体力を維持するうえで中学・高校で運動部の活動を経験していまおもうこと
はじめに
日ごろどのくらいの活動をおこなうと体力を維持できるか。それを感覚で把握するには過去の運動の経験が役にたつ。ずっとむかしの運動をさかんにやっていたころから、わりと最近の農業をやった時期までうごきの内容はさまざま。
それ相応にからだをつかいうごかした。どのくらいうごけて、限界はいかほどか否応なく把握できる。その延長線上にいまがあると気づける。
きょうはそんな話。
そこそこの運動
それにしても中学そして高校まで部活で運動した。おかげで無理がたたり後遺症がひざや肩などにいまになりはっきり出ている。右肩はじゅうぶんに力がだせないし、左のひざはあきらかに長くあるくと悲鳴をあげる。
いずれも当時のまちがったトレーニング法。中学・高校ともに部活のコーチ役は先生や先輩がた。体育や保健が専門というわけではなかったし、トレーニング法にしてもいずれも生徒たちも自己流でやっていた。それがのちにあだになる。
つづけてしまう
いずれも上に記した個所に必要以上に負荷をかけるウエイトトレーニングばかり。ストレッチがもっともけがを防ぐのに効果的となかまうちで気づいたのは時すでに遅しで、高校も後半になって以降。その時期が結果的にもっとも体力や筋力をつけられた。
つまりちゃんとした方法を身につけさえすればそれなりに成果があげられたはずなのに後悔先に立たず。それ以前のほとんどはやればやるほどからだをこわすことのほうが多かった。今思うとなぜまわりのなかまはこんなに鍛えているはずのなのにこんなに故障が絶えないのだろうとふしぎだった。
それならばすこし学べばよいはずなのにと読み手の方々は思われることだろう。しかし当時マネージャー役をかって出たわたしも故障つづきのメンバーを横目に手をこまねいたいたわけではない。書店などでふさわしいトレーニング法に関する手引書などないかさがしたが見つけられなかった。ようやくけがしたときのテーピング法なるものが世にではじめたぐらい。
案の定
そんなまわりの状況のなか、わたしとて無事であるはずがない。わたしの体重を上回るメンバーを肩ぐるましてスクワットする、うさぎとびでグランドの端から端まで競争するなどしているうちにひざをこわし、無理な連続運動で右肩に力が入らないまま背筋力はおちていき、もとにもどらなくなった。
キャプテンとこんなにトレーニングを積んでいる(県下で有数の成績をあげるラグビー部より激しいトレーニングだった)のにどうしてだろうと顔を合わせたのをおぼえている。
やり方がまちがっているとだれひとり気づく者がいなかったのは今になって思うとふしぎなぐらい。科学的なトレーニング法をまなべたのはようやく大学の体育理論の講義がはじめてだった。
体力を把握する
それ以降、みずからのスタミナはこのくらいとどうにか自覚しやすくなったのはたしか。これが部活で得たそれほど多くない学べたことのひとつ。その延長線上にいまがあり、やってはいけない運動をいまならばある程度把握できる。ひざが弱点であり、背筋力を必要とする力しごとはいずれもできない。
したがってそんなしごとがまわってきそうなときにはすかさず代理の方にお願いする。うっかり引き受けてしまうとべつのところで迷惑をかけてしまいかねないから。
おわりに
運動部で部活動をやってきたメリットはこれだったのかも。みずからの体力を過信しない、限界を知れたということかもしれない。それはいま整形外科関係の領域でなんとか病院通いしないで済んでいることにつながっていそう。
農業をやった7年前まででそれ以前にあった四十肩はみごとに改善した。体力を把握しつつようすをみながら運動をすることの意義とよさをむしろ感じられる活動だったと言えそう。
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