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【批評の座標 第20回】実感としての「過去」――江藤淳論(松本航佑)

代表作『成熟と喪失』によって現在の批評シーンにおいても存在感のある文芸評論家・江藤淳は、「過去」と「私」をどのように考えていたのか。日本浪曼派を批判した保守派のリアリストとしても知られる江藤の思想を紐解くのは、山田孝雄、蓮田善明など近代の国学を研究している松本航佑さんです。

批評の座標
――批評の地勢図を引き直す

実感としての「過去」

――江藤淳論

松本航佑

1.「過去」と「現在」の距離

 「私」を考えるとき、我々はどのように考えるであろうか。それはおそらく、「私」はこのような性格で、何を好み、あるいは嫌い、どのような仕事をしていて……、といったように、自身にまつわる事柄を中心にして考えるであろう。だが、「私」はそのようなものだけで本当に説明することが可能なのか。自分の属性や経歴のみで本当に「私」は語りつくせるのだろうか。
 おそらくそんなことは不可能だ。「私」を説明するときに用いる言葉、それこそ一人称である「私」ですら、積み重ねられてきた日本語の歴史から切り離せはしない。日本語をもって思惟し、日本語をもって他者と関わり続ける限り、その歴史的な制約から逃れることなど、まず不可能だと断言してよい。
 そういった至極当たり前で、それでいて忘れがちなこの事実について、江藤淳(1932-1999/昭和七~平成十一年)という批評家は自覚的であり続けたといえる。
 江藤淳という名は筆名であり、本名は江頭淳夫という。少年期に「解放感と喪失感を同時に感じる」[1]第二次世界大戦における日本の敗戦を経験し、昭和三十一年には挑戦的な夏目漱石論をひっさげて文壇に登場した。
 文学論では『作家は行動する』、『小林秀雄』等多数あり、なかでも『成熟と喪失』については、現在もなお言及されることの多い一冊である。
 また、保守系知識人としても記憶されており、なかでもGHQ占領期に形成された「禁忌」の影響を紐解いた『一九四六年憲法――その拘束』や『閉ざされた言語空間』などの著作で知られている。
 更に彼はエッセイも多数執筆しているが、そこには「〇〇と私」という題を頻繁に用いている。「〇〇」には今思い出すだけでも「漱石」「アメリカ」「戦後」「文学」「妻」「犬」等々……、江藤は「私」との関係から、対象を描き出す人だったのであろう。
 そんな江藤は、批評において「過去」と「私」の間に横たわる緊張感を強く意識していた。そのことは昭和三十一年のデビュー作『夏目漱石』の次の文で即座に理解できよう。

 夏目漱石の死後、すでに四十年の歳月が流れている。忘れ去られるには充分な時間であるが、作家の名声はいよいよ高い。しかし、これを漱石が現代に生きている証拠だと思ったら大間違いで、彼の名声にはコットウ品特有の事大主義や回顧的な匂いがつきまとっている。彼を賛美しようとする声は、すべて彼を過去へ押しやろうとする声にすぎない。[中略]ここで、過去は決して完了したものではなく、完了していない故に価値がある、といった教訓を思い出さねばならない。漱石は何一つ完成したわけではないので、彼の偉大さは、彼がなしかけた仕事を我々に向って投げてよこそうとしているその姿勢にある。それを受けとめる以外に、漱石を現代に生かすことは出来ない。ぼくらはその姿勢を支えているものを探ろうとするのである。

『決定版 夏目漱石』(新潮社、昭和五十四年、十二~三頁)

 生前の漱石を知る門弟たちの賛美により、漱石が「神話」化され、「過去」へと押しやられていく流れに江藤は抵抗する。弟子たちが語る「漱石先生」は、江藤から見れば夏目漱石という個人の実像を忘却させ、「コットウ品」として珍重し、賞玩するようなものでしかないと江藤はいう。漱石の価値はそのようなところにはないと彼は断言する。江藤にとって漱石とは、今なお絶えず問いかけてくる「過去」であり、「現在」に生きている課題なのである。
 「過去」は静的なものではない。完了しない動的なものであると江藤はいう。それが放つ問いかけを、「我々」の立場から聞こうとする姿勢から彼の批評は出発しているのだといえよう。ただしそれは、「過去」を徒らに「現在」へと引きつけ、好き放題に処断するといった類いの批評ではない。後述するように「過去」があたかも現前しているかのように語る「神話的」な表現を彼は嫌った。さらに言えば澁澤龍彦のように、「私」を超えて静的な遺物、江藤の言葉で言えば「コットウ品」である「オブジェ」と一体化することでもない(七草氏の論考を参照)。漱石をはじめ、「過去」が放つ問いと、思惟する「私」という起点とのあわいに立ち上がってくるもの。これが江藤にとっての批評なのである。
 その姿勢は、彼の高浜虚子への評価に端的に現れていよう。「リアリズムの源流」で、正岡子規と高浜虚子の「写生」論を対比させ、次のように述べる。

この応酬は、いわばふたりのリアリズム観の本質に触れた応酬にほかならない。「殺風景」かもしれないが、「写生」は必然的に「空想」、すなわち対象にまつわるアルージョンやアソシエーションを「排斥」しなければならぬとした子規は、期せずして逍遙にかなり近いところに立っていた。その理論の背景にあるのは科学であり、この場合「写生」の客観性という概念は、無限に自然科学の客観性に近づく。極言すれば、子規の意識の中では、「夕顔の花」は「夕顔の花」という言葉ではなくて、「其花の形状等目前に見る」印象の集合でありさえすればよい。ここでは言葉は言葉としての自律性を剥奪されて、無限に一種透明な記号に近づくことになるからである。
 これに対して、虚子にとっては「夕顔の花」はいくら「写生」的、あるいは客観的に用いようとしても、言葉という一点から離れられぬものである。それは対象を指示はするが、決して透明な記号にはなり切れない。換言すれば、この「夕顔の花」という言葉は、子規が主張するように全く自分の自由になり、自分の感受性だけに支配される透明でニュートラルな無性格なものではあり得ない。したがって、もし俳句における「写生」が言葉によって成立するものなら、それは厳密には「古人の知らぬ新たらしい趣味」などというものではあり得ず、どこかに「歴史的連想」の附着したものでしかないはずである。

「リアリズムの源流」(『リアリズムの源流』河出書房新社、平成元年、二九頁)



[1]江藤淳「年譜」『江藤淳著作集6』、講談社、昭和四十八年、三百二十九頁。


本連載は現在書籍化を企画しており、今年11月に刊行予定です。
ぜひ続きは書籍でお楽しみください。


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執筆者プロフィール

松本航佑(まつもと・こうすけ)平成八年生まれ、長崎県出身。皇學館大学大学院文学研究科神道学専攻博士後期課程所属。近代における古事記研究史を専攻しており、山田孝雄、蓮田善明を中心に国学的な古事記論を対象としている。

*バナーデザイン 太田陽博(GACCOH)

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