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2024年を迎えて

ヤマハ発動機の青田です。
1月から新事業開発本部を任されることになりましたので、ちょっと昨年考えたコミュニティのことを年末にまとめてみました。


はじめに

2023年は、自分にとって大きく考え方を変える一年となった。これは、主に、これまで考えていた世界の捉え方、特に日本のコミュニティを取り巻く環境を歴史的に認識した上で、現在の状況、また未来へのあり方を考えたことに起因する。
 
きっかけとなったのは、今年出会った方々、読んだ本、聞いたPodcastなど、さまざまなInputによる影響である。できる限り、Inputの背景含めて記載をしておきたい。

昨年感じた変化について

 
一番の気づきは、「コミュニティを新たに形成し持続させるには、内部で共有できる経済性が実装される必要がある」という点である。通例、スタートアップを取り巻く環境を説明する際に、Ecosystemという言葉があったり、製造業の視点では、Keiretsuという概念に代表されると思うが、このコミュニティが、長期間にわたり機能を維持できる背景に、新たな価値を創出し、その価値を分け合う(あるいは奪いあう)ことを前提とした経済性に基づくネットワークである、という点が挙げられる。街のコミュニティ、SDGs起因型のネットワーク組成、業界横断的新規事業共創活動等が、長期にわたり取り組みを継続するのが困難となる背景に、コミュニティが生み出す価値を明確に定義できない、あるいは初期予算の分配のみを前提としていることにあると感じる。我々も、新事業開発の過程で、様々なコミュニティの組成を行ってきたが、この点をうまく実装できるかどうかに、長期的なコミュニティの成功は依存していると考えるようになった。

例えば、うまく機能している事例として、株式会社が挙げられる。株式会社をコミュニティと捉えると、ミッションは、営利追求であり、その利益を株主と従業員を中心とするステイクホルダーに分配するという仕組みを実装しており、今もそのコミュニティ運営が十分に機能しているといえる持続性のある発明と捉えられる。東インド会社から続く株式会社という手法を通じ、利益を分配する仕組みを実装したコミュニティに、自由意志を持って選択的に参加を判断できる。Web3.0の時代を迎え、インターネット、殊更デジタル領域においては、プラットフォーマーに富が集中してきた中央集権型のビジネスモデルから、Decentralized、即ち分散型のネットワークに移行することが提示されている中で、株式会社も分散型世界への対応が徐々に進みつつある。即ち、意思決定を分散化し、世界の変化にスピードをもった対応を行なっていくことになる。

次に、コミュニティの歴史を振り返ってみたい。コロナ禍でのロックダウンを実施する際のスピーチで、当時のドイツ首相であるメルケルは「旅行および移動の自由が苦労して勝ち取った権利であることを実感している私のようなものにとっては、このような制限は絶対的に必要な場合のみ正当化されるものです」と語って共感を得た。このニュースを見た際に、そもそも日本の移動の自由はいつ確立されたのか、と疑問に思った。明治2年、1869年がその答えである。江戸時代は移動の自由が認められていなかった。この時代まで、日本人は地域に縛られ、その地域において租税を納めていた。現在の我々は、個人事業主であれば青色申告を、我々のように企業で働いていれば、源泉徴収による収税に加え、消費税や、ガソリン税、タバコ税、酒税等、直接・間接を問わず、様々な方法で、納税の義務を果たしている。納税の方法が複雑化される中で、税金の使途も複雑になり、この個人が収めた税がどのように使われるのか、という点を把握することは不可能に等しい。所属する市町村の年間予算を知っているだろうか。税金のIN /OUTを現代で明確に理解するのは至難の業である。

コミュニティ1.0:高度成長期以前


高度成長期前の地方における新規事業実行が比較的容易だった背景として、私としては以下のポイントを挙げたい。
 
①    適時情報入手性と、移動頻度に限界があり、他地域で行われている新規事業を知る機会は、一部の人間に限定されていた。
②    地域を越える全国展開を目指すよりも、コミュニティを基盤としたビジネス展開で十分な利益を得ることができた。
 
明治以降、米本位制だった世界が変化し、移動の自由が認められ、土地による支配から自由度を増す過程の中で、行政以外のコミュニティの形成と運営を企業が肩代わりした例が多い。これは地域の電力、電鉄業の発展が最もわかりやすい事例である。地域内におけるエネルギーの利活用と移動の提供(特筆すべき点としてモータリゼーションより前に、日本は公共交通機関を地域で発展させた歴史がある)を司る企業が、新しい周辺ビジネスを提供することは至極当然であり、一定の人口規模があれば、様々な場所で同様のビジネス展開が可能であった。新しいサービスの展開は、地域をベースに行われているので、他地域で立ち上がったサービスをある程度模倣することで、ある一定の成長が担保できた。これは新規事業において、非常にリスクの小さいビジネス開発といえよう。人の移動が自由となった明治以降でも、冒頭に記載した情報の入手性の限界と移動の頻度に格差が存在したことで、国内でのCopy & Pasteは比較的容易に行われてきたと分析することができる。
 
黎明期におけるヤマハ株式会社、ヤマハ発動機株式会社の経営陣による海外渡航による他国のビジネスを学び、新規にビジネスに反映させた視点は、国内他地域からの学びだけでビジネスが興せる環境において、特異点だったと考える。
世間のあたり前よりも、一歩前の発想をすることが、他社に優位性を持つことを可能としてきた点と考えたい。額面を決めない新株の発行も、フロンティアの市場に出ていく判断も、他社が実施していないことを率先して実施することにあったのではないか。現代の日本で同様の事例を挙げるなら、コロナ禍の真っ只中で、パソナが淡路島への本社機能移転を率先して発表したような視点と言えよう。

