手帳で(だいぶ)ドッシリ母ちゃんになれた話 ~行き渋りという「小1の壁」~
わたしが愛用する「自分軸手帳」のオンラインコミュニティ「自分軸手帳部」では、クローズドで心理的安全性を担保しながら、様々な情報交換や自己開示が行われています。
手帳の活用方法や試行錯誤から、雑談まで、その幅は様々。
ここ数日たちあがった中で熱いのが、「小1の壁」の話です。
↑こちらは、そのスレッドを立ててくれたこまこさん。
コミュニティ内では、「小1の壁」に手帳をどう生かして向き合っていくか?という話に加え、手帳をはみ出たTipsまで、早くもあちこちから共感の声や情報が寄せられています。
そこで今回は、我が家なりの「小1の壁」にどう向き合ったか、手帳とそれ以外もまるっと含めてお話しようと思います。
突然勃発!「行き渋り」問題
我が家には2人の娘がいます。
2学年差で、次女は2022年4月に1年生になりました。
姉もいて孤独ではないだろうし、既に小学校の様子も垣間見ているので、まぁ、なんとかなるでしょう~とすっかり親は余裕をぶちかましていたのですが…突然やってきたのが「行き渋り」。
これが我が家的「小1の壁」でした。
お友達や先生にも恵まれており、「いじめ」とか「不適応」というものではありません。
ただ、機が熟したときにやりたいことに向かう、そしてひたすらに集中する、という資質をもつ娘の場合、ベルトコンベアーに乗せられるがごとく、皆が同じタイミングで同じ環境に投入され、足並みそろえて同じ授業を聞く、ということに納得感が薄かったという部分もあるのかなぁ、と想像しています。
ただ、これはあくまでも想像で、おそらく娘自身も明確に言語化はできないし、これからもできない部分かと。「行かない!絶対行かない!!!」というわけでもない。「行きたい」と「行きたくない(なんで行かなくちゃいけないの?)」のせめぎ合いだということは、子ども自身も自覚し、親にも伝わってきました。
決めきれない辛さ。自分の中での混乱。それはわかる。
間もなく入学して1年が経過しようという今も、実はこっそりドキドキ見守る日々は続いていますが、紆余曲折を経てだいぶ安定して登校できるようになりました。
これまでの1年をざっくり振り返ると…
◎1学期:行き渋り発動期
入学直後、心細さを口にしつつも、徐々にお友達も増えてきて学校に溶け込むようになった次女。
4月は何の問題もなく敷かれたレールに乗れていました。
が、今考えると当時は給食開始前で帰宅も早い。帰りは下校班の解散場所まで各家庭の親が迎えに来る。心細さも短時間で済むので、乗り切れていた部分があったのかと思われます。
行き渋りを突然発動したのは、GW明け。THE 5月病。ここから通学班に私が混ざってついていく同伴登校がスタートしました。
が、ついていけば一件落着という話ではない。
昇降口の前で心が折れる。教室前で話し合い。10分足らずの道のりを60分以上かけて歩いたり、送っていったものの離れるのに90分かかることもありました。出たけど戻る、学校から電話がきて迎えに行く、ということも。
基本綱渡りの日々で、「すんなり行けるわけがない」「無事に行けたらラッキー」くらいの時期。
◎2学期:同伴登校安定期
夏休みがあけてすぐは、突然「一人で行く!」と宣言し、同伴の必要がなくなりました(もし途中で班を離脱すると他のメンバーが困惑すると思い、本人に見えないように毎朝校門を入るところまで見届けていましたが)。
ところが、ちらほらと「実はグスングスン泣きべそをかきながら登校している」という情報が入るように……。それから間もなく、同伴登校再開。
とはいえ、1学期とは比べものにならないほどラクだったのは「学校には行く」というのがデフォルトになったこと。同伴自体は毎朝発生するものの、その後の生活は親も子も安定して送れるようになった時期。
2学期で「学校って楽しいこともある」と実感でき始めた次女。さらに学業自体はむしろ成績も良く、先生が「行き渋り」への先入観なく、フラットに見てくださっていることに感謝と安心を得ることもでき、本人も自信を深めたように思えます。
◎3学期:自立期
先生からも「少しずつ同伴登校を減らせたらいいね」といった本人への声掛けもあり、下級生が入ってくるという時期も近づいてきた3学期。このタイミングを逃す手はない!ということで、3学期が始まって間もなく、親子で単独登校に向けて話し合いました。
後述しますが、カレンダーやゲーム感覚の仕組みを活用して、小さな達成感を度々得られるようにしたところ、本人から進んで一人で登校できるようになりつつあります。
何をやったか?取り組みを総ざらい
・・・と、こう振り返ると進歩も見えて「めでたしめでたし!」と映るかもしれませんが、実はかなり壮絶な日々でした。
私自身「学校に何としても行かなくてはいけない!行くべきだ!!」という考えなわけではありません。今の時代、いろんな選択肢もありますし。
けれど、「普通」から外れた当事者になった時、戸惑う人の方が多いのではないでしょうか?「(世間的に)当たり前のことができていて初めて、その道から外れるという選択肢も選び取れる(的な発言ができる)」のだと思います。
よく言われました、「別に学校行かなくても大丈夫だし、自分はそう思ってる!」。
何とかなるよ!とも。
でもそのおうちは「行き渋り」とか経験してないんですよね…
モヤモヤしながら、戸惑いながら、どうやって「行き渋り」に向き合ったか。次はそれをご紹介します。
◎STEP1:パターンを見つける
こういった類の話で何よりストレスなのは「不測の事態が続く」こと。
常に予想外のことに立ちむかい、それに対応するのは、本当にストレスが大きいです。
