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大人になるとゲームができなくなるのはなぜ?

はじめに

先日noteに初投稿をした。最近文字を書くことが少なかったので文字を書く習慣を付けたかったからだ。

そこで「毎日note」というタグを見つけた。自分もチャレンジしてみようではないか。この投稿が記念すべき毎日noteの1日目である。

それでは本題に入る。

僕はゲームが好きだ。小学生の頃はそれなりにゲームをしてきた。ファミコン、スーパーファミコン、セガサターン、プレイステーション。普通の子供なりにはゲームをプレイしてきた。その中でもやったのがファイナルファンタジー7だ。

そう、先日ファイナルファンタジー7のリメイクが発売された。

発売当時から20年以上経っている。当時僕は小学生だった。

ゲームが好きなのでプレイステーション4の本体は持っていた。だが発売日まで買うことは考えていなかった。

しかし、テレビのCMでみてしまってふと当時ハマった記憶などがよみがえりプレイしてみたくなってしまった。

初代プレイステーションのFF7の思い出はいくつもある。ストーリーがキリのいいところで終わり、ディスクを入れ替えるワクワク感。マテリアでキャラクターの成長に自由度がある。ミニゲームのスノボ、フリースロー、ボクシングなど。

さて、ここで本題に入ろう。

大人になるとゲームがあまりできなくなる人はいるだろうか?僕の友人にも同様のことが当てはまる人はいる。ゲームが好きだけど買う前まではワクワクするんだけど実際にプレイしても面白いけど1時間ほどで飽きてしまう。

理由を自分なりに考えてみた。

1.普段から時間に追われているから

仕事をしていて時間に追われている習慣がつくとゲームをプレイしながらでも時間の概念を気にしてしまう。子供の頃はゲームにのめり込んで時間という概念を忘れてやっていたが、今は違う。時間を気にしながらゲームをしてしまう。

2.現実をみてしまったから

若かりしころは純粋であったのでゲームの世界に入り込んだかのようにプレイしていたが、大人になると俯瞰でみてしまう部分もありゲームもあくまで現実の一部として捉えてしまうから。

3.グラフィックが綺麗すぎるから

これはおっさんの意見だが、昨今のゲームは軒並みグラフィックが綺麗だ。僕が買ったファイナルファンタジー7のリメイクもグラフィックがとても綺麗だ。感動すらした。しかし、自分が子供の頃にやっていたゲームはドット絵が多く今のゲームみたいに1から10まで描写されていない。

ドットのゲームは大まかにこんなことがあったんだなというニュアンスはあるが細かい部分は想像力で補っていた。小説で言う「行間を読む」と似たニュアンスだ。ゲームが進化したがために描写がはっきりとされ脳内への情報が多くなり、すぐお腹いっぱいになってしまう。

4.生産性がないから

大人になるとゲーム以外の楽しみにも出会う。また仕事をするビジネスマンであれば勉強のためのインプットやアウトプットの時間も捻出しなければならない。僕はゲームは好きだがゲームには生産性がない。現実逃避の為にゲームをするのにゲームをすると生産性のなさやゲームをしている自分を俯瞰してみてしまい現実に戻ってしまうといった現象が起こってしまう。

まとめ

推敲もせずにつらつらと勢いで書いたが、個人的には僕がゲームをあまりしなくなった理由は上記である。こんなことを書いているが決してゲームが嫌いな訳ではない。むしろ大好きである。

また、ゲームについて何かしら書いていきたいと思う。




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