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「燃えつき症候群」の状態にしないでその先にあるやりたいことを全うできるようにするには
はじめに
このところスポーツを見ていて思うこと。それは精一杯やって引退する選手の存在。はたしてどんな気持ちなのだろう。悲喜こもごも。「やりつくした」の結果なのか、それとも「もう十分、おなかいっぱいでほかをやりたい」なのか。
大学の新入生たちを学びの場面でサポートする際におなじように感じる。あまりに目いっぱいで入試をクリアし、その反動からか5月ごろに行き場を見失うことも。それを防ぐにはどうしたらよいか。
きょうはそんな話。
つづけるかどうか
精一杯やるとはどういうことか。スポーツでも、学びでもほかのどんなことがらでもうちこんでやるからには結果を出したい。そう思うのがつねだし、周囲もそのがんばりを支援したい。そんなさなかにふと思った。なかには燃えつきたようになり、そののちどうしているのか心配になってしまうことも。
がんばりつつある自分をどれだけ客観視できるか。それは意外と難しいのかも。いまこそ100%だとかいってもわかりにくい。それはトレーニングをやるとわかりやすい。めいっぱい、もうダメと思っても意外とその先がある。数値や継続時間などをつうじて自分の体力をそんな体験から把握。
どんなふうに目標にちかづき、そして到達していくか。それに達した場合、あらたな目標をみつけることができるか。
限界までやると
それを自らを限界まで追い詰めつつやるのがよいのか、腹八分目までにして気長に時間をかけてやるほうがいいのか。
その選択は意外とむずかしい。まるで筋力トレーニングとストレッチ運動のちがいのよう。もちろんそれらの目的はちがうし、効果や効力の違いはあるし、目的は異なるのは承知のうえで例えにしている。
メリハリをつけては
そこでこう思う。じつはどちらもありかも。両方、つまりストイックにめいっぱいやるタイミングもあれば、7,8割でようすを見つつ、ほかのやりたいこともやりながら(つぎの目標をかんがえつつとか)、ストレスにしない場面もあっていい。
その両方をやれる調節や律する力こそがたいせつなのではと思うようになってきた。だからめいっぱいやったあとには、無気力になってしまうような反動が来ないようにクールダウンが必要。スポーツならばアイシングがそれに相当しそう。スポーツ障害が起こらぬよう、使った筋肉に対して応急処置として施す。こんな方法がかなり無理しがちなしごとや受験勉強のあとなどにもとめられてしかり。
クールダウンがあってこそ
「メリハリをつけてことにあたる」それはどんな場面でも遭遇しそう。そして懸命にやっている最中もすこしだけそんな自分や周囲をみつめられるもうひとりの「冷静な自分」をもちたい。それはけっきょく周囲への配慮にもつながるし、「ちょっと休憩しようか」と機転がきくようになれる。
こんなふうに煮詰まりつつある一歩手前で気づけると、つぎへの一歩、足がかりが生まれやすいと思う。思わぬミスなどある程度防げそう。なかなか余裕はないかもしれないが、とはいえ反動もこわいしなるべくならば避けられるものならば避けたい。
おわりに
学びの場で生徒たちのサポートをつづけてようやくそんなふうに思う。結果としてふりかえると無意識のうちに文字どおりやれたこともあれば、反省しきりの日々だったことも。
前もってこうして経験にもとづいて事前にクールダウンをしっかりやれていれば、燃えつきないでもっと大きな目標へとチャレンジできる意欲をもてるかもしれない。種火として燃やしつづけられるかもしれない。今後に活かしたい。
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