【対談】記憶の残し方、過去の語り方――大澤聡×水出幸輝「当事者性を括弧にくくる」〈第2回〉
2019年に人文書院から発売された『〈災後〉の記憶史――メディアにみる関東大震災・伊勢湾台風』をめぐって、批評家で、メディア史研究者でもある大澤聡さんとの対談が実現。歴史と記憶について、たっぷり語っていただきました。第1回はコチラ。
収録日:2019年12月13日
2 当事者性を括弧にくくる
大澤 この本は『朝日新聞』をひとつの軸に設定して、東京版と大阪版の比較考証によって地域差を描こうとします。もちろん、それ以外の資料群にも目配りしているけれど、それでほんとうに関西/関東の認識の差異を実証したことになるのかという指摘は当然あるでしょう。もちろん分析に限界はつきもので、何かに代表させるしかないわけですけども。
水出 すべてを見渡すことは不可能ですからね。
大澤 新聞メディアはたしかに、かつて人びとの日常と密接したメディアだったし、人びとの社会認識にもっとも影響を与えたメディアだったといっていい。ただ、だからといって人びとの記憶に直結させて考えられるのかという問題は残ります。たとえば、昔は無署名でしたが、記者の主体性のキャンセルを前提に分析が進むことに違和感を示す人はいるでしょう。
水出 そうですね。そこは掘り下げませんでした。
大澤 災害を論じた記事の配置がどうなっていたかという細部にまでこだわって丁寧に分析するわけですが、新聞の現場をよく知る人間からすれば、「記事の位置なんてたまたま」といわれかねない。新聞は毎日締め切りがあって、記事にすべき出来事も大量に押し寄せるから、レイアウトに一定の法則や暗黙のメッセージがあるとはいえ、最終的にはその場の偶然でしかないのかもしれない。その場合、ただの深読みと指摘されることになる。あるいは反対に、汲み取られなかった記者たちの想いを重視する人もいる。
水出 ぼくが向き合った紙面の背後にも、様々なプロセスがあって、そこの評価が抜け落ちているという話ですね。
大澤 ずいぶん前に、「「とるに足らないもの」たちの遠近法」というタイトルの書評エッセイにも書いたことですが(星海社ウェブサイト「ジセダイ」)、研究対象の現場を知っている人ほど、「そんなたいしたものではないから」と対象を卑下するという逆転現象はよく起こります。
水出 難しい問題ですね。でも、「たいしたものではない」とされてきたことが、社会のなかで大きな意味をもってしまうケースの格好のサンプルだと思っています。別の表現をすれば、いかに新聞というメディアが力をもっていたかということ。
大澤 効果に目を転じるわけですね。
水出 いまでこそ、斜陽産業のイメージがありますけど、少なくとも関東大震災の記憶がナショナルなレベルで創りあげられていくまでの時代、新聞社は相当な力を誇っていました。だから、「たいしたものではない」ことの繰り返しが社会の既成事実を用意していく。結果として、新聞制作者の何気ない行為の反復は社会にとって重要な意味をもちえた。
大澤 それが組織体による営みであることに意味があった。
水出 そうです。社会で記憶を残していくときに、新聞社のような巨大組織が不可欠なのだということを本書では指摘してもいます。
大澤 現場へのエールにもなっている、と。
水出 記憶を残す個別的な営みは無数に存在するわけですが、長期的なスパンで見るとほとんどが消えます。つまり、個人や少数の組織だけではなく、巨大組織に委託しないことには継続的かつ広範囲に記憶の想起を促す営みは成立しません。
大澤 周年報道は本人たちも無自覚に惰性で前へならえでやっている側面もなくはないけれど、それを継続している組織体の意義はまた別に評価しなければならないでしょうね。たとえば、『毎日新聞』が1947年から続けている「読書世論調査」のデータが存在するおかげで、戦後日本の読書にまつわる経年的な研究が可能になる。もちろん、細かくいえば調査方法の粗はいくらでもあるけど、継続してきた時間はほかに代えられません。いまから同じことをやろうとしても追いつけないわけだから。
水出 形だけだとか、被災者に寄り添っていないとかいったぐあいに、カレンダージャーナリズムは批判されがちですが、それも批判の対象となるだけの蓄積を積んできた証拠ですよね。積み重ねそのものにも意義があるのだというところまで議論を差し戻したかった。形骸化批判に終始するのは健全ではない。
大澤 新聞の編集やレイアウトに関する研究はあるにはあるんですが、体系的な言語化が難しい問題です。
水出 言語化されていない資料の調査をするよう助言されたこともあります。