そこで疲労困憊しながらダメ元で取り組んだのが、手帳に記録しながらパターンをつかむこと。
分かりやすいのは「曜日」や「1カ月の中のタイミング」「連休との関連性」などですが、それ以外にも「どんなルーティンがあるか」「この声掛けが逆効果」「本人のテンションが上がったきっかけ」など、気持ちを揺らすものの手がかりを書き留めて俯瞰していきました。
まさにかけらをかき集めるような地道な作業。
▼この記事で詳しく説明しています
◎STEP2:パターンを踏まえた行動指針を定める
日々振り回されること、対応に疲れた私は、「早くすんなり行けるようになる」のを目指すことを手放しつつ、だったら以下を目指したいと考えました。
そこで導き出したのが、「MY WORK RULE」。
上記の記事で紹介したルールには「子どものコンディション」だけではなく「私の理想の仕事ペース」も反映されており、当時はここまで洗練(?)されていなかったのですが…この原型となる以下のようなエッセンスがSTEP1から生まれました。
◎STEP3:自立を促すときはゲーム感覚で
これは、思春期の行き渋りなどには適応できない方法とは思いますが、単純に「入学直後で不安」といったパターンではもしかしたら効く人がいるかも、ということで一応ご紹介。
≫ 未来像のすり合わせ
次女は納得できる目標が定まると勝手に達成を目指すタイプ。
なので、まずは「ドキドキの1年生をやさしく助けられるような、かっこいい2年生にならない?」「そのために、まず自分がルンルン学校に行けることが必要だし、そうなれたらうれしいよね」という未来像をすり合わせました。
ただ「行ける」ではなく、「ルンルン」がキーワード。
≫ ステップのすり合わせ
続いて取り組んだのが、「残り時間」と「空間(学校までの道)」の可視化。
カレンダーと地図を使って、残り日数から逆算しながら、何段階で/どのペースで同伴距離を縮めるかを娘と相談しました。
最初の4日間は今まで通り→次の4日間は階段の踊り場まで→次の4日間は昇降口…でもこれじゃ間に合わないかも。もう少し一気に距離を縮める日が必要だ!などと、客観的に本人が判断できていました。
途中チェックポイントとなる日付もいくつか設定。
たまに目標通りに進まない日があっても、チェックポイントの日にクリアできていればボーナスゲット!さらに、超ハイスピードで自立した場合にはスーパーボーナス(※)ももらえるという仕組みに。
と、これでも十分うまく機能していたのですが……始めてみたらスーパーボーナスめがけて猛スピードで独り立ちし始めた娘。うれしさ半分、「中だるみしそう」な懸念半分…。
ビンゴで「自分の気持ちややる気に合わせて目標を選ぶ」
そこで投入されたのが……ビンゴ!
小学校の高学年の委員さんが作った、挨拶を推奨するための「あいさつビンゴ」を見て閃きました。
ちょっと疲れたときに備えて、途中まで同伴という項目も。
気分に合わせて選べる項目を並べ、目標を都度選べるようにしました。
一直線にゴールを目指すのではなく、最初から行きつ戻りつする余白を用意しておく。
途中でちょっと甘えるタイミングが合っても、それが計画的なものであれば「失敗」ではなく「選択」になる。
これがかなりうまく機能して、基本はもう一人立ちしているような状態です。(とはいえ、一喜一憂しないと決めています!(笑))
大事にしたこと
◎本人の意思を尊重する
この時、受講していた「お母さんのための心理学WEB講座」にも非常に助けてもらいました。
また、出どころは忘れてしまいましたが(Twitterで流れてきたのかな???)こんなものも手帳に貼っていました。
様々な教えを踏まえて大切にしたことは「本人の意思を尊重する」こと。
学校に行くか行かないかは、私自身ではなく娘の人生の問題だということを何度も自分に言い聞かせました。
この選択肢をとっていいか、事前に先生とはすり合わせました。
指定の時間になって無理そうなら電話をもらう(が、結局電話が来ないことが多い(笑))。
とりあえず迎えに行ったものの、がんばれそうなので私はそのままとんぼ返り、ということも。
「行きたくない」の場合も、「行きたいと行きたくないのせめぎ合い」と「今日は行かない!(決めている)」の2種類があるので、前者なら時間を取って付き合う(→9割行く)。後者ならすんなり引いて休ませる。
「どっちでもいいよ」と言いながら、本人の決断をひっくり返すことはしない。選択は尊重され、協力してもらえるという安心感と信頼貯金を生み出しながら、自信をつけていってほしいと思いました。
◎私自身の人生を大事にする
登校が不安定な時期に取材を入れる場合は、行き渋った場合に備えて、極力夫の仕事をリモートにしてもらうように。
また、ありがたいことにバイト先にも状況を共有して、かなり協力していただきました。
当時はシフトが2オペだったので、私のような事情に限らず、急な休みが発生してももう片方のスタッフが対応できる体制がそもそも整っていましたが、それでも予定外の行動はご迷惑をおかけするわけで。その点、会社自体も同僚も理解を示してくれる方ばかりだったのが恵まれていました。
今は1オペになっており、つい先日はついに子連れ出勤デビューしてしまいましたが、それも赦してくれてむしろ「大変な時にありがとう」とむすめにまでやさしく接してくれる方々、シフトを半分変わってくれる仲間に支えられています。
……子供のために何かを犠牲にしたというのは私も子供も幸せではないと思うので、このように「やりたいことをやり続けられる」方法や環境を選ぶ、というのも大切にしています。
ご迷惑をかける分、感謝を伝えることや、
違う部分で貢献することは自分なりに心がけているつもりです!