コミュニティ2.0:高度成長期後


上記の1.0から、次の段階へ移行してきた背景として、以下のポイントを挙げたい。
 
①    地域間情報格差がなくなり、円安による海外輸出ビジネスが拡大し、海外展開を意識するようになった。

②    海外での競争を行なっていく中で、海外企業の経営スタイルに触れる機会が増えた。
 
1980年代、日本に「欧米型成果主義」が検討され始めた。この背景は市場の拡大が踊り場を迎えたことに起因する。現代的な言い方をすれば、CAGRが常に大きな数字となり、参加者全員の成長がある程度担保されていた世界から、CAGRが踊り場を迎えつつある中で、企業成長を持続的にするためには、市場シェア競争が出てきた段階に移行してきた段階。高度成長期を経験し、市場の成長力に依存しない成長を継続するためには、成長を実現する新しい優秀な人材が必要であり、その人材には新しい機能を付与し、新能力を継続的に獲得させ続ける仕組みが必要となった。柔軟かつ優秀な人材を獲得するための人材獲得競争に勝ち抜くには、その人材が成長を実感し、主たる役割に就くことができることが求められ、そのために重要な本社機能を首都圏に移管する取り組みが始まった。
 
ヤマハ発動機は、このタイミングで本社機能移管を実施してこなかった。この背景は、遠州地域の歴史的に製造業が充実していたという点、また東名間という他の地方に比較して、恵まれた立地であったことにより、ある一定の人材獲得を可能とさせてきた部分が大きいと考える。2023年に、高度機能人材の獲得を目指し、ヤマハ発動機も横浜に拠点を設置することになるが、これだけでは80年代に活況を呈した地方企業の本社移転を45年の時間を経て、実行しているに過ぎない。我々が今後、持続的な発展を行う上で重要な点は、当社がタレントプールに対して、働きたいと思える企業であるということが明確に提示されており、かつ新しい人材へのアクセス手法を柔軟に検討しており、かつ全世界で人材の獲得を進めることを実施することと考える。他の日本企業が世界にブランディングをこれから進める中で、すでに50百万人を越えるフォロワー数を誇るヤマハ発動機にとっては、アドバンテージがある中で、この取り組みを進めることになる。
 
反面、コミュニティ2.0時代からの当社の課題として、地域社会における当社の存在感が希薄化していったことをあげたい。国内市場では二輪市場の急激な収縮により、当社製品に触れる機会が減少したことに加え、海外売上比率の上昇により、日本国外での製品認知度、ブランド認知は高まったものの、地域に見える形での貢献が限定的となった。他の地域に属した企業が、教育、医療、文化等の地域社会への還元を積極的に進めたことに比較すると、当社による同様の取り組みは限定的であった。
 
80年代に他の地方企業が経験した国内における本社機能の移転により生じた成長の痛みを経験しておらず、また同質性・均質性の高い地域企業として、ダイバーシティ&インクリュージョンへの取り組みにも、一歩遅れていると言わざるを得ないと思う。
 
その中で、2010年代から取り組まれてきた新事業系の取組は、一定の評価を与えるに値すると考える。これらの取り組みにより、これまで経験してこなかった新しいリソースの獲得手法を複数経験することができた。シリコンバレー拠点の設置による専門人材の雇用、ジョイントベンチャー、ベンチャー投資などを通じた社外とのオープンイノベーション推進等を実施し、本社の経営陣も巻き込んだ情報の共有、議論の深化を進めてきた。今後新事業開発本部に期待されているのは、どのビジネスに拡大可能性があり、リソースを集中的に投下すればスピードを持って拡大できるか、またこの新事業のベストオーナーは誰なのか、そのベストオーナーへの引き継ぎの方法を提示する、ここまでを我々は期待されている。

コミュニティ3.0を目指して


コロナ禍を超えて、私が強く意識する点は、上記の歴史からの学びを活かし、コミュニティの活性化をアップデートし、改めて3.0と位置付けるビジネス推進の基盤を構築することを進めていきたい。
上記の振り返りの通り、他地域のベストプラクティスを実装してきたコミュニティ1.0、海外展開を意識したコミュニティ2.0を踏まえて、再度現代社会で求められるコミュニティを再定義していきたい。この実装において「未来がどうなるのか」という未来予想図の精度を追求するよりも、「未来をどうしたいか」という視点を重視したプロトタイピングを進めていきたい。自分ができることを明確にして、世界をよりよい形にしたい。
私が実現したい未来は、「より多くの人に、この地域で働いてもらい、イノベーションを生み出していきたい」である。世界のどこへも行けるようになった今、自分が生活する拠点をより自由に選べるようになってきた環境下で、選ばれる地域にしていきたい。横浜も、海外拠点展開も、その地での採用で終わらず、本社を置く地域へ雇用した人材が行ってみたいと思える地域の魅力を構築し、人的資源の環流が実現される、そのためにも、この地域で生活する豊かさを高めていく取り組みを進めたい。これが、将来我々が新規事業を生み出していく人材を確保するベースになる。その際に、地域のコミュニティで生み出される付加価値の再分配、携わった企業・個人がそのリターンを享受できるような取り組みの構築を進めていきたい。
この取り組みは、1社ではできない。この取り組みに共感できる方々をしっかり繋いでいきたいと考えおり、いくつかの具体的な取り組みを進めていきたいと思っている。
 
Key Words:  
①他地域、他国からの人材受け入れを可能とする教育、医療などの基盤整備が進んでいること。
②他地域、他国からの人材が自分の生活基盤を大きく変更することなく、生活ができるダイバーシティ&インクリュージョンが充実していること。
③職場を含む生活の基盤が、人間的であり、かつ魅力的な時間と感じさせる環境が充実していること。

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