自分の本質は苦しみから産まれる?
こんにちは。かどやです。
今日は、人生を苦しみながら生きている方への応援歌として、このブログを書きたいと思います。
実は、私は人生の大半を苦しみながら生きています。
でも別に自分では『不幸』だとは思っていません。
何故ならば、苦しんでいる分だけ、『本質』を手にしている実感があるからです。
皆さんもきっとそうでは無いでしょうか?
この『本質』を手にすれば、大概のことは『まぁしょうがない』で、済ますことが出来るようになるように思います。
辛いことが多ければ、それだけ人に優しくもでき、未来の辛いことも予想して避けれるようになるメリットもあると思うのです。
そして、逆にそれでも避けることが出来ないことに関しては、肚を据えて向き合うというようなことも出来るかもしれません。
つまりは、辛い状況を繰り返すと、
『何のために生きて、何のためなら自分が死ぬことより優先出来るのか?』
それが分かってくるのでは無いでしょうか?
私はそれを『自分の本質』と呼んでいます。
それが分かれば、生きていくのがきっと上手になるのではないかと私は思っています。
そして実はもう一つ苦しみから産まれる『本質』があると私は思います。
人生、辛くなればなるほど、自分の一番の生き甲斐である『得意なこと』をしてしまうように私は思います。
これは、あなた自身の『本質からの自己表現』だと思うのです。
人生の苦しみから逃れるためには、この2つの『本質』でお金を稼げるようになることが、最も幸せな生き方だと私は思っています。
そして、その最も幸せな生き方に一番近いのは誰でもない、人生を苦しみながら生きているあなたです。
逆に、幸せに一番遠いのは『苦しみの少ない方』です。
何故ならそういう方は、苦しんでいない分、深く生き方を考えるきっかけに縁がありません。
自分が人生で何をしたいのか?
どう社会に役立っているのか?
今を生きている人間としてどうするべきなのか?
こういう熱い真剣な気持ちがありません。
スポーツでどこが勝っただの、パチンコでいくら儲かっただの、私たちのような苦労を知る人間には、『ほどよい遊び』でしかしないようなことに命をかけて熱くなるような可哀想とも言える人生が限界なのです。
幸せは量としては多いのかもしれませんが、一つ一つの幸せが浅くなるのです。
幸せは量より質です。
人生100年、ただボーッと生きた人と、人生50年、一生懸命なにかを研究して生きた方とでは、私は人生の満足感が違うと思うのです。
それは、幸せの違いだと思うのです。
だから、今はなんとか耐えましょう。
ビバ!辛い人生!(T^T)>
私はそういう苦労している方が大好きです❗