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【対談】記憶の残し方、過去の語り方――大澤聡×水出幸輝「フィクションと科学」〈最終回〉

 2019年に人文書院から発売された『〈災後〉の記憶史――メディアにみる関東大震災・伊勢湾台風』をめぐって、批評家で、メディア史研究者でもある大澤聡さんとの対談が実現。歴史と記憶について、たっぷり語っていただきました。

〈 第1回 / 第2回 / 第3回 / 第4回 〉

収録日:2019年12月13日

5 歴史を記述する文体

大澤 そのこともあって、全体的に禁欲的な筆致ですよね。なかなか断言しない。「××と考えられる」「××だろう」「××はずだ」といった推測表現が続きます。断定できるところまで詰めていかないといけないんじゃないか……という批判もありそうですが、そこはどうですか。

水出 実際にそういう指摘を受けたこともあります。ですが、その手の批判は正しくないと思っています。紙面に登場する言葉の次元では断定もできるけど、紙面で確認できる言葉と実社会がどれだけ対応しているかは断定できません。どんな歴史研究にも同じ問題はついて回りますよね。「ナショナルな記憶」と書いたことに対して、「ほんとうに日本国民全員がそうだといえるのか」といった質問がありますが、これには答えられない。まず議論の水準がまったくちがいますから。ある認識の社会的な位置づけを構築主義的に考えた場合、それが、すべての個々人の認識と完全に一致することはありえません。でも、こういう質問は現実によくある。断定表現にしたらもっとツッコミが入れられたと思います。ですから、このようにしか読めないとしつこいほど資料を提示して、必然的な類推表現に持っていくことしかできない。

大澤 いま私は三木清や周辺人物についての評伝スタイルの批評連載を準備していますが(「国家と批評」『群像』2020年2月開始)、それと似た問題に直面します。書き手がその人物を直接的には知らない場合、つまり当事者や関係者でない場合、対象人物が書き残した公私両方の文章や、周辺にいた人間の証言や回想を可能なかぎり集めてきて、突き合わせつつ、どうにか客観性を担保しようとするわけですね。それでも、最終的にはその人物がどう行動したり考えたりしていたかなんてわからない。たとえメモや日記を残していたとしてもです。真偽の審級が無限に後退していく。

水出 集合的記憶の場合は対象人物も多くなるぶん、よけいにギャップは問題になりますね。

大澤 論文なのか批評なのか評伝なのか、文章のジャンルに規定される部分がありますが、あれこれを振り切って最後は断定していくことが求められる局面もあると思うんですよ。「××といっている。したがって△△と考えられる。けれども、〇〇のように解釈することもできる」のように一つ一つエクスキューズしてまわりながら進む誠実さもあるのだろうけど、読物としては端的におもしろくなくなってしまう。

水出 言い訳をひたすら読まされるみたい(笑)。

大澤 もちろん、学問とはそのエクスキューズにこそ存在理由があるようなものだし、それ自体を芸にする人もいますね。ようは厳密性と可読性のバランスをどう考えるか。割り切った評伝だと当時の会話の細部を小説仕立てに創作してしまう。私はそこでしらけてしまうからまず自分ではやらないのだけど、鍵括弧にくくって会話を展開する。水出さんはそこで厳密性を優先してるなぁと感じる。学問的に誠実であろうとしている。

水出 仮に当事者に話を聞くとしても、ぼくの研究においては自分の議論の裏づけにしか使えません。「記憶は再構築されるもの」というアルヴァックスが提示した集合的記憶論の立場を貫くのであれば、個人レベルでの記憶の改竄もありうるわけですから。当事者の語りも絶対的なものとして断定できない。

