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第十九回『今この記事が熱い‼』

皆さんこんばんは!
今日は久しぶりに友達と昼飲みをして、まだ酔いが醒めないジセおじGAMIです。

日本酒飲み放題とかやってしまい、非常に眠たいのですが、記事を書くまではなんとか頑張ります!笑

『はさまの街で』シリーズ/とーとさん

この記事に出逢うキッカケになったのは、ましゃこさんの「私の推しごと」という企画で、クリエイターさんのsanngoさんがとーとさんの『はざまの街で』を推していて、読んでみたら物語の中にすぐに引きこまれて行きました。

【あらすじ】
疲れた魂が生まれ変わるためにその疲れを癒す「はざまの街」。
ここには疲れを癒す手伝いをする役目を担う人たちがいる。
ここを訪れる人たちを自宅で受け容れる志郎、憩いの場であるカフェを営む郁美、そして彼らを見守るように現れる謎の男、来栖。
彼らもまた、それぞれの事情があってここでの「お役目」を担っているが、それが何なのかの記憶がない。
複雑な家庭環境で疲れ果てた幼い魂、母親との軋轢の中で自分を見失った若い女性の魂など、いくつもの魂と出会い、別れを重ねる中で何が見えてくるのか。
記憶を取り戻した先には?
出会いと別れ、再生の物語。

文章内引用

あらすじの通りですが、志郎の元に来栖という人物が毎回連れて来る様々な歳や性別の人を「はざまの街」というお金がない世界の中で、そこの住人と共に癒していくというお話です。

今回ご紹介するのは第一話の「クラムチャウダー」と第三話の「大根の味噌汁」

第一話では傷ついた少年の優馬が、志郎と郁美との生活の中で段々と心を開いていき、ある日、潮干狩りをし、そこでとったあさりを使ってクラムチャウダーを3人で共同作業で作るシーンがとても感動しました。

魂が元気になるってこういうことなんだろうなって思いました。


第三話では心を閉ざした女性の麗菜が、はさまの街の住人の夏美おばあちゃんと共に生活をし、笑うことがほとんどなかった麗菜が、好きだったことをその生活の中で想い出して、笑顔を浮かべながら最後はその好きだったことを夢中でやっているという状態になりました。

大好きだったおばあちゃんの大根の味噌汁を飲んで、麗菜が涙の渦に巻き込まれたシーンがとても胸を打ちました。


これだけ読ませる物語を作れるとーとさんの物語の構成力と、言葉選びの仕方、そして情景がふわっと頭に浮かんでくる描写の仕方、どれも凄いとしか言いようがないです。

全八話完結ということで、今1日1話ずつ楽しみに読んでいます🎵
クリエイターさんの横の繋がりで、この作品に辿り着くことができて本当に良かったなぁって思います!


もしも、野原に花まるが咲いてたら。【不登校って、なにか詩ら?】/くりすたるるさん

今回のくりすたるるさんの作品は物凄く鬼気迫るものを感じ取ったというか、考えて考えた末に、辿り着いたといえる、そんなとても大切な作品に見えました。

記事を書く時間は、自分探しの時間でもあります。
自分自身へ向けられたわたしの問いに、まるで待ち構えていたように一瞬で答えが示されることもありますが、答えを探るのに、はてしない時間が必要なときもある。
投稿されないまま書き溜められた下書きは、そういう自分探しの軌跡でもあります。

その視点でみれば、今回ほど、自分探しに時間を費やした記事はありません。

テーマは不登校。
もうずうっと前から、思いを書き溜めては、下書きに保存することを繰り返してきました。

その下書きは8万字に及び、わたしが学校に対して感じてきた違和感が綴られています。

文章内引用

なんと8万字もの下書きで、るるさんが学校に対して感じてきた違和感を綴っていたというお話が途中で出てきます。

それだけ思いが溢れていた下書きだったのですが、でも本当に書きたかったのはその違和感の部分ではなく、価値観を手離すことであり、その8万字の鎧を脱ぐことだったと・・・

冒頭の詩にるるさんのとてつもない想いが籠められています。

「へん」じゃないのが「普通」。
「普通」じゃないのが「へん」。
それぞれ基準さえ曖昧な、「お互いさま」の言葉なわけです。

文章内引用

この部分が僕の中でとても刺さりました。
へんというものもあるし、普通というものもある。
へんという基準の中では普通がへんにすらなるし、普通という基準の中ではへんはへんであり、実はその中にある「お互いさま」の世界で物事を感じる。考えることがとても重要なんだなって思いました。

多分、この話は今まで一回もしてきていなかったのですが、僕は前の職場に入ったばかりの頃、今から言うと8~9年前のお話ですが、漢方スクールに通っていたことがあって、実は前の職場に就職をしたのも、その漢方スクールが家と職場の間にあり通いやすいという意味で決めたのもあります。

台湾一周した時に、薬膳鍋を食べてから漢方の世界にハマったのがキッカケではありましたが、、、笑

1年間みっちり勉強し、漢方養生指導士の資格を取ったのですが、その漢方の中で一番重要な概念として、陰陽という概念があります。

陰陽の図

これを見たことがある方は多いと思いますが、白い部分が陽(光)の部分で、黒い部分が陰(影)の部分と呼ばれており、この図では陰の部分にも陽があり、陽の部分にも陰があります。

ドラゴンクエスト風に言うと、ドラクエ3のラスボスであるゾーマを倒した時にゾーマが言うセリフで

ゾーマ「◯◯◯◯よ……。
  よくぞ わしを たおした。
ゾーマ「だが ひかりあるかぎり
  やみも また ある……。
ゾーマ「わしには みえるのだ。
  ふたたび なにものかが やみから
  あらわれよう……。

とありますが、ひかりあるかぎり、やみもまたある。
まさに陰陽の図そのものなんですよね。

その陰陽では陰でも陽でもない状態である「中庸」という概念がとても大切だと言われています。

るるさんの記事で書かれていた「お互いさま」というのがまさにこの「中庸」を示しており、そこの世界で物事を感じ・考えれるということはとても大切なことなんだというのを改めて思いました。

その世界で考えることって陰も陽も全てを認められる状態なので、フラットな気持ちで物事を見ることができるので、プラスもマイナスも無限大に感じることができるんですよね。

そこで生まれる自由というものが、我々が日々体験している喜びや悲しみの果てにあって、そこにたどり着く為の旅路が人生なのかなとるるさんの記事を見て感じました。

とても素敵な記事でした!

そんな感じで半分、酔っぱらった状態が抜けずに書いたのでなんか粗相があったら申し訳ないです。

とにもかくにも、とーとさんの魂が震える作品の「はざまの街で」と
くりすたるるさんの「もしも、野原に花まるが咲いていたら。」
本当にオススメですので、もし見ていない方がいらっしゃったら是非これも何かの縁ということで読んで頂けると嬉しいです🎵

それではまた明日!

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