小気味の良い六歩(衆議院の解散)
沖縄は梅雨明け秒読みとのこと。
一報の本州は夏を目前にしつつ、締まりのない空模様が続きそうです。
さて、報道で目にした方も多いと思いますが、先週、第211回国会が閉会しました。
延長はなかったため、150日間の通常国会となりました。
最終盤で一瞬吹き荒れた解散風など、今ではどこ吹く風。
今頃、永田町には暫しの穏やかな時が訪れているでしょう。
今回はそんな衆議院の解散についてまとめていこうと思います。
詳細はまた1本の記事として出そうと思いますが、
我が国には唯一の立法機関として「国会」が存在しており、国会は「衆議院」と「参議院」から構成されています。(二院制)
本稿で扱う「解散」というのは衆議院に固有のものであり、参議院には解散はありません。
なぜなのか?
衆議院はその名前の通り、
民衆(の意見)が主たる議院であり、
彼らの意見を適時適切に反映するために、憲法で定められた任期の前でも選挙を行えるように解散という制度が設けられています。
実情はさて置き、参議院は根本の存在意義が衆議院とは違うため、任期を全うできるように解散制度は設けられていません。
以上が衆議院にのみ解散がある理由です。
それでは、解散という制度はどういう仕組み、流れでなされるのでしょうか?
「天皇は、内閣の助言と承認により、国民のために、左の国事に関する行為を行ふ。」(日本国憲法第1章第7条1項)
「衆議院を解散すること。」(同条第3項)
衆議院の解散は憲法によって規定されています。
(国を形作る制度の根幹に関わる内容ですから、そりゃそうですよね…)
細かい区別になりますが、実際に解散を行うのは総理大臣ではありません。
上で規定されているように、天皇です。
え?じゃあ、行政府は天皇大権を侵犯しているのか!?
違います。
「天皇の国事に関するすべての行為には、内閣の助言と承認を必要とし、内閣が、その責任を負ふ。」(憲法第1章第3条)
「天皇は、内閣の助言と承認により、国民のために、左の国事に関する行為を行ふ。」(日本国憲法第1章第7条1項)
7条にも同様のことが重ねて書いてありますが、
天皇の国事行為(国家元首として国に成り代わって行う行為)には全て内閣の助言と承認を必要とします。
どういうことか?
天皇は自分1人の意志で国事行為を行うことができず、内閣の要請通りに動くということです。
ここに天皇個人の感情が入り込む余地はありません。
天皇も内閣も国家を構成する1つの機関としてシステマティックに淡々とこなしていきます。
こと解散で言えば、
内閣が「解散しましょう」と決めれば、「あい分かった」として解散が行われるということです。
天皇の方から、「解散はしない方が良い」という意見表明などは行われません。
「天皇は、この憲法の定める国事に関する行為のみを行ひ、国政に関する権能を有しない。」(憲法第1章第4条)
そもそも、このように天皇は国政へ影響を及ぼす権利・能力が憲法で否定されています。
仮に極めて個人的なものとしてこのような発言を公にしてしまっても、その政治的行為によって生じた結果の責任が天皇に向かう恐れがあるため、天皇の側からしても言わない方が得策(?)となります。
(終戦時はまさにその点で我が国と連合国軍は大変な攻防を繰り広げたわけですから…)
以上の憲法の規定から、実質的な解散権は「内閣」へ独占的に属していると解釈されています。
ここで注意が必要なのは、憲法では「内閣総理大臣」ではなく「内閣」とだけ記載されている点です。
両者に違いはあるのか?