◎兄弟のケアを忘れない
長女に対して、日々話は聞いてケアはしていたものの、つい先日爆発したのが「当たり前のことができるようになった妹がなぜ褒められる」という不満。「登校に気が進まないことがあっても、自分がもし『休みたい』といったら芋づる式に妹も『行きたくない』と言いそうで、本音が言えない」という辛さ。
これまでも伝えていたつもりですが、「次女の達成は、長女の協力があってこそ」「次女を労う時には同じように長女の希望も聞いて労う」ことを大切にしようと心に決めました。
言われたくない言葉
これまでは「我が子が行き渋りになった場合に備えた目線」でのお話でしたが…ここでは少し角度を変えて。私が言われて傷ついた言葉をご紹介します。
「我が家は平常運転だが、困難にぶつかったお友達が身近に現れた!」という時にご参考にしていただければ!
◎「なんでだろうね?」「理由は??」
私も娘も、行き渋りのことを一切隠していませんが、その分周りが状況を知るとまず聞かれるのが「行き渋っている理由」。
――そんなもんこっちが聞きたいんじゃい!!!!!!!
本当にうんざりします。(ぶっちゃけ)
理由を取り除けば解決する、という思考回路でしょうが、その輪郭がはっきりしないから世の中にこれだけの不登校や行き渋りが発生しているんだと思うんですyo!!!!yo!!!!!!!
一度スクールカウンセラーさんにも相談しましたが、そこでもやはり「1年生は明確な理由がないことが多い」「3カ月単位で推移を見守ると知らず知らずに改善していることも」というお話。
理由が明確で、しかもそれを聞いてほしいのであれば自ら話しますので。
◎「いつまでついていくの?」
これもね~一定数言われます。
――決めてませんから!!!私が聞きたいですから!!!!!
もちろん、ゆくゆくはこの手を離せれば、と思いつつも、行けなかった時代に対して「これで行けるなら万々歳」なのが同伴登校ですよ。
この子のペースでやっていく覚悟ですから、どうぞご心配なく。
おしまいに
超大作になってしまいましたが…最後に改めてみなさんにお伝えしたいことがあります。
≫ 「毎日学校に行っている」ということ自体が、実はとっても立派なこと
いけない=立派ではないという意味ではありません。当たり前に見える「毎日登校」も、それだけでしっかりがんばっている、ということを言いたい!
≫ うちには関係ないという考えを捨てておいた方がラク
行き渋り、不登校――いま思い返すと、正直、私も他人事だと思っていました。が、いざという時「うちの子に限って!!!」と思うほどに辛いしパニックになる。実際同伴すると、毎朝見かけるお母さんやお父さんが一定数います。
そういうこともあるかもね、という気持ちを頭の片隅に置いておくのとそうでないのは大きな違いな気がします。
≫ 「行き渋り=行きたくない」わけではない
「行く」「行かない」の0-100の話では語れず、行きたいけれどすんなり行けない、という気持ちの揺れでせめぎ合っている。それがつらいんです。
我が子は「綱引き」と表現していますが、まさに。
親ができるのは、その綱の行方を見守るしかないんですよね。
行き渋る子供が悪いわけでもないし、もちろん親が悪いわけでもない。
誰のせいでもありません。
そして、やはり一度行き渋った以上は、また同じことが起こるかも、とも思っています。
でも、この経験は私自身の力になっているし、子どもを信じることにもつながりました。
再び起こるかも…という怯えではなく経験値に昇華して心の準備をしながら、ドーン!と構えておけたら、だいぶ楽だなぁと思います。
それぞれが立ち向かう「小1の壁」があるでしょう。
「行き渋り」も、我が家そのままの全く同じ道をたどる例はきっとないと思います。
でも、今回綴ったこの記事が、誰かのヒントや参考になるかもしれない、とも思います。
子どもの人生と自分の人生。どちらも大切にしながらみなさんが過ごしていけますように!
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