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大学の頃、いわさきちひろの絵の模写と今回あらためて素描原画に接して思ったこと

はじめに

 先日、東京に出向いたついでに下石神井のちひろ美術館に立ち寄れた。いわさきちひろの素描をぜひ目にしたいと思いつづけてやっと実現。もちろん学生時代に画集をつうじてそのタッチや色づかいなどにふれていた。やはり実物に接して百聞は一見にしかず、実物を見ることはたいせつだと思った。

きょうはそんな話。

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Cさんの画集

 大学の体育のテニスの授業はキャンパス内の施設ではなく、歩いて15分ほどの運動公園内。その日の授業を終えて帰り、いっしょに女子学生Cさんから「うちに来ない?」とさそわれた。わりと親しくしていた。すぐ近くだという。

テニスで組んでいた男子学生のひとりとともに訪れる。実家が大学の近くなんてうらやましいと言うと、「そうでもないよ。」という。逆に「〇〇君(わたしのこと)がうらやましい。」という。「箱入りなんとかだよ。」とも。

Cさんのうちをおとずれた理由は、わたしがいわさきちひろに興味をもっていると言ったのがきっかけ。じつは画集をもっているという。「よかったら貸してあげる。」というのでのこのこさそわれるままおじゃました。Cさんは幼少の頃、心臓に問題をかかえて治療をした経験があるらしい。そのため学年をひとつ遅らせた。その頃いただいた画集だという。

治療のかいあってこうして体育にも問題なく参加できるまでに。高校は県内トップの進学校、そして実家近くで無理せず通えるわたしとおなじ大学へ。

模写をすると

 借りた画集をよごさぬように透明なビニールで覆った状態で模写をした。おそらくこうだろうとえんぴつと水彩絵の具もしくはポスターカラーを水彩用のやわらかな絵筆ですばやく着彩。

なかでも絵本「赤ちゃんが来る日」(いわさきちひろ 文・絵、武市八十雄 案 至光社)の表紙の絵

を模写。あかちゃんを迎えるおねえさんになるこの子の繊細で微妙な一瞬の表情をみごとにとらえている。水色のぼうしはあかちゃんのものをかぶってみたところ。

さらに「窓際のトットちゃん」(黒柳徹子著、講談社)の続編「続窓際のトットちゃん」(同)の表紙を飾った絵

を対象に。

当時難しかったのは水彩のぼかし。水の筆と溶いた絵の具をふくんだ筆の両者を使い、ほんのわずかな時間で着彩。べつの紙で調子をみつながらぼかしの表現を練習した。

おそらく相当な集中力で描いたのだろうなと思う。しかもモデルとなるこどもたちは一時もじっとしてくれない。表情はつねに変化する。

原画を拝見

 さて、話は現在へ。先日ちひろ美術館(東京)に。ようやく時間を確保しておとずれた。下石神井にあるこの場所はちひろの住まいだったところ。コンパクトな館内には多くの作品が展示されていた。ここでは詳細には触れない。実際に実物をごらんいただきたい。

昭和中頃に紙に描かれており、その保存維持はたいへんだと思う。もちろん原画については光量をしぼり展示されていた。わたしのいちばん見たかったぼかしの表現。色を散らしその濃淡もふくめて効果をいかして、雰囲気をかもしだしている。

紫色をえらぶ段階で、実際に紙にさまざま素材の絵の具をのせてみて吟味するようすをそのまま展示してあった。色選びをていねいにやっていたことがうかがえる。その結果、息をのむほどのいろどりにあふれた作品の数々。

豊かな表現

 展示作品の何割かは現在の印刷技術による複製品。そのデッサンの多くはごくふつうのえんぴつ。展示室の一画にちひろのアトリエが再現され、実物のえんぴつや筆、絵の具がケースで展示されていた。筆記具はごくありふれたものだったが、絵筆の毛はごく繊細で筆先にたっぷり水をふくませられるやわらかそうなものだった。

おもにえんぴつで描いたデッサンのたくみさとこどもの繊細なゆびさきをふくめた手の表情までゆたかな表現。じつにこまやかでていねい。しかも的確な一本の線。いずれの作品も大きいものでない。ということは描いたこどもたちの手や指はごく小さい。それにもかかわらず、ゆびさきまでじつにこまやか。こどもの手やゆびにちがいない。

ダ・ビンチは手の表現に苦労したという。ちひろもまたこどもらしいあらゆるうごきを表現したかったのだろう。じつにこまかに指先までデッサンして、描きつづけている。それだけ比類なき観察とまさに瞬時にメモ書きしたかのような的確なデッサン。そこにおとなにないこどもらしさ、こどもの自由奔放なきもちが内包されている。

おわりに

 こどもとおとずれてもたのしい。展示室にはさまざまなくふうがほどこされ床やごく低い壁の高さにこどもたちがたのしめるようにさまざま趣向をこらしている。あそびながら絵に接することができる。同様に読み聞かせのできる図書室や仕切られこどもとたたずむことができるへや、ショップ、木々をながめられるあかるいカフェスペースなど充実していた。

個々の画家をとりあげた美術館は各地にあるが、ここは指折りのもの。この日、韓国から大勢の方々が団体で来られて説明を受けつつ観覧されていた。
館庭のセミの緑の木々をあおぎつつあとにした。

ついでに画集をお借りしたCさんとはふしぎな縁でそののちもおなじ職場ではたらき、いまも交流がつづく。


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