ダラダラできる、という才能は、評価されない
■努力は必要だが万能ではない
チャンスが平等にあっても、誰もが
平等に成果を出せるわけではない
成果が一様ではないのは、
努力が足りないのではなく
努力できる才能の差があるから
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ダラダラできるという才能は、評価されない
男女差別、人種差別、格差問題など、努力では、どうにもできない壁を社会は、取り除くようになりました。
これは、誰もが等しく平等に権利を持つことが大事だとされるからです。
しかし、見方を変えれば努力で解決できそうなことは、個人の責任になるという危うさがあります。
まず、私たちが目を向けなければいけないことは、社会の中で必要とされる能力は、偏っているという事実です。
例えば、勉強ができることは一般的に評価されます。しかしその勉強の対象は、「学歴社会における」という条件がつきます。
仮に同じ度合いだけ、世界史に興味を持つ子と、アニメに興味を持つ子がいた場合、評価されやすいのは、前者です。
これは、不公平なことです。たまたまその子が興味を持ったのがアニメだったのか?世界史だったのか?それだけの違いが社会的評価の違いに影響するからです。
社会がカバーするのは、目に見える格差だけで、個人は人それぞれ異なっているということはあまり問題にしません。
これは、優秀な人、劣っている人が存在するということではありません。
正しくは、現代における評価されやすいカテゴリーには偏りがあるということです。
時代を1万年遡れば、勉強ができるよりも、筋力がある人間の方がより多くの獲物を取れました。しかし現代では体力だけあるよりも、IT知識に詳しい方が、多くの富に近づきます。
こうした偏りがある世界を認識した上で物事を考えなければ、「チャンスを平等にあるのに結果がでないのは本人の努力が足りないせいだ」、と格差の問題はすべて個人にしわ寄せがいきます。
太っているのは、個人の努力が足りないからでしょうか?
全く同じ1日を過ごし、同じ量の食べ物を摂取する刑務所の中でも
不思議なことに太る人もいれば痩せる人もいるそうです。
私たちがオリンピック選手になれないのは、努力が足りないからでしょうか?
第一線で活躍するアスリートと同じ練習メニューをこなせば、誰もがプロになれるのでしょうか?
人間は、一人ひとり異なる存在であり、努力だけでその違いを埋め合わせることはできません。
何かしらの成功をおさめた人は、必ず努力していますが、努力さえすれば、等しく全員が同じ結果を出せるという論理には無理があります。
これは、ある種の見えない差別とも言えるのです。
努力できる人こそ、努力ができない人に対して、
ほんの少しだけ上記のような視点でやさしくなる努力が必要なのかもしれません。
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