なぜあのとき僕は君の手を離してしまったんだろう…
「トラウマ」って自分だけで内に抱えていても悪くなるばかりで、治らない気がします。
時を経てそんな「トラウマ」を吐き出す気になったので今回は書きます。
まずは、「イエス」という曲を聴いてください。
育児に悩まれている人たちへ
「子育て」って大変ですよね。
小さい頃は2時間おきに起こされるし、夜泣きするし、寝かしつけようとしたら選挙カーのせいで直前にすべての努力が無駄になったり…。
待機児童期間を経てやっと保育園に入ったと思ったら、病気はもらってくるわ、夜中に呼吸困難で救急車呼んで喘息になって入院したり、行事で走らされたり、パパママコミュニティに突き合わされてプライベートな時間はすべて奪われたり…。
でも「子どもを持つ」とか「親になる」っていうのは、そういうことじゃないんですかね。
わたしはこんなに手がかかる期間って、人生でたかが5年そこら(小学校入るくらいまで)くらいだから、かえって貴重な期間だな…って思っていました。
そんな苦しくも貴重な時間は長続きしないことが分かっていたので、この小さい手をつないで歩ける時間って限られているんだなと…。
わたしは子ども(息子)を年長さんになってから以降も毎日ハグするくらい溺愛していました。
( 子どもは嫌がっていましたけどねw )
特に小さいときの子どもっていい匂いがするので、ハグすると「オキシトシン」という幸せホルモンが出て気持ちいいんですよね。
抱っこで腰も腕も痛くなるし、自分の時間がとられてしまう…ってマイナスにとられがちですが、いい運動にもなるし、そんな貴重な経験なかなかできないから、この毎日を大事にしようってプラスにとらえるといいと思います。
子どもは親から離れていくもの
だって、5年そこら過ぎたらもう手もつないでくれなくなるし、どんどん親から友だちに離れ、彼氏彼女に離れ、夫や妻にどんどん離れていくわけですよ。
わたしみたいに子どもの面倒に忙殺されて、大人になったら1年に1回も実家に帰らない子ども普通にいるわけですよ。
子どもと親の関係って何十年も続くわけですが、たかが5年そこらの貴重な期間をイヤイヤ期に堪えながら、いやいや過ごしていたらもったいなくないですか?
という持論でした。
手をつなぐことの大切さ
子どもは動けるようになると疲れて寝るまでとことん動くし、歩けるようになると歩く、走れるようになるととにかく走り出します。
幼少期の子どもと手をつなぐのは、「愛情」とか、そういうことだけではなくて、「事故防止」の観点で非常に重要だと感じています。
特に子どもは頭の比重が高いので、よくつまずきますし、転びます。
わたしの「トラウマ」となっている大きな後悔も、手をつないでさえいれば防げた事故です。
ある年の7月のことでした。
家族でプールに行った帰りに、まだ3歳くらいだった息子とその母親(元妻)が公衆トイレに寄っていたときのことです。
母親よりも先に息子が1人で全速力で飛び出してきました。
が、その瞬間、息子はクロックスだったこともあり、思い切りつまずきました。
息子の目の前にはコンクリートの鋭いコーナー(カド)がありました。
何が起きたかは書きませんが、わたしのとっては溺愛している息子が大きな怪我をした地獄絵図でした。
( その後も手術はしましたが、何年か経っても、傷は額に残り続けています )
トイレに入ってこようとした別の親子の母親が「見ちゃダメ!」と娘の目を覆うくらいの凄惨な事態が起きました。
( 親って、こういうトラウマになりそうな光景が起きた瞬間、子どもの目をきちんと隠すんですね… )
このときは、わたしではなく、母親(元妻)が手をつながず、目を離してしまったのが原因でした。。。
なぜあのとき僕は君の手を離してしまったんだろう…
おそらくこの時期くらいの春だった気がします(が、トラウマであの瞬間以外あまり覚えていないので秋だったかもしれません…)。
保育園児だった息子を連れ、何かしらのイベントで小学校からの帰り道でした。
小学生にもならない幼児を連れて道路脇を歩くときは、必ず手をつなぐようにしています。
手を離すと、幼少期の子どもはふつう前だけを見て走り出します。
道路を渡ってすぐが当時の自宅でした。
大きな「トラウマ」となる事件は、信号のある横断歩道で起きました。
なぜかその日は保育園児の息子と手をつなぐことを忘れていました。
息子は道路脇の歩道を突然走り出し、いつも渡っている横断歩道へ全速力で向かいました。
危ないから止めよう…と、走って息子の手をつなぎにいきます。
車道の信号は青です。
横断歩道は赤です。
また幼い息子は信号の意味とか、よく分からないはずです。
息子は横断歩道を渡ろうとしています。
そのときでした。
歩道を歩く私の右にある車道を、若い男が運転する車が猛スピードで横断歩道へ向けて走っていきます。
どんなにわたしが全力で息子と手をつなぎに走ろうが、物理的に息子が横断歩道に出る前に手をつないで止めることは絶対に無理でした。
そこからは目に映る映像がスローモーションのコマ送りになります。
自動車は青信号、かつ、猛スピードのためブレーキすら間に合わず、びっくりしたようにハンドルを切って避けようとします。
「あっ…!!」
…
人を愛するということ
( もしも神さまがいるのなら、命と引き換えでも、もう二度と息子と会えなくてもかまいません、、、どうか、時を戻してください )
本気でそう願いました。
どんなに手がかかっても、どんなにバカでも、毎日何回もハグするほど溺愛する息子はこの世でこの息子しかいません。
親子でなくとも、夫婦でも、パートナーでも、親友でもそうですが、「自分の命と引き換えても救いたい…」と本気で思えるくらいの「愛情」は、表面だけでない本当の「愛情」なのだと思います。
もう会えない人
そんな息子と会えなくなってから、もう3年近く経ちます。
いきなり別れてしまってからの数ヶ月は、枕が涙でびちょびちょになることもありましたし、車で外を運転中に下校中の子どもや、公園で親子を見ると悲しくなるので、居ない時間帯を除き外にも出たくありませんでした。
なるべく写真も見ないようにし、思い出さないようにし、3年近くも経ってようやく「トラウマ」が薄れてきましたが、性格的(HSS型HSP)な「トラウマ」が光景はいつまで経ってもフラッシュバックします。
人間って楽しい光景はすぐ忘れるのに、どうしてつらい光景ばかり思い出すのでしょう。。。(性格?)
…
ちなみに、息子はなぜかその日は横断歩道の端のほうでピタリと止まり、奇跡的に一命を取り留めました。
絶対にスピード違反の猛スピードの車を運転していた若者が、何十メートルか先に車を停め「てめぇ、あぶねえだろ!ふざけんなよ!!!」とわたしに怒鳴り散らしていましたが、わたしは完全に放心状態で「あ…すみません…」と(わたしのガタイもよかったこともあり)、ふてくされたように車に帰っていきます。
( スピードも出ていて、ぶつかったら確実に横断歩道上でふっとばされて、ひどい状態で死んでいたから、逆に殺人犯にならなくてよかったね… )
会えないのは息子が死んでしまったのではなく、モラハラ妻との離婚問題によるものです。
「もう二度と息子と会えなくてもかまいません」と、神さまに願ったのは自分だし、どこかで生きてるだけで、まぁ…いいよね。
思い出すとつらいから、なるべく何もかも思い出さないようにしているけど…。
おしまい