ごくありふれたことへ目をむけられるかどうか ふとしたときに気づけるかもしれない
はじめに
ささいかもしないが気づいてしまった。昨今の状況のマスクのおかげ。あまりにふつうすぎてふだんは見むきもしないのだが、やはりふだんとちがうと気づけるのかも。わたしのズボラもときには役にたつ。
きょうはそんな話。
ひごろの習慣で
たとえば顔をあらったりふろにはいったり、こうしたごくごくありふれた一連のうごき。長年のあいだにふだんの習慣としてやりつづけていてほとんど無意識でやる。ここでこうしてああしてとあたまを駆使させるまでない。
すると3日前と2日前の風呂のはいり方のちがいについて説明しろといわれてもできないのがふつう。たしかにやったはずだし、多少のちがいはあったはずなのに説明できない。記憶にのこらないから。
日頃の行動の多くはこんなもの。
いつもとちがう状況で
ところが昨今の状況。それまでとおおきくちがう習慣がくわわった。いくつかあるがそのうちでも「マスクすること」はいまも影響がのこる。もちろんそれまでも風邪とか、のどのぐあいがいまひとつでつけていた。でもそれはかぞえるほど。たしかいついつの頃のことだったと最近ならばあとからでもマスクしていたころ、なぜマスクをしたかについて思い出せる。
でもいまはちがう。2年前の1月29日もおそらくマスクをつけていたにちがいないが、その日の行動なんてなにも見ずにはこたえられない。
なんのちがいだろう。
マスクのした
やっと本題にはいる。さてマスクのした。ズボラなわたしはすこしだけ習慣をかえていた。ヒトの前でマスクをはずさなくてよいので、ひげそりの回数をひところよりもへらしていた。めんどうだから。もじどおりのぶしょうひげ。
ひげののびた状態ではマスクにひっかかりやすい。マスクすがたで話つづけるとずりさがりがち。ひげでそれが助長される。鼻の露出はみっともない。あわててもとにもどすか時間がゆるせばひげをそる。
それに気づく時間はまちまち。つまりひげそりの回数こそ減ったが、時間はまちまちになった。すると変なことに気づいた。あれっ、たしかきのうの夕方、学習サポートのしごとのまえにあわててそったはず。そう、話すことの多いしごとなので上述のようにマスクがさがるとよくないと思いひげそり。
そしてよくあさ。ふと顔を洗うときにいつもとちがう。ほおがすべすべ。あれっ、ひげがのびていない。
これをなんどかくりかえし、いつもそうだと気づいた。
せばめていく
べつの日。こんどは夜明け前。のびたひげがじゃまをするのでそる。そしてその日の夕方。すでにいつもほどではないがすでにほおにひげが。あれっ、朝そったのにもうのびている。おかしいなあ。上に記したように夕方にそり、よくあさ(6時ごろ)までは13,4時間経つのにもすべすべ。一方、早朝から夕方ではもう伸びている。昼間にのびるのかなあ。
「ひげは昼間にのびる」と仮説をたててみた。どの時間にのびるのかせばめていき、マスクのしたのようすをうかがった。
おわりに
結論としてわかったこと。なんとわたしのひげは起きてしばらくたったのちにいちばんのびるとわかった。最初は食事のあとしばらくして栄養がいきわたるころにのびるのかなと植物的発想で結果を解釈しようとした、ところがそれでは夕食後にはのびないことの説明がつかない。
おそらく起きてから4,5時間後の活動の活発になったころにひげはいちばんのびるとわかった。夕方にもさらにすこしのびるような気もするが。この理由も知りたい。
ありふれたことへの気づきは日常とのちがいがあると気づけるのかもしれない。マスクをするという昨今の状況のあったことでのひとつの気づきだった。
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