大澤 記憶の物語化の問題ですね。それで、当事者の事後の回想よりも、同時代の報道ディスクールの方を優先するわけですね。

水出 もう一点付け加えると、この研究は記憶をどう位置づけて語るかという問題と同時に、各時代にマスメディアがどのような水準で想起を促したかという側面にも着目しています。そして、メディアの集合的記憶研究を掲げた時点で資料(=新聞)重視にならざるをえません。過去の巨大災害の認識について定期的な大規模調査などおこなわれてこなかったし、同時代にタイムスリップして聞いて回ることも当然できないので。だから、比較や語り口の検証を通じてスケールを特定していく。対象とする資料についても、社会で広く流通した音源や映像が部分的にしか残されていない時代です。全体が残されていないため、その資料の位置を測定することも難しい。1920年代から現代までの長期的な時間軸で、さらに地域差を加味した場合、新聞以外の資料から「社会」の集合的記憶、あるいは集合的忘却を論じることはできないんです。やっぱり、資料(=新聞)重視にならざるをえない。資料から読み解けることで議論していくので、記述できる範囲にはやっぱりかぎりがあります。

大澤 そして、それもまた「歴史」ではない。

水出 いろいろな学問分野で記憶や歴史が論じられるために分かりにくくなってますが、たとえば日記や行政記録のメモなどを細かく収集する歴史学の立場からすると、新聞は二次資料ですよね。つまりメタデータ。一次資料を重要視する立場から見れば、新聞を資料とした時点でこれはもう「歴史」研究ではなく、「記憶」研究になる。もちろん、社会学やメディア研究において新聞は一次資料となりえますが、ぼくが扱ったのは「事件の記録」としての記事ではなくて、「事件の回想」としての記事です。なので、周年記念日の報道分析は記憶研究でしかないと思っています。記憶が歴史に流入する場合もあるわけですが……。

大澤 そこは言説におけるメタレベルとオブジェクトレベルの相互還流がつきもので、その位相は括弧に入れざるをえないでしょうね。ノンフィクションの書き手だと、現場に足を運んで証言を集めるわけだけど、そういう作業とはまったく別の作業をやっている。他方、資料に限定して追跡していく快楽みたいなものはありますね。そこがうまく伝わるような語り口を用意しないといけない。

水出 東日本大震災のあと、震災論や災害論が増えました。関東大震災発生時の資料発掘も進んだ。けれど、それらとぼくが描いた災害像にはかなりズレがあるはずです。

大澤 両方合わせることで立体的に災害が見えてくる。

水出 過去が現在に影響を及ぼすのは当然のことですが、「発災時」と「現在」というふたつの点しか見ていないのと、点と点を結ぶ線が見えているのとでは「現在」の理解がぜんぜんちがうはずです。それを「重層的な〈災後〉」という設定に込めました。

大澤 本の中で「プロセス」という言葉を頻繁に使っているのは、まさにそういう意図の現れでしょうね。歴史的に見れば、そのつどそのつどで思い返す行為がなされていて、なめらかに連続性をもっているはずなのに、いつのまにか「はじめ」と「終わり」を思い出すだけで議論をつくってしまうようになる。

水出 そうなると、災害の歴史を教訓としてしか書けなくなる。たとえば、「命を守るために、過去を学ぶ」式の。それはとても大事なことだけれど、人文系の学術研究はもっと広がりがあっていいと思う。

大澤 水出さんの研究はめぐりめぐって人命を守ることにも貢献するはずですよ。人文系は遠くから命を守りうる。

水出 そうですね。ただ、それを目的化する研究の狭さみたいなものからは逃れたい。

大澤 研究を効用で測るとまた同じ罠にはまってしまいますからね。

〈おわり〉

最後までお読みいただき、ありがとうございました。今後も様々なコンテンツを配信する予定です。どうぞよろしくお願いいたします。(編集部)

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略歴

水出幸輝(みずいで・こうき)1990年、名古屋市生まれ。関西大学大学院社会学研究科博士課程後期課程修了。現在、日本学術振興会特別研究員。専門は社会学、メディア史。共著に『1990年代論』(大澤聡編、河出書房新社)、『一九六四年東京オリンピックは何を生んだのか』(石坂友司、松林秀樹編、青弓社)。

大澤聡(おおさわ・さとし)1978年生まれ。 東京大学大学院総合文化研究科博士課程修了。 現在、近畿大学文芸学部准教授。専門はメディア史。著書に『批評メディア論――戦前期日本の論壇と文壇』(岩波書店)、『教養主義のリハビリテーション』(筑摩書房)、編著に『1990年代論』(河出書房新社)など。

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