畑の作物を所望する方に出会いさまざま思ったこと
はじめに
昨年まで畑つくりで余剰物を生産者の販売所に出していた。4か所の販売所で取引していた。それとはべつに個人でやさいの会員制ネット販売。ところが彼の病の影響でおもわぬところで三密となる結果、やさいづくりそのものを中断中。
畑ではそれ以降、余分なものは作らないようにしている。できすぎて廃棄するのは最もしのびない。そのなかでひさびさ相談を持ちかけられた。
その作物とそれにまつわる話。(タイトル写真は、収穫間近のはだか麦)
やさいづくりの一端で
40アールばかりの畑を父から借りて7年。何とか昨年はじめまでは順調に野菜づくりをつづけ2年前に本業収入を上回り、これでいよいよ第二種兼業農家かと自覚してきた矢先の彼の病。
販売する店のバックヤードはふだんから人と物でごったがえしていて殺気立っている(ホントに初日はそう思った)。つまり「売れる」販売所にはさまざまな利害、人間模様が交錯し、一触即発の状況下にあるといえる(すくなくともわたしにはそう見える)。
そんなところに、マイペースでできるしごとにどっぷり浸かり、のんびりした風情とそのまんまの動きしかできないわたしが、煩雑な手つづきの果てにようやく闖入すると、もちろんその場にそぐわない。怒声がこだまする。どけっとふつうに言われる。じゃまじゃまと押しのけられる。そんな世界。
これが社会のそのまんまの姿であり縮図である。生存競争を地で行く世界にすぎない。ある種のショックを受けたが、それでもふんばり、なんとか自分のつくった野菜を売り場にならべてきた。
慣れてくると…
さすがにそんな場所でも何年か出入りするようになると、すでにその場の雰囲気やどう立ち居振る舞うべきか身についてくる。まわりが見えて店員の手助けしたり、トラブルになりそうなことの回避や地雷を踏まない術を身につけたりしてきた。
出入りするレストランの店主に仕入れの相談を受けたり、新方式の野菜のキャプションを立てましょうと提案し採用されたりなるべく積極的に動くようにしてきた。
そして、毎月そこそこ貯まりはじめた野菜の売上げを感慨深げにながめていた頃、彼の病が流行。
それでも1,2カ月はつづけて出入りしていたが、やはりいつここで…という感じが拭えない。いっそ中断するかとその場でひらめいて、4か所すべての販売所での野菜搬入の中断を決意。畑に残る作物は身近な方に差し上げて、自分たちが食べられるだけ食べ、残りはそのまま堆肥に。
使っていない畑で
一時期は年間で100種近くつくっていた。ほとんどが1年草だが年に3回つくれるものもあった。宿根する野菜や、ハーブ、果樹は残した。世話はほとんどしないかほったらかし。たまに訪れて間に生えた雑草をかたづけるか、気が向いたときにむしって食べるかぐらい。
したがってそれまでおつきあいしていた野菜関係の方との交流も途絶えがちになった。各種のイベントや交流事業などにもなるべく参加して、交流の輪によって人が人を呼んで知り合いが増えつつあったのだが。
そうした中、ほぼ1年ぶりに知り合いから連絡が。
レモングラスの引き取り先
レモングラスがないだろうかとの知人Aさんからの相談。
レモングラスはハーブの一種。見た目はススキと何ら変わらない。父が一時期ススキと思い込んでいて、全部処分しそうになったほど。切り口のレモン様のかおりを嗅いでもらってようやく納得してもらえた。
さて話をもとにもどそう。Aさんの話によると、お友達のBさんがスワッグづくりの講座に使いたいとのこと。スワッグとは花や葉を束ねて壁にかける飾り。Bさんは以前、仕事でご一緒した方で、ハーブや薬草に関する個人事業をなさっている。
スワッグという言葉を聞くまで何のことかわからなかった。じつは畑に植わっているレモングラスはAさんから株分けしていただいたもの。ほんの一握りの株を頂きわたしの畑で増やした。そして一時期はこの地域の大型の販売所で、週に20本を1束にして何十束か出すほどに。
3日前に、畑のレモングラスの写真を送りOKの返事。写真ではわからないが10mほどの畝。このなかから見てくれのマシなところを選別して束にした。
昨日の早朝に畑で収穫、昼過ぎにBさんに納品。畑の花の咲いたローズマリーをおまけとした。念のために3束つくっていったが、お見せするとぜんぶほしいとのことですべてお買い上げいただいた。
余りはリースにするそうだ。スワッグ同様にこのリースも花、草、つるなどでつくられた輪だ。クリスマスなど壁や戸に飾られているのを見かける。
おわりに
ひさしぶりの行動だった。5時に起き、畑へ移動して収穫、選別、包装、そして運搬、納入。
それぞれ鮮度を維持しながら状態を保ちながらお渡しするまでやはりコツがある。思い出しながらで時間がかかる。これを何年もほぼ毎日、朝から晩までつづけていたなんて。
いつもとちがう動きのためか筋肉痛になっている。ふだん動いていないことを痛感。