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星空を見て思うこと:あたりまえだけど動かしようのない真理からは不安は生じない


はじめに

 世のなかではさまざまなことが起こり、それらをのちになりみなおすとヒトの所業で生じることが多い。

かたや自然は淡々としている。宇宙もこつぜんとある。そこで生じることはヒトがよぶんなことをしないかぎりたまたまの結果。なにもだれかが原因をつくるわけでも、なし得たことでも何でもない。

星空を見あげて思うのは、あれこれ不安をよぶんにかかえてもしかたがないと。想定できるだけせいいっぱいをやれたならば、あとはなるようにしかならない。不安になるまえに対処できればあとは静謐にすごすのみ。

きょうはこんな話。

世のなかは

 一歩さがった位置から世のなかを見ていたい。このところとくにそう思う。もちろん世捨てビトになろうとか、達観したとかは毛頭ないしカッコつけて言うつもりもない。あくまでもじぶんごとでひとりごとにすぎない。

不安を増幅する状態はなにごともよくないし、健全な精神状態をたもつうえで、あまりにも個人はか弱い存在。

上に記したことと矛盾しかねないがじゅうぶんな情報や根拠がないうちは発信しない、世をまどわせてはならないと自制する。

そこでどうするか

 すくなくともひとさまによけいなめいわくをかけないこと。それにつきる。そのあいだに身の置き場なり、つぎにどう行動すべきかかんがえる時間的猶予ができるはず。

身のまわりにはさまざまなできごとがふりかかる。その結果で心身ともにうごけるならばほかのヒトをサポートできるかどうかとか、じぶんのできることはなにか、すぐさま行動にうつすかどうか、ようすをみるべきかとか。それぞれのタイミングはどうか。いろいろうかんでくる。

シュミレーションしておく

 こうしたことを思い描いておくと、いざというときにあわてずにすむ。

具体例をあげたい。わたしは甲種危険物取扱者の資格をもつ。化学物質をどんなふうに安全にあつかうべきかひととおり心得て、じっさいに関連するしごとに就いていた。その多くが物質の性質を把握し、あつかううえでの危険性を予測したうえで責任者としてそなえ、行動すること。

たとえばある化学物質は潜在的に火や熱を生じやすい。もちろんよぶんな火を生じないように未然に何重にも安全を確保して防ぐのがメインのしごと。それでも起こることがある。それへの対処をもとめられる。これ自体はしごとをやるうえで想定内。とくにめずらしくはない。

予測をたてて

 火元の物質しだいで対処法はまったくちがう。そこでこのときはこうするをまえもって何重にも想定した法令にもとづいた環境整備をする。いざというときのために必要な物品や必要な行動ができるスペースをもうけるなり、対処にもとめられる物品の点検や配置などをする。

そのため火を生じてもあわてず、手順にしたがって想定どおりに行動するにすぎない。静観してまわりの物品をはなしてある距離をたもちつつ鎮火をまつ場合もある。なにも知らずに水をかけると大事になりかねない場合もある。

不安と冷静

 あくまでもものごとはヒトが関わらないかぎり自然の摂理にもとづいて起こる。それはいまだ人類にとって未知の現象であってもおなじ。気づかないだけ。ただヒトには知恵がある。

想定をひろめに設定し、ほぼ起こらないことまで計算にいれて対策を練ること、準備することはある程度まで可能。そうして不安やさらなる惨事をさけられる。

おわりに

 把握できておらず距離を感じるもの、なにか未知なるもの、危険が及びそうなものについては安易に不安を増幅するコメントや軽はずみな行動をしない、触れない、近よらない。そういったことを徹底するのがのぞましいと思う。

不安の多くはものごとの把握の不十分さから生じるといいたい。それを避けるには訓練なり、想定してシュミレーションしてまえもってうごいてみること。経験してみるとなにが必要か、どうあるべきかが見えてくる。


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