大澤 当時を知る新聞記者に話を聞きに行け、というわけでしょう。それはまた別の当事者性の問題になりますね。小熊英二さんの『1968』(2009年)が受けた批判と同じ論理。資料だけで再構成しているけど、なんで当事者に聞き取りしないんだといわれてしまう。
水出 記事化の過程で記者が何を考えていたかという問題はたしかに重要です。そこから浮かび上がる論点もある。けれど、世に出た紙面こそが社会の最大公約数を表し、スタンダードを構成します。そこには一定の代表性がある。このとき、こぼれ落ちたものは当然少なくないわけですが、それらはある意味でスタンダードになり損ねた。こぼれ落ちた声も大切な資料ですが、それらを扱う研究は次の段階だと思います。ぼくの作業はこぼれ落ちた事例を相対化するためのベースづくりです。
大澤 特殊を指摘するには、まず基準をつくらないといけなかったわけですね。
水出 被災体験者や災害そのものと距離をとるだけではなく、記者や科学者の想いともある程度の距離をとって、あくまで紙面から読み解ける範囲に議論を集中させる。これもメディア研究のスタイルですよね。
大澤 当事者の体験はオーラルヒストリーとして残す意義はもちろんあるだろうけど、それが出来事を正確に残すものかといえばそんなことはなくて、特定の角度から断片的に見えた光景にすぎないし、ときにはその聞き取りが研究主体のバイアスになりもする。
水出 逆からいえば、個々人の体験を鮮やかにする一冊にもなりうると思うんですよ。個々の語りを位置付けるための一冊。
大澤 地図をつくったわけですからね。
水出 ただ、『中日新聞』という組織体の当事者性は強く強調される構成となりました。これは名古屋出身ということが滲み出ています(笑)。
大澤 小学校で受けた防災教育が決定的だったと「あとがき」に書かれていますね。関東大震災の記憶が再構築された背景には「防災の日」があり、しかしその「防災の日」は伊勢湾台風をきっかけにしたものである。つまり、台風の記憶が地震に乗っ取られたかたちになる。このプロセスが本書のなかで正確に追跡されていて新機軸なんだけれど、その根底にはどこか恨み節のようなものが叙述の裏に貼りついている。
水出 恨み(笑)。
大澤 恨みはいいすぎかもしれないけど、「この本を書くためには、「名古屋人」であることが重要だったのである」とまで書いてしまうわけでしょう。おもしろいですね、当事者語りから徹底して距離をとる、そのモチベーションは水出さんの当事者性に一貫して支えられている。
水出 東京出身の研究者の方から「ここまで突き放して関東大震災を論じることは私にはできない」とコメントをもらったことがあります。その一方で、学会で「伊勢湾台風なんて名古屋地方の災害なんだから忘れられるのは当然」といわれたこともある。
大澤 やっぱり恨みが……(笑)。
水出 東京中心の災害史観を相対化したかったんです。
大澤 研究者の出身地や居住地の問題は意外と見過ごされがちですね。
水出 災害をめぐる記憶認識の変化や、災害がローカルに残されることの意義は、「地方の災害は忘れられて当然で、東京の災害はナショナルな記憶」と単純に捉える人たちの想像力では浮上してこないと思う。もっとも伊勢湾台風がナショナルな記憶になればよかったとは必ずしも思わないですけど。
大澤 それでいながら、「あとがき」では大学院進学にあたって「東京から大阪へ移ったのは、若干「都落ち」の感がある」と書いていますね(笑)。もちろん、よい出会いに恵まれたから後悔はしていないと続くんですが、ここはただの書き滑りで片づけられない。関東/関西の地域差を強烈に意識した本書の動機の基盤にはそうした個人的な条件がかかわっているだろうし、しかも水出さん本人はそのどちらでもない名古屋圏の出身ですから。
〈つづく〉
※本連載は全5回、6月15日(月)より毎日掲載しています。
- - - - - - - - - -
略歴
水出幸輝(みずいで・こうき)1990年、名古屋市生まれ。関西大学大学院社会学研究科博士課程後期課程修了。現在、日本学術振興会特別研究員。専門は社会学、メディア史。共著に『1990年代論』(大澤聡編、河出書房新社)、『一九六四年東京オリンピックは何を生んだのか』(石坂友司、松林秀樹編、青弓社)。
大澤聡(おおさわ・さとし)1978年生まれ。 東京大学大学院総合文化研究科博士課程修了。 現在、近畿大学文芸学部准教授。専門はメディア史。著書に『批評メディア論――戦前期日本の論壇と文壇』(岩波書店)、『教養主義のリハビリテーション』(筑摩書房)、編著に『1990年代論』(河出書房新社)など。