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かろうじてのこる果実の収穫とじぶんのからだのために山道にむかう


はじめに

 先日、体調のよくない理由はからだをうごかさないことにありと気づいた。

一方、病気で枯れてほとんど数本しかのこっていない山のとちゅうにある果実畑が気になり、山のとちゅうまであるきはじめた。

きょうはそんなはなし。

運動不足から

 昨今の状況でうごかない口実をつくってしまっていた。とにかくこの2年のあいだ家でじ~としていた。そのうちからだにコケやなにかがはえてこないかというぐらい。

やすみの日にはダイニングテーブルの定位置のいすにすわっているのがほとんど。それに気づかないままでいた。

それが習慣になってしまうとかなしいものでなかなか気づけない。これじゃいけないよとからだのほうが悲鳴をあげたのだと思う。めまいや動悸がするのもそうらしい。腹のぐあいもよくなく、何十年と毎朝かわらかなかったはずの習慣すらあやしい。肩もこるし、からだもかたくなってしまった。

よりよくない状況にならないうちにと、すこしずつうごきはじめた。

費用がかからない

 あるくのならなにも準備せずともおこなえる。ここには山も海もある。きょうはどっちにしようとえらべる。ただし夏とちがってこの季節にはつめたい北風のふきがちな海のほうへはほとんど行かない。海からの風をさえぎってくれる木々の繁茂する林のある山のほうへむかう。

家々がとぎれるかわりにだんだんと風がおだやかになり、わが家の果樹の植わっているあたりまでくるともうしずかなもの。海風はどこにいったのやら。むしろ陽だまりとなり草のみどりもそこそこのこる。

ここまでくるのにじぶんの足だけ。たまに左ひざがいたむが、なんともないときには問題なくのぼってこれる。このところやすみの日には昼すぎにむかう。やはりいつもどおりの陽のなかの場所。ここだけほかとちがうかのよう。

のこったかんきつ

 いつもここまできたついでに肩かけバックにまんまるのネーブルの実を収穫。これからハッサク、アマナツミカン、ボンタンのなかまのベニマドカ。病気でつぎつぎと枯れてしまい、列記したものだけのこった。

ちいさなハッサクたち

もともとすっぱいものをこのむので、こうした酸味のあるものが残ってすこしほっとしている。なかでもベニマドカ(紅まどか)はボンタンのそこそこあたらしい品種。まだそんなによのなかに出ていない。ぼんたんよりもすっぱくなくあまみとのバランスがいい。

販売所に出していた頃がある。「めずらしいので木になっているだけください。」と言われ、すべて売れた年があった。いまは出していないのでもっぱら自家消費。とても大きな実がなる。

あざやかなニラの葉

 きのうもこのかんきつ畑へさんぽにきた。するとひだまりにニラの葉がすらりとのびてみどりがあざやか。これはもったいない。はさみでさくっと根元のすこしうえで収穫。ふたたばだけもちかえりさっといためてだしとたまごでとじた。また春にのびるだろう。

まさかこんなさむさのなかでこれだけとれるなんて。それだけに滋養豊富なよう。じっさいみずみずしくかおりもよくおいしかった。

おわりに

 すでにやまにはつわぶきも新芽をだしはじめている。ことしは山菜がすこしはやいようだ。

さんぽするとからだにはプラスだし、なによりもこうしたおいしいものを山からいただける。もじどおり一石二鳥。


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