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農業をやっていたころはつねに天候を気にしていたことをいまになって知る


はじめに

 しばしば出会うヒトと出会うとまずは天気を話題に。くわえてわたしの場合、起きて寝るまでいつもそらのようすを意識していると気づいた。

この習慣、農業をやりはじめた10年ほどまえから身についたようだ。はたしてそれ以前どうしていたか。ふいにヒトに出会うととたんに「きょうは・・・。」と無意識に口をついてでるほど。

きょうはそんな話。

そらを見あげる

 種子のじかまきの時期。ちょうどこのころはよくしたもので数日おきに雨が降る。それを見こしてそれまでに土をたがやし、酸度の調整や堆肥をいれておく。これが2月ごろから。さらに前には苗づくり。

じかまきしないトマトなどは正月をすぎたころから暖かい室内でポットにたねまきして準備をはじめる。つづいてガラスごしに陽のさす縁側でじゃがいもやさつまいもの芽だしや苗床の準備。いずれもそらをながめながら、気温の変化をみながらすすめていく。

なにもかもが天候しだい。雨がはげしくふる日はぜったいに畑の土はいじらない。せっかくできた団粒構造をどろんこにしてしまう。じっとがまんしてやりすこす。

しとしと雨が期待できそうならば、いそいでうねをつくってたねをまく。雨でしめらせて発芽。こんなにつごうよくはなかなかことがすすまない。畑においたままの大きなかめにためた雨水(天水)をじょうろでひろい畑にまいていく。

いつもそらをながめているし、天候のことが朝から晩まであたまからはなれない。それが農業をやっていたころのわたしのあたまのなか。

一転して

 それがどうだろう。農業をやめて3年半。学習サポートやコンサルで基本的に家のなかでのしごと。それでもやっぱりヒトに出会うときょうの天気をまじえて時候のあいさつ。いったん習慣になるとなかなかぬけない。やっぱり天候を気にしている。やさいをつくらないのに。

雨がふりだすとふとんのなかでもそわそわしてしまう。当時はよなかでもふとんをぬけだしあわてて畑にむかっていた。それももはやない。寝ていていいはず。にもかかわらず。なにかきもちのなかで腰をうかせてしまう。

いったんしみこんだくせのようなものだろう。もはやぬけないのかもしれない。ネットで毎週会話する1000キロ以上はなれた方とのあいさつもまずは天候から。さすがにこれだけはなれているとおたがいの居場所の天候にちがいがあって興味深い。西から東に天候が変化するようすをあらわしており、ほぼ一日のタイムラグがある。

それをまずは話題にしてから本題に入る。するとなぜかスムーズにことがはこぶ。農業をやっていたときのなごりがここに顔をだす。

なべやきうどん

 このところ夏日になるなどすこしうごくと汗をかいていた。それにもかかわらず冷凍庫にはさむい時期からの冷凍うどんののこり。冷やしうどんにしようかと思っていたのに、なぜかなべやきうどんを食べる番組をみていたせいか、いつのまにやらやさいとともになべでぐつぐつ煮はじめた。

そうこうするうちに前線が南にさがり、つよい北風が冷気をつれてきた。遠くでかみなりがゴロゴロ。とたんにあたたかいものを着こむ。天気の急変。ぐうぜんだがつくったなべやきうどんは夕ご飯にぴったりだった。

おわりに

 天候をあいさつがわりにするのはこのクニではふつうかな。わたしもいつのまにやらそうなった。これでそののちのコミュニケーションがうまくすすむ。やっぱりもとは農耕民族なんだろうな。ふつうに生きればそうなるのかも。やさいたちをそだてていると雨風のせわになるのはごくしぜんかもしれない。

せっかくやるならと、耕運機をつかわずに手作業だけではたけをつくっていた。そのようすを周囲の方々は「なんで?」というふうに反応していたけれどそれでもなんとかやさいはできた。「それって昭和のころでもやってなかったよ。」と笑われたけれど。やっぱり変わり者かな。

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