厳密にいえば、あります。
皆さんにもイメージはつきやすいと思いますが、
「内閣」というのは行政を担う合議体の機関のことを指します。
これに対して、「内閣総理大臣」はその合議体である内閣を率いる首長1人を指します。
「行政権は、内閣に属する。」(憲法第5章第65条)
「内閣は、法律の定めるところにより、その首長たる内閣総理大臣及びその他の国務大臣でこれを組織する。」(憲法第5章第66条第1項)
憲法を起草した者達の頭としては、
建前上はあくまで合議制の内閣に対して様々な権能を付与しています。
天皇への助言などにしても、内閣を構成する各大臣らの意見が一致した(=きちんと複数人で議論された)形での行為として想定されているのです。
憲法起草者のこの意志はきちんと法律で規定されています。
「内閣がその職権を行うのは、閣議によるものとする。」(内閣法第4条第1項)
閣議とは、内閣の最高意思決定の場です。
ニュースで耳にすることも多いであろう「閣議決定」とはこの閣議の場で決定されたことを意味します。(つまり、閣議決定とは、日本国政府の公式な決定事項ということになります。)
「閣議は、内閣総理大臣がこれを主宰する。この場合において、内閣総理大臣は、内閣の重要政策に関する基本的な方針その他の案件を発議することができる。」(内閣法第4条第2項)
「各大臣は、案件の如何を問わず、内閣総理大臣に提出して、閣議を求めることができる。」(同条第3項)
基本的に閣議は総理が開きますが、他の大臣でも閣議を開いてくれと求めることは可能です。(開かれるかは別問題ですが…)
このように、内閣は閣議(合議)を経なければその力を行使することができないのです。
しかし、憲法第66条に記載されているように本音(実態)は少々異なります。
総理大臣は内閣の首長であり、
「内閣総理大臣は、国務大臣を任命する。但し、その過半数は、国会議員の中から選ばれなければならない。」(憲法第5章第68条1項)
「内閣総理大臣は、任意に国務大臣を罷免することができる。」(同条2項)
上記の権能を憲法によって与えられています。
また、憲法やその他の法律上で内閣の最低人数に関する規定は存在しません。
つまり、極端な話、内閣は総理大臣1人でも良いのです。
現実的な話をすると、それでは国は回りませんので日常ではそのようなことは起こりません。
ですが、非日常の場面では起こり得ます。
それが、衆議院の解散を決定する場面なのです。
天皇の国事行為に関する助言と承認の権能が「内閣」に与えられている以上、
これらに関する決定は当然のことながら内閣の最高意思決定の場である「閣議」を経なければなりません。
ですが、例えば、この閣議の場で閣僚が解散に反対したとしても、憲法第68条第2項に基づき、総理はその場で閣僚を自由に罷免することが可能です。
仮に全員が反対しても、その場で全員をクビにして総理1人で全閣僚を兼任すれば閣議決定が可能となります。(もちろん、政治的なコストと引き換えですが…)
そんなバカなと思われるかもしれませんが、
2005年の郵政解散時に小泉総理は解散に反対した島村大臣を罷免して閣議決定を行いました。
(後にも先にも実例はこの1件のみ)
他にも、解散に関するものではないですが、普天間基地の辺野古移設についての閣議決定の際に鳩山総理が反対した福島大臣を罷免して閣議決定を行った例があります。
憲法には直接的にそうだと記載されていませんが、
これが衆議院の解散が総理の専権事項(総理大権、伝家の宝刀)と呼ばれる所以です。
こうした法律的な根拠を基に、時の総理たちは解散カードをちらつかせながら政権運営を行っています。
上で見てきたような総理の自由裁量による解散は俗に「(憲法)7条解散」と呼ばれます。
そんな言い方するということは他の解散もあるのか?というところですが、
実はあります。
「内閣は、衆議院で不信任の決議案を可決し、又は信任の決議案を否決したときは、十日以内に衆議院が解散されない限り、総辞職をしなければならない。」(憲法第5章第69条)
つい先日も立憲民主党が内閣に対する不信任案を提出しましたが、
これが可決された場合、内閣は解散か総辞職かを選ばなければなりません。
この69条に基づく解散を「69条解散」と言います。
歴史的には可決された例は昭和期の4例で、いずれも即日衆議院が解散されています。
総選挙を回避して総辞職を選んでも良さそうな気がしますが、こればかりは合理的な説明がつかないでいます。
制度論でいえば、総辞職を選択して同じ政党内で総理の首だけ変えるということも可能です。
不信任による解散の場合、連立を組んでいたとしても総理が属する政党が政権を担っていることがほとんどのためです。
実際に、いずれも議席数は総理の属する政党がトップでした。(最初の不信任可決はGHQぐるみのまさにシナリオ通りの“馴れ合い解散”なのでカウントせず)
大抵は政党内の権力抗争が可決の原因であることがほとんどです。
しかし、恐らく、「憲政の常道」という考えがそれを阻んでいたのではないかなと推測します。
憲政の常道とは、戦前期に広く認識されていた政治的な美学のことで、
ある内閣が失政で倒れた際には野党第1党が後継内閣を組織すべき(そして、その内閣によって選挙が行われるべき)だ、という考えです。
(実際に戦前期はこうした政権交代が何度か起きていました)
不信任が可決してしまった大平総理は「憲政の常道」の構図を理由に挙げていました。
なぜ解散を選んだか問われた際、
総辞職を選ぶと日本社会党(当時の野党第1党)に選挙管理内閣を組織してもらっての解散となろう。それでは却って政治的な混乱は深まってしまうのではないか?
と語っています。
今ではいずれの総裁の下でも自民党内は盤石になり、不信任案の可決自体がなくなったので69条解散も滅多にお目にかかれなくなったので、先日の解散騒ぎは少し期待してしまった自分がいます。(不信任案をあえて可決して解散するのか、不信任が出された段階で対抗して7条解散を打つつもりだったのかは不明です)
それでは最後に、総理が解散を決意した後の具体的な動きを紹介します。
まずは閣議において、内閣は衆院の解散について閣議決定を行います。
解散その行為自体は天皇の国事行為であるため、閣議決定のあとで内閣総務官が皇居(宮殿や各地の御所、御用邸などその時に天皇がいる場所)へ赴き、奏上(衆院解散を決定した旨を伝達)します。
天皇も、その時に何をしていようと直ちに対応します。
そうして、
「日本国憲法第七条により、衆議院を解散する」
と記載された詔書(天皇の国事行為に用いられる業務文書のようなもの)が作成され、天皇の御名・御璽(名前とハンコ)をいただいたら、総務官は詔書を持って再び官邸(総理のいる場所)へと戻り、今度は総理大臣が副署(私も確認しましたという証明サインみたいなもの)をします。
天皇と総理の署名を受けた詔書は内閣官房長官(の命令を受けた総務官などの役人)によって衆議院の議長へと提出されます。
この時に提出される(=実際に議長が読み上げの際に用いる)のは詔書の原本ではなく、複製版だったりします。(原本は公文書として内閣官房にて保管)
また、議長へ持ち込まれる際に用いられるのが俗にいう、「紫の袱紗(ふくさ)」です。
漆の塗りの黒盆に恭しく載せられて運び込まれる場面はとても儀式的で、詔書輸送での象徴的なシーンと言えます。(ニュースでも映像あったりします)
なので、解散それ自体が「紫の袱紗」と呼ばれたりもします。
議長は詔書が持ち込まれたら直ちに本会議を開催します。
というか、衆院解散に関する本会議が電撃的に行われることはないので、詔書が用意できる頃合いの時刻に予めセットされています。
本会議において議長は、
「ただいま内閣総理大臣から、詔書が発せられた旨伝えられましたから、朗読いたします。
日本国憲法第7条により、衆議院を解散する。」
と詔書の複製を読み上げます。
議長によって解散の詔書が読まれたタイミングで、議場にいる国会議員たちは「万歳三唱」します。(ここは必ずメディア中継される場面ですね)
これにて、衆議院は晴れて解散となります。
暫しの間、国権の最高機関の地位を参議院へ委ね、ここから選挙戦に突入していきます。
ちなみに、ここ数年で1例だけ、伊吹文明議長の詔書朗読において万歳のフライングがあったというニュース映像がありましたが、あれは仕方ない面もあります。
上で述べたように、基本は「日本国憲法第7条により、衆議院を解散する。」だけで普通は朗読が終わるのですが、この時は議長が「日本国憲法第7条により、衆議院を解散する。御名御璽。平成26年11月21日内閣総理大臣 安倍晋三。」まで朗読しちゃったんですよね。
伊吹議長は少しキレてましたが、自民党席でも万歳が起こりましたし、致し方ないことです。
ということで、
国権の最高機関である国会の半分が瞬時に失職する、破壊力はまさに伝家の宝刀と呼ぶに相応しい衆議院の解散について今回はまとめていきました。
今回はこれまでと比べて長い回となりましたが、お付き合いいただき誠にありがとうございました。
次回は国会の事務局についてまとめて行こうかなと思います。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?