰とも会わずに夏休みに突入しました。 大量の課題が学校か

17歳、不登校のお話(前編)

これは明るい類の話ではないですが、私は17歳の夏、高校に通えなくなりました。今思えば、自分でもよく逃げだすことができたなと、そう思えるこの出来事について、書き連ねていこうと思います。 長くなりますし、苦しい文章ですので、興味のある方だけお読みください。 読んでほしい人 ■今まさに不登校の方 ■身内に不登校の方をお持ちの方 ■過去に不登校だった方 さかのぼれば、小学生から私は大阪で生まれ育ちました。家は裕福で、食うには十分困らない幸せな家庭でした。毎年沖縄や海外へ旅行に行く

25歳のリアルな転職活動(情報収集編)

ここに記すだけで世界は何も変わらないのだけれど、決意表明も込めて。 コロナ禍も、家族の不安も、自分の不安も、すべて背負って、我一歩踏み出さん。 以下に動機と、転職活動の流れを順に書いていこうと思う。備忘録もかねて。 転職の動機①休職中/復職後の会社の対応への不信感 →会社全体に余裕がないのだ。 ②現職でのキャリアパスの少なさ ③会社の将来性のなさ ④もっと成長したい!スキルアップしたい! ⑤企画やマーケティングの実務経験を身に着けたい。(現職では無理) ⑥ロールモデルの不在

なぜ職を変えるのか?

悩みは尽きない。 現職への不満と、転職への不安だ。 確かに現職は苦しい。人間関係こそそこそこ良好だが、この先の業績と目下のノルマは苦しすぎる。どういう算術であのノルマは降ってくるのか。上層部と現場の認識は日に日に離れていくばかりだ。 しかしでは簡単に転職できますか?、という話だ。このコロナ禍で。 今日転職エージェントと面談を行った。求人の振り分けなど行ったが、相変わらず自分の軸のなさを自覚するばかりで、未来への希望は持ち得ようが無い。 完全に板挟みである。 なぜ職を変え

25歳、決意の退職(後編)

前編はこちら 帰路、ずっと考えていた。 「私が君なら、辞める。君にとって、その方がいい。」 その意味は。その意図は。行間に何かあるのか。 考えたけれど、あの方の瞳はまっすぐに私を見つめていた。 歩きながら、家族に電話をかけるころには、「辞める」という決意が揺るぎないものになっていた。 大阪の母親は1コールで出た。先ほどあった出来事を話し、 「いろいろ悩んだけど、やっぱ辞めるわ」と伝えた。 両親の反応は意外というか、「お前が決めたのならそれでええ。好きに生きろ」とのこと

25歳、決意の退職(前編)

私は、すごく迷っていた。 「ここは自分のいるべき場所なのか?」と職場に疑問を持ち続けていた。 それでも何か得られるべきだと期待して、自分なりに能動的にも働いていた。石の上にも三年という言葉もあるし。 その結果、無理が集って徐々に疲弊し精神が保てなくなり、「抑うつ状態」と診断されて、半年間の休職。どん底の半年間だった。 この間、家族や友人を初め多くの人に支えられながら、「生きているだけ」状態から「ちょっと前向きに生きられる」ようになった。 そして先日、半年ぶりに復職した。