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日本人の霊性の鍵を握る天忍穂耳命は「道」あるいはアカシック・レコードに通じていたか

二年ほど前から本腰を入れて調べ始めた、古代史や神話についての謎。
この半年間はさらに、日本のことだけではなく、聖書や古代中国の思想なども研究し、古代人がどんなことを考え、後世に何を残そうとしたのかを調べていました。

先行研究者の後追いではなく、文字通りゼロから、自分自身の頭と感性だけを頼りに探究を進めました。そしてようやく一定の結論に達したので、これからそれらを順次公開していこうと思います。

神道言挙げせず

神道には古くから言挙げせずという戒めがあります。これは「言葉にして語ってはいけない」という意味になりますが、この言葉自体の意味について、現代の本やインターネット上の解釈はどれも雲を掴むようでいまいち要領を得ません。

そこでまずその点から書いていきます。

言挙げせずの真意。端的に言えば、宗教が犯した失敗を踏まえた戒めです。大陸の宗教…たとえばキリスト教や仏教などは、いずれも言葉(文字)による教え、いわゆる聖典や教典を後世に伝え、そのどれもが百年から数百年という短期間のうちに解釈が歪んでいきます。
その結果として団体が腐敗し、そこから生み出される甘い汁の恩恵を得る者が、さらにその団体の存在を強固なものにする。そしてこの構造が直接的に千年後、二千年後の現代人にまで悪影響を及ぼしています。

宗教の大元や信者が悪いわけではなく、問題なのは、それらの歪んでいく団体、構造、システムを生む要因である「言挙げ」の行為そのものです。

日本人の先祖は、それら宗教の失敗を踏まえ、言葉に頼らずに物事の真理を後世に伝え残す手段を模索しました。

言葉は問答無用ですべて駄目、ということでもありません。
要するに、言葉(文字)に残す事によって何が起こり、後世にどんな影響を及ぼすかを慎重に見極めよ、ということです。

西洋の哲学でも当然この言葉の問題は認知されていて、数理で物事を語るならば、とりあえずは宗教のように腐敗する心配はありません。実際、近代哲学はすでに半世紀前頃から言葉を離れ、この世界の構造の実像を数理モデルとして語る構造主義は、今やコンピュータの性能向上とともに進化して、プログラミング言語で語る時代に入りつつあります。

とは言え、この構造主義もまた西洋的な考え方、思想です。西洋的というのはつまり、科学が実験と分析によって発展してきたように、五感で知覚し観測できる対象物に限定して分析・認識すること。この限界を越えることはできないんですよね。

もし「神道言挙げせず」の真意が、ただ単に宗教の腐敗やそれに起因する問題を避けるためだけならば、構造主義の登場によって神道はすでに役目を終えたと言えるのかもしれません。

が、そうではないですね。

神道の極意は、そもそも観測できる対象物以外に重きを置いているためです。数理モデルはその本質が依然として西洋的で、分析的アプローチから生まれる「言語」である事には変わりありません。分析する対象が、二千年前と変わらず五感で知覚し得る物事に限定されるのです。

神道で重要なのは、この分析的アプローチの対極に位置する何かです。これこそが、言葉では語ることができない何か。言葉や数理などのカタチにした時点で別物に変わってしまう何かです。

古代中国の老子はこれをと表現し、古代ヘブライ人はヤハウェあるいはアドナイと呼びました。旧約聖書の「神の名を唱えてはならない」という記述は、この言葉にはできないことと関係しています。

また、アカシック・レコードという概念もこれと関係しているように思えますが、定かではありません。歯切れが悪い言い方しかできないのは、「アカシック・レコードとは何か」について手に入る情報はどれもノイズにまみれており、正確なところはわからなくなっているためです。

その点、老子の教えはかなり純度が保たれているように感じます。そこでとりあえず、私も老子の言葉を借りて「道」と呼ぶ事にします。
ちなみに老子も「言葉にはできない」と言っています。

私は「道」を通じて、さまざまな発見をしました。その多くは、頭だけで考えていたのでは決して見つけることのできないものでした。いえ、もちろん時間をかけて全力で考える事も不可欠ですけどね。頭「だけ」では不可能だったという意味です。

言葉以外の伝達手法

今の段階で私が言っていることを信じてもらう必要は全くありません。
「信じる」という言葉には「確かめることはできないから」という注釈がつくものですからね。スピリチュアルや宗教について「私を信じなさい」という人の言うことは真っ先に疑った方が良いです。だから、私のこともむしろ信じないで積極的に疑って、クリティカル・シンキングで判断してほしいと思います。

そこでまずは、私が「道」を通じて知り得た、おそらくは数千年前からこの日本に存在していた、ある構造を公開します。そこには誰もが客観的に確かめることのできる、疑いようのない真実があるので。

今年の秋、11月頃になると思いますが、あることを確かめるために関東に行きます。その後で、その「構造」をYouTubeで公開する予定です。

並行して、オンラインサロンを開設しようと思っています。
上記の「構造」を除いて、私が現時点までに「道」を通じて知り得た情報は、基本的に全てそのサロンの中で公開します。

無料か有料かで迷いましたが、無料にした場合はいわゆる荒らしや冷やかし目的の人が来ることがどうしても避けられないので(それは以前SNSを運営した経験から言えます)、安価な有料サロンにする予定です。

同時に、閉じたコミュニティはエコーチェンバー化しやすく、私自身も含めて物事を客観視できなくなる恐れがあるので、例えば間借りカフェなどで、常に誰にでも開かれている現実の交流の場も作りたいと思っています。
サロンは別に秘密主義というわけではないですからね。サロンで収益が発生したら、その現実の交流場の運営費に充てます。

天忍穂耳命アメノオシホミミは、日本神話では天照大御神の子として登場する神ですが、私としては、古代の日本人…と言うか、当時日本にいた特定の人々が、言葉ではない伝達手法、すなわち「道」にアクセスする手法を確立していた人々がのちに神格化されたのではないかと考えています。

宗教のようなセンシティブかつ正解のない話題について言葉で何かを論すれば、それは必ず論争になり、論争はやがて敵対視に変わり、血を流す争いになります。よって私は天忍穂耳命が実践したと思われる、言葉で語らず人に伝える手法をこの現代に復活させたいと真面目に考えています。これ自体もいくら言葉を尽くしても伝わらない話なので、ここまででやめておきます。

とにかく、これは言葉にすればするほど怪しさしかないので(笑)、何はともあれ、まず怪しさを払拭する必要があります。そのために誰が見ても疑いようのない、そして誰もが驚くであろう「構造」を公開するのです。

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