【批評の座標 第2回】青春と悪罵――吉本隆明入門(小峰ひずみ)
青春と悪罵――吉本隆明入門
小峰ひずみ
ある世代の青春そのものであった人間がいる[1]。吉本隆明(1924-2012)だ。ある詩人は吉本を論じるにあたって、次のように述べている。
「吉本、すなわち私たちの世代の青春」
吉本に凝縮された青春とは、誰の青春なのか。戦中派だ。戦中派? いつの人? と思われる方も多いだろう。ちょうどいいアニメ映画がある。大ヒットアニメ映画・『この世界の片隅に』だ。この映画の主人公・すずさんこそ、戦中派を生きた人間だ。設定的には、ちょうど吉本隆明と一歳差である。彼/女たちは「闘って死ぬこと」を若くして覚悟した。そんな世代だ。
彼/女らの青春は、日本が軍国主義に傾斜していく過程と並行している。少し長くなるが『この世界の片隅に』に沿って説明しよう。
この映画は、すずさんが軍事国家・日本の中で育ち、嫁に行き、家族と葛藤しつつ成長していく話である。最初は雑草の調理法や嫁ぎ先の家族との葛藤やご近所づきあいなどがポップに描かれていく。しかし、本土空襲が始まると、物語は一気に暗くなる。爆撃に巻き込まれて、すずさんは片腕を失う。それだけではない。一緒に連れていた姪を失ってしまうのだ。家が沈鬱へと呑み込まれる中、隣街の広島に原爆が投下される。そのような苦難を経て、それを跳ね返すように、すずさんは上空を飛ぶ米国爆撃機B29を「こんな暴力に屈するものか」とにらみつける。
ここが転機だ。いままですずさんは周りに言われる通りに生きてきたのだが、積極的に自らを米軍への抵抗主体として作り上げていく。米軍機が撒いたビラを便所のチリ紙(トイレットペーパー)にして節約する。これは違法だった。年長の夫からは「見つかったら憲兵さんに叱られるで」と指摘されるが、「なんでも使って生きていくのが、私たちの闘いですけぇ」と悪びれない。最後まで闘うつもりなのだ。たとえひとりになっても。
しかし、日本は本土決戦の前に降伏する。すずさんは戦って死ぬ前に玉音放送を聞くことになる。すずさんは「なんで?!」と激怒する。隣人が冷静に、原爆の投下やソ連の参戦を指摘し、「これは敵わんわ」と述べるが、すずさんは家を飛び出し大泣きする。「そんなのは覚悟の上じゃなかったんかね?!」と。
文学青年だった吉本もまた、すずさんと同じく闘って死ぬつもりだった。多くの友人が戦死者となった。自分もまた日本が降伏してもパルチザンとして死ぬまで闘うつもりだった。みなそうすると思っていた。しかし、吉本隆明は復員兵が食料などを抱えてぞくぞくと帰ってくる姿を見て深く失望する。死ぬこと。「そんなのは覚悟の上」でこの戦争を耐えてきた。にもかかわらず、こいつらは……。
いままでの言葉は何だったのか! しかも、いままでファシズムを推し進めてきた連中が、今度は「民主主義万歳」と叫びまわっている。ふざけるな! これが吉本の原体験だ。言葉を信用しない。自由民主党も日本社会党も日本共産党も「民主」「進歩」などと語っているが、どれも信用ならない。コロコロと言葉を変えていく。その姿勢が気に入らないのだ。
敗戦から十五年後、吉本の怒りと無念が後続の学生たちと同期する瞬間がくる。一九六〇年の安保闘争だ。ここで吉本は、日本共産党や社会党の路線を批判し、より急進的な路線をとった学生団体・全学連に同伴する。既存の革新政党が国会前で整然としたデモを行う中、齢三六歳の吉本、学生たちとともに、国会の敷地にまで突入してしまう。それを共産党や社会党はハネアガリだとして猛批判するのだが、それに対して吉本隆明は猛烈な文体による反批判を展開するのだ。その記念碑的文書「擬制の終焉」の冒頭はこう始まっている。
これを読んだとき、多くの学生が「そうだ!」と叫んだだろう。吉本が嫌ったのは、語感が仰々しいだけで中身の全くない「死語」や「空語」である。「わたしたちはいま、たくさんの思想的な死語にかこまれて生きている」(「自立の思想的拠点」)。この「死語」から脱け出し、大衆の感覚に根差した言葉をつくりだし、闘いを指導できるような思想を再生すること。これが吉本の思想的課題だった。そのために、吉本は、大衆の原像を自らの思想の中に繰り入れろ、と左翼知識人たちに言明する。この繰り入れができない限り、私たちのスローガンは、私たちの思想は大衆には届かない。そう吉本は考えた。
[1] 谷川雁、『工作者宣言』、現代思潮社、一一一頁
[2] 吉本隆明、『擬制の終焉』、現代思潮社、一三頁
本連載は現在書籍化を企画しており、今年11月に刊行予定です。
ぜひ続きは書籍でお楽しみください。
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執筆者プロフィール
小峰ひずみ(こみね・ひずみ)1993年、大阪府生まれ。教師、大阪労働学校アソシエ事務員を経て、介護士として働きつつ執筆活動を継続し、現在、執筆業に専念。哲学カフェのファシリテーターを務め、シェアハウスの運営、デモの主催などにも携わる。「平成転向論 鷲田清一をめぐって」で2021年第65回群像新人評論賞優秀作受賞、『平成転向論 SEALDs 鷲田清一 谷川雁』(講談社)として書籍化。最新論考は「大阪(弁)の反逆 お笑いとポピュリズム」(『群像』2023年3月号)。
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