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SF的なショートショートを書いていていま生きているセカイについてふと思う
はじめに
noteをはじめたころに、ほぼ毎日2週間ぐらいショート・ショートを書いていた。どれもPCをひらいて起動させ、その場でおもいついてしるしていた。するとたいていサイエンス・フィクション、つまりSF調になる。やっぱりねっからの理系なんだろうなあ。
現実にたちかえり、いまこうしてすごしているセカイもここ数年でまえいたところから移ってきたとそんなふうに想像してみる。すると「それぞれのセカイを楽しまないと損。」との結論にいたる。
きょうはそんなお話。
おそるおそる
あたまのなかだけで短文をつくるのはたのしい。ふとnoteをはじめようと、それまでいたブログやなにかから移ってきた。なにぶんにもあらたな場。どんな方々が読者でいらっしゃるのか、どう読まれるかなど皆目わからない。最初の投稿のころはおそるおそる。それがほぼ1年あまり前。
これはすぐに杞憂と気づいた。ほかのネットサービス上にnote記事はけっこう引用されていて、無意識のうちにnoteのそうした記事を読んでいたとわかった。
ーなあんだ、そうだったのかーと記事をあげつつすこし安心。とはいってもnoteにも作法がある。それをひととおり理解しつつ、そうかそうかと手をいれる。やっぱりルールをまもったうえであとは自由に。
つくり話を…
なぜかショート・ショートをつくってみようと思った。それまでも長めのものがたりを書いた経験はあったが短編ははじめて。やはり中学にすすんだころ読んだ星新一の本は鮮烈な印象をそのままわたしのなかにのこしている。
そうだあれこそがショートショート。彼が作品をうみだすのにあたり、どんなにしぼりだすように苦しんでいたか、そんな記述がべつの随筆にあった。それにもかかわらずなぜかじぶんでつくってみようと。
なにもかたっくるしいことはぬき。彼がヒントをしるしてくれている。「きまぐれ星のメモ」だったかな。
多少のネタバレをおゆるしねがう。彼はつねづね、さまざまな事象やヒントについてメモをのこしたそうだ。本の題名そのまま。それをぐうぜんくみあわせ、意外な発想を得ることもあったという。そんな彼の着想を得るための苦労の一端が記されていた。中学生のわたしは当時なるほどと思った。
それ以来わすれずに「こうしたぐうぜんにもとづいた発想もある、フィクションってそうやって生み出されることもあるんだ。」とひとりで納得していた。
この年齢になってnoteの場をお借りして、星氏に対して失礼かとは思ったが、じぶんなりに実践してみようと。なにごともやってみなければわからない。こうして10作品あまりをいきなり投稿。わたしのマガジンの「ショートショート」はこうして誕生。いまマガジン欄をみなおすとなぜかすでに22本ほどある。
おわりに
こんな記述体験をしていると現実のセカイのほうがむしろフィクションのよう。もっととっぴなことがじっさいに起きているじゃないか。オオタニくんやフジイくんの活躍など漫画のせかいの発想をうわまわるかのよう。それから昨今の事象だってそうかもしれない。こんなセカイに迷い込んだと思えばしっかり体験しておかないと。
安住しているといつのまにかほかのセカイに連れさられてしまうかもしれない。こうした異世界をたえず行き来しているのがわたしたちだと思えば、生きていけそう。つぎつぎおこることがらは、もといたセカイにいつづけていたのではあじわえなかったはず。
そう思えるようになったおかげか、「楽しまないと」と思うようになれた。
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