なんとなく徳川家康、なんとなく大化の改新
歴史に限ったことではないが、人間の脳は様々に物事を"関連付けて覚える"ほうが理に適っているらしい。
逆に言えば、例えば
AはCです。BはR、GはHです。
のように箇条で単独で覚えるのには向いてないそうだ。
その理論から考えると、現在の歴史に関する教育は全く理に適っていないように感じる。
そしてそのせいで、歴史に対して、つまらない とか、あまりよくわからないという状態になる人が多いと感じる。
(ここではあくまで、高校までの歴史の授業、テスト等について言及する。)
歴史のテストと言えば、人物名や出来事の名前だけ書ければいいようなテストがほとんどだ。大部分の生徒は、そういった"語句"だけ覚えればいいと思ってその場しのぎの勉強で終わってしまう。
それだけである程度は点数が取れるようなテストになってしまっている。
しかしそれでは、序盤に述べたように、人間の本来の理に適わない記憶しか脳に残らない。テストで赤点を回避して、テスト期間が終わればほとんど何も頭に残ってない状態になってしまう。
その結果、"なんとなく"しか歴史を知らない者が量産される。(自国に歴史的誇りを持てない国民が多いのはこのせいか。)
徳川家康? あー江戸幕府の人?
大化の改新?なんか、クーデター…?
藤原道長?、……貴族…?
全員がこの状態だとは言わないが、しっかり理解している人を探すほうが大変な気がする。
この状況をどうにかするためには、
"歴史の流れ"を大事にした教育
を目指すべきだ。そしてこれこそが正に、人間の本来の記憶能力から考えれば理に適っている。
どんな歴史の出来事も、"原因"が必ずあり、そしてその出来事もまた何か他の新たな出来事を引き起こす"原因"であるはずだ。
全て流れがあり、繋がっているのだ。
この視点を持つか持たないかで、歴史への態度は大きく変わる。
人名、事件の背景·原因、そしてそのもたらす影響をしっかり繋げて覚えることができれば記憶にしっかり残るし、理解が深まる。そして、楽しく勉強することが出来ると思う。
単語の暗記だけでは、無機質で味気なく、そこにある人間くさいストーリーが見えなくなってしまう。
自分と同じ種の、人間であることを忘れて、暗記する単語としての存在に偉人が還元されてしまう。現代の比較的安定した国家社会の礎を築いた要因であるはずの偉人がぞんざいな扱われ方をされたらたまったものではないだろう。
流れを掴むことを意識すれば、必ずや正しく深い歴史的教養を得ることが出来ると思う。
少しでも、このような教育スタイルになってほしいと強く願う。
余談だが、教育機関でのカリキュラムを終えたような年齢の人達でも、歴史的な教養、理解は得られると思う。いや、そういった人達だからこそ と言ったところか。
昔に習ってなんとなく覚えている歴史のワードが、繋がり始めたとき、人間が本来持つはずの知的好奇心 探究心が刺激され、シンプルに"楽しい"と思えるはずだ。
そしてこう思うはずだ。
「学生のときから、こんな風に繋がり·流れを意識して歴史を勉強したかった」 と。
今の子供たちにそういった後悔をさせないためにも、やはり歴史教育の変革は必要だろう。