ナチス強制収容所跡地でバーベキューをする人々|ドイツ人の歴史認識に変化?
1月に入り、各地で雪が積もったドイツ。テューリンゲン州のとある場所でも雪が降り、そこではそりすべりなど雪遊びをする人でにぎわった。しかし、そこはかつてナチスドイツが建設したブーヘンヴァルト強制収容所の跡地で、人々が滑っていたのは集団墓地の外れに当たる場所だった。
エッテルベルクにあるブーヘンヴァルト強制収容所は最も大きな強制収容所の一つで、1937年に建設された。初期の収容者は政治犯がほとんどだったが、1938年の水晶の夜(11月9日にドイツ各地で起こったユダヤ人排斥事件)で1万人以上のユダヤ人が送り込まれたという。ピーク時には11万2000人が収容され、強制労働や人体実験が行われたほか、働けないと見なされた者はガス室などで殺害された。死亡者数は定かではないが、餓死や拷問なども含めて少なとも5万6000人が犠牲になったと報告されている。
写真:各強制収容所の門に掲げられた「ARBEIT MACHT FREI(働けば自由になる)」の文字。上記写真はダッハウ強制収容所の門
現在、ブーヘンヴァルト強制収容所跡地は記念館となっている。館長を務める歴史家のイェンス=クリスチャン・ヴァーグナー氏は、これ以上レジャー客がこの地を訪れないようにセキュリティを強化するなどの対策を取ったが、それでもなお敷地内の採石場跡でそりすべりをする人がいた。雪が積もると採石場を見分けにくくなるものの、実際にはかつてどのような場所だったかを説明する看板が立っている。ヴァーグナー氏によれば、過去にも敷地内でバーベキューをする人や、クロスカントリースキーのトレーニングでローラースキーをする人がいたという。
第二次世界大戦後、ドイツでは歴史教育に重きを置いており、特にナチスドイツ時代については長い時間をかけて学んでいく。「一部の人々に歴史認識が欠けているのでしょう」とヴァーグナー氏は言う。ドイツ各地にホロコーストに関する記念碑はたくさんあるが、これらは死者を悼むだけで、なぜ人々が犠牲になったかまでを人に問いかけない。歴史教育においてデータや出来事の名称を学ぶだけでは、歴史のプロセスを理解して現代の教訓とすることにはならないと同氏は語る。
こういった状況を踏まえ、ブーヘンヴァルト強制収容所記念館では、学校の授業で訪れる生徒向けのガイドツアーを、これまでの2時間から今後は3時間に増やすことを検討している。また、生徒たちにこれ以上多くの資料を配布するのではなく、情報を整理して一緒にディスカッションする機会を与えたいという。
最近では、ホロコーストにまつわる写真を見ても動じない子どもたちもいると聞く。年々戦争体験者が減少していくなか、特に若い世代へどのように歴史を伝えていくのか、ドイツにおけるこうした記念館や教育現場などで大きな課題となっている。
参考:Süddeutsche Zeitung「Gedenkstätte Buchenwald: "Es gibt Leute, die auf den Wiesen des Mahnmals grillen"」(2021年1月19日)、United States Holocaust Memorial Museumホームページ
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?