脱プロイセンモデル:「教」でなく「道」による教育のあるべき姿
私は子供の頃からずっと教室という閉鎖空間に閉じ込められることが耐えられなかった。物理的にも、精神的な意味でも。
そのことは下の記事でも書いた通り。
その当時は自分の気持ちをうまく言語化できず、ただただ辛いだけだったが、今考えてみると本能的に教室で行われているのは「道」ではない事を知っていたからだという気がする。
ここで「道」と「教」の違いについて、私なりの解釈を書いていく。日本において何かを探究する場合、「道」という表現がよく使われる。書道、柔道、合気道、茶道、神道など。
ではそもそもなぜ「道」と言うのかと考えたことがあるだろうか。私が感ずるのは、人類の中でその道の頂点に立つ人の先にもまだ道は果てしなく続いていて、道に終わりはないというイメージ。終わりはないのだから、ある時点で頂点に立つ人を師と仰ぐ弟子が、やがて師を追い抜いていく事も当たり前にある。むしろ弟子に追い抜かれる事を本望と考える人こそが優れた師と言える。従って「道」においては、弟子は師を見るのではなく、師が見ている道の先を見据えることが重要だと言える。師は弟子の数歩先を進んでいるが、共に同じ方向に向かって進んでいて、時間という概念を超越して考えるならもはや上下関係も最初から存在しない。
師の先にも果てしない道が続いているのだから、師から弟子への一方的な「教」もまた存在しない。弟子がどの方向に歩むかは完全に自由意志に委ねられる。師から何かを教わりたいと思った時、はじめて師に尋ねれば良い。
「道」では、師と弟子が共に道の先を見たいという共通の想いだけを持ち、そこにピラミッド型の権力構造は存在しない。もし権力構造があるとすれば、それは「道」ではない紛い物だ。
それでは一方の「教」はどうだろう?
宗教が例としてわかりやすい。宗教では道とは違い、教祖または経典が頂点とされる。教祖/経典の信者は通常、頂点のさらに上に立とうとしてはならない事になっている。もしもそれが許されるなら、キリスト教が誰の目から見ても歪んでいた事が明らかな中世の暗黒時代にピラミッド型の権力構造は解体されているはずだ。ところがそうなってはいない。これはその権力構造にいつまでもしがみつき、たとえ人を不幸に陥れてでも自らが頂点に立っていたいという考えを持つ者がいる事から生じる結果である。
宗教の歴史を見てみれば延々と同じ事が繰り返されている。イエス・キリストは、ユダヤ教の構造的な歪みを批判したために、ユダヤ教徒によって異端と見なされ処刑された。そのイエスを神格化した「キリスト教」も全く同じように歪み、それに抗った人を同じように異端として処刑した。イエス自身は生前からその未来に起こり得る展開を予測した上で、”キリスト教”を批判した。それは以前から書いている通りだが、改めて説明すると、マタイによる福音書に書かれている。曇りのない目で読めば、これがキリスト自身によるキリスト教批判である事がはっきりとわかるはずだ。
キリスト教の権力構造から恩恵を受けている人間は、これを文字通りの意味では読めない。文字通りの意味で読んだら、権力構造としての宗教団体は不要という結論に至り、金の卵を産む鶏を捨てなければいけなくなるためだ。それこそが「不法をなす者ども」「砂の上に建てられた家」であり、そしてこのような宗教をめぐる戦争は世界で最もひどい戦争(ひどい倒れ方)を引き起こす要因となる。
つまり「教」は「道」とは違い、上から下へ広がる支配構造であり、頂点から上は何者も見てはいけない、目指してはいけないというイメージ。
キリストが説いたのはそんな「教」ではなく、日本人的な考え方の「道」だった。
釈迦もそうだ。釈迦のことをブッダ(悟りを開いた人)と言い、仏教の頂点として神格化したのは未熟な弟子である。
釈迦は「それまで曇っていた目がやっと開眼した」という事を言った。これを「ゴールイン」と解釈するか、それとも「スタートラインに立った」と解釈するか。正解は間違いなく後者だ。
未熟な弟子がこれを前者の意味で解釈してしまい、意図的かどうかはともかく、あたかも悟りというゴールラインが存在するかのように人々を欺いてしまった。その結果、悟りの象徴として釈迦を神格化した権力構造が生まれた。それから2600年後の今も、この未熟な弟子によって生み出された権力構造の歪みを見抜けないだけでなく、あまつさえその構造に便乗して人々から崇められて気持ちよくなっているだけの人、悟りとは真逆に向かうこのような人が存在する事を、釈迦はあの世からため息をついて眺めているに違いない。
釈迦が歩んだ「道」はその先も永遠に続いている。神道は宗教とは違い経典や教祖というものが存在しない。その観点から言えば、釈迦の到達点に最も近いのは仏教ではなく神道なのだと言える。
プロイセン教育と宗教の共通点
教育もまた本質的に宗教と同じ問題を抱えている。学校教育のベースにあるのは、従順な兵士を育成する事のみに特化して設計されたプロイセン教育。奴隷量産プログラムと言い換えてもいい。それがどんなものなのかは私以外にもnoteで詳しく書いている人はいるし、多数の書籍や記事もあるのでここでは説明は省かせてもらう。
このプロイセン教育を批判する人は昔からたくさんいる。しかし「ではどういう教育の形が理想なのか」というと、「こうだ」とはっきり言える人は激減する。
と言うか、プロイセン教育に代わる教育モデルをまともに提案した人はまだ誰もいないんじゃないだろうか。大勢の人が悪いと思っているモデルに従い続け、誰も具体的な解決案を見出せずにすでに何十年も経過している。なぜこうなってしまうのだろうか?
私はその理由は、プロイセン教育モデルはミームだからだと考える。要するに、この構造そのものが一種の独立した生命としての振る舞いを見せはじめたのだ。ミームは個々の人間の意思を超えたところで生きている。どこかを損傷すると、それを自己治癒する構造を内包している。その命を消滅させようとする動きに対し、生き残りをかけて必死で抗う。
たとえば教師はプロイセン教育モデルが崩壊すると職を失うため、学校教育に問題があるとわかっていながら同時にその構造を維持し続けることに尽力するという自己矛盾を抱えている。自分でも思考と行動が矛盾していると思いながら、その矛盾を解消する術を持たない。その矛盾に気付けるだけでもまだいい方で、多くの人はプロイセン教育にしっかり洗脳されていて、それ以外の教育の在り方を想像してみることを想像できない。
この教育関係者たちの職を失わせないためにプロイセン教育モデルは自己修復し、成長し、増殖する。生命を形作る細胞(教育関係者)は血管(経済)を通して流れてくる血(お金)で生かされており、同時にこの細胞の働きによって本体(プロイセン教育)もまた生かされているという共依存関係にある。そういう意味で、これは物質的な肉体を持たない生命=ミームと言える。
脅威に抗う機能を持つ、人間の意思から独立した構造的生命であるために、誰もが問題があると思いながら誰も解決できないし、解決の糸口すら見つからない。宗教のミーム化とまったく同じだ。
ではどうしたらいいのか?
その答えは、日本の先人が教えてくれる。神道は、大陸の宗教が日本に伝来し、神道の存在が脅かされた時も決して拒まなかった。拒むどころか逆にそれらと同化して、境界線を無くしていった。敵視してこの世から消滅させてしまおうとすると、ミームも生き残りをかけて必死で抵抗するのだ。敵視するのではなく同化して、ミームの遺伝子レベルからより良い方向に変化させるという知恵を日本の先人は我々に伝えてくれている。
それに倣うならば、まず初期段階では今の教育の構造そのものを敵視したり消してしまおうとはしないで、ありのまま受け入れる事が重要なのだろう。(問題を認識した上で受け入れるのと、そもそも認識できていないのとでは全く異なる)
そしてこの毒気を放つ学校という場に馴染めない子供たちを受け入れる受け皿が必要になる。現在あるものはとても受け皿とは言えない。なぜなら「行きたくないなら行かなくてもいいよ。でもできるなら行こうね」という方針だからだ。これはプロイセン教育の問題を根本から解決する原動力として機能しないことは自明である。
学校に行けない子供の受け皿が、なお学校に行かせたいと思う理由は単純、訓練を受けた教師しか子供に何かを教える事ができないという思い込みが蔓延しているためだ。
これは完全な思い込みだと断言できる。そもそも、人間は放っておいても勝手に学びたがる生き物。江戸時代は数学が庶民にとっては娯楽だった。先生と生徒という関係性ではなく、庶民同士が大人も子供も関係なくライバル関係となって切磋琢磨し、数学力を娯楽として競い合っていた。
学校教育は、絶望的につまらない。なぜつまらないのかについての説明は端折るが、どうすれば面白くなるかは簡単だ。「物語を内側から見るか、外側から見るか」違いはたったのこれだけだ。
歴史の授業では無味乾燥な表層的な出来事と年代をひたすら暗記させられる。主人公である子供はこれではこの世界に入っていけない。つまり外側から傍観者としてただ眺めているだけだ。これで面白いわけがないし、記憶に深く刻まれるはずもない。
しかし歴史小説は、歴史の世界に自分が入り込んで擬似体験できるから面白い。小説が合わないと言う人でも、アニメやドラマなどで歴史上の出来事を面白いと思った事が一度はあるはず。ジャンルがなんであれ、一度その面白さに接すればあとは放っておいても勝手に学び始めるのが子供というものだ。これが物語の内側から見るという事。記憶への定着しやすさも、外側から見るのとでは比較にもならないのは言うまでもない。
数学も全く同じ。これは以前にも書いたが、プログラミングで数学を扱う事によって数学の世界の内側へ入り込む事ができる。たとえば単純なゲームプログラミングでもいい。数学の世界に入れば、8歳の子供でも三角関数の概念を一週間もあれば完璧に理解できる。
学校の授業では「覚えたけど、これが何の役に立つの?」という疑問を抱き、その答えは結局わからないままで、社会に出て初めて理解したという人が多いはずだ。
プログラミングでは実際に役立たせるために数学を使うので、そのような疑問は最初から生じ得ない。道具としての数学の使い方を覚えるから、応用力もつく。そしてもっとも重要なのは数学が面白いという事に子供自ら気付くことだ。そうなれば、勝手に高度な事をどんどん学び始める。
小学校で始まったプログラミング教育というものが具体的にどんなものか知らないが、もしプログラミングを「外側から」教えているだけなら当然ほとんど意味がない。
嫌々ながら表層的な知識だけを詰め込まれた子と、学びの世界の内側に入って楽しみながら高度な事を自ら貪欲に吸収していった子とで、労働力としてどちらが頼りになるか?これも言うまでもないだろう。企業が後者の子を積極的に採用する動きが社会に芽生えれば、プロイセン教育を唯一無二の聖域と見做すこれまでの偏った社会の常識も自ずと変わっていく事が期待できる。
まとめると、本物の教育とは「教える事」ではなく「学ぶ楽しさに気づかせる事」だと言える。これがそのままこの記事の本題である「教」と「道」の違いだ。
間違っても子供に「つまらない勉強でもそれを我慢してやっておかないと将来苦労するよ」とか「他の子も我慢してやってるからあなたも我慢しないといけない」などという、誰かの受け売りの妄言を語ってはいけない。これは「私は思考停止してます」と言っているのと同じだ。それで納得する子供は一人もいない。これを読んでいるあなたもそうだったのではないか?
その嘘を子供は見抜くから、大人に対する信頼を損なうだけだ。学校教育がつまらない理由を、子供と真正面から向き合い、共に考えて納得がいく答えを論理的に導き出し、その現状を踏まえた上で将来のためにどんな道を選択するかについても共に考える必要がある。
この考え方が世の中に浸透すれば、学校は無理のない範囲で通い、本物の学びは他の場所でという棲み分けが可能になる。現時点での問題は、その「他の場所」が存在しない事だ。私が以前から言っている学びのためのカフェ的な店は、そのために作りたいと考えている。先生と生徒という関係性ではなく、大人も子供も同じ道の先を見て、楽しみながら共に学ぶ場である。立場は対等なのだから「〜教室」という名前にも決してしない。
そのような場所が日本中に増えれば、自ずと学校におけるプロイセン教育の呪いも解けはじめていくだろう。そしてそういった場でこの世界の本質を学んだ子の子孫が、いつかの未来に宗教の呪いも解いてくれるだろう。