アルコールとは何だったのだろう ノンアルコール飲料の台頭で
(2024.9.9加筆)
はじめに
このあいだひさしぶりに酒の出る会合があった。わざわざ自分で買って飲むほどのものでないのでこんなときでないと目にして飲むまでに至らない。それほどたばことともにアルコールに接する機会が減る一方で、むしろ派生したノンアルコール飲料のほうに出会う場面が増えた。
そうはいってもヒトに会う用事はある。車で来ているとか、いまは飲むべきでないというときは代替品として口にする。
きょうはそんな話。
ひさしぶりに
ことしはどういうわけか会合にアルコールがついてまわる。それまでめったになかっただけにあきらかにふえた。数年間にわたる昨今の状況による。世のなかはもとへともどりつつ…と書きかけてみずからそうかなと首をひねる。
そう、アルコールの楽しみ方が変わった。もはやアルハラになりかねない以前にもどる必要はない。楽しく飲むこと(健康に留意しつつ)だけあればいい。
さらにくわえて
それからまだある。めったにアルコールを口にしないうえに、さらにその代替品がさまざま出ている。もはやもとのアルコール飲料を凌駕するほどでないだろうかというほど。それはノンアルコールの飲料。店にはコーナーが設けられ、あきらかにアルコールとは区別される。両者のラベルのデザインはよく似ていてぱっと見るかぎり判別がつかない。
よく目を凝らすと「ノンアルコール」などと表記がある。昨今のノンアルコール飲料は進化がすすんで、ビールを飲んでいるのかノンアルコールのものなのかわからないときがある。
ノンアルコールで
わたしはアルコールの代謝がいまいちよくない体質。飲み過ぎはあきらかにダメ。たしなむ程度でやめ、あとはノンアルコールのものですます。最近は世間ではチューハイやハイボールなどもさかんに飲まれるのでもはや氷水やウーロン茶を飲んでいても一見してわからない。
こうしてアルコールの入る会合では最初の乾杯以外はもはやノンアルコールを飲んでいる機会のほうが多い。
飲みたいヒトがそれぞれえらんで飲めるいい時代になりつつある。無理強いは時代にそぐわないというよりご法度。わたしはわかりあえるヒトビトが参加する会だけえらんで参加する。
せっかくの機会だから
ヒトとヒトが交流し合ううえで飲んだり食べたりできるのはいい。それに参加するしないの自由があればなおいい。アルコールを飲めないヒト、飲まないヒトも遠慮なくそう言える雰囲気がぜひ必要。
もはやそれ以外は昭和や平成に置いてきていいもの。
おわりに
アルコールにともなう悪弊をもはや過去のものにするのに異論はない。むかしはこうだったは遺物であり現在では通用しない。ノンアルコールの飲料はそういう意味においてもいい立ち位置にある商品かもしれない